★世界は欺瞞に満ちている
リホさんに手を引かれるようにして蛇のように曲がりくねった通りを右に左にと折れると、エステルの中心部に当たる記念広場が見えてきた。
“竜殺しの大英雄”ホーキンス公の石像が立つこの広場は、市民にとっての憩いの場であり、都市の象徴でもある。実際のところ、この場所を中心として蜘蛛の巣を張るように家並みが広がっていることもあり、街の端から端へと移動するならここを経由する方が早い。
そうした事情もあって、夜半であっても魔石灯に照らされて明るいこの広場には、今夜も多くの人が集まっていた。
家路を急ぐ者、恋人と待ち合わせをする者、ベンチに座って虚空を見つめる老人、楽器を弾き鳴らして日銭を稼ぐ者、ここぞとばかりに怪しげな物を売る露天商……。
その猥雑さこそが、エステルの都らしさでもある。
「ナギせんぱい、あれって……」
急に足を止めたリホさんが、そんな雑多な人波の中からとある一つの集団を指差した。
ドラゴンの喉元に聖槍を突き立てるホーキンス公像の足元で、暑苦しい黒のローブを纏う男たちが順々に声を張り上げている。そして、彼らを囲むようにして、その説法に聞き入る人々の姿も。
「ヘズ様の御声に耳を傾けよ、民よ! 裁きの日は近いッ!」
「モンスターは悪しき災厄ではない! ここにおわすホーキンス公がそうであったように、我々は試練のただ中にいるのだ! 戦神ヘズによって、その魂の真価を試されている!」
「我々、正しく世を憂う者たちの手で、この街をこの国を清く平らかにッ!」
「そうだ! ヘズ神を信じよ!」
黒衣の男たちの熱に当てられた聴衆たちが、賛同とも否定ともつかない怒声を上げる。うねるような喧噪が彼らの周囲を包み込み、いまにも破裂しそうな剣呑な雰囲気が漂っていた。
「……『宿木教団』と名乗る方々、でしょうね。近頃、噂になっているという」
私の発した言葉に反応するように、リホさんが私の手をぎゅっと握った。
各地で頻発するモンスター被害によって、人々はその心の拠り所を失った。それは国教として権勢を振るってきたイグドラ教会の根幹を揺るがすほどに。
そうして不安定になった世界に、終末思想とヘズ信仰による救済を訴える「宿木教団」のような新興宗派は、さぞ魅力的に映ったことだろう。教団がこの一、二年でその規模を拡大するに至った背景には、数多くの絶望と悲嘆が見え隠れしている。
自分と大切な者を生かすためならば、人は道理を外れることも厭わない
地に頭を擦りつけるあの村長の姿が脳裏を過って、私は少しだけ不快な気分に陥った。
「――くだらない。見てるこっちが恥ずかしくなりますね~」
私の心中を見透かしたかのように、傍らのリホさんがそう口にした。まるで、同意を求めるかのように。
あまりにも唐突で攻撃的な物言いに驚いて、私は自身を誤魔化すための言葉を紡ぐことができなかった。
普段、受付の仕事の場で見せるのと同じ満面の笑みを浮かべながら、彼女はもう一度「くだらない人たちですねぇ」と念を押すように呟く。
「……リホさん」
「自分たちは悪くないんだって責任転嫁して、神様使って逃げてるだけじゃないですかぁ。あげく『世界よ滅びろ~っ』だなんて、情けない人たち」
「リホさん、そのくらいに――」
「それに、教会の人から聞いたんですけどぉ。あの『教団』って人たちが何か悪いことを企んでるかもって噂で~。だから、調査の為にイタンシンモンカン? がもうすぐ聖都から来るって――」
周りの目を気にしないリホさんの饒舌な語りが耳に届いたか、黒衣の集団のリーダーと目が合ってしまった。
今、彼らと関わるメリットは何もない。
「今はそのくらいで。続きはお店で聞きますから、早く行きましょう。リホさん」
私は握ったままになっていたリホさんの手をぐいと引っ張って、黒衣の集団から十分に距離を取る。彼らが追い掛けてこないのを確認しながら、私たちは足早に広場を突っ切った。
くだらない。滅び。噂。企んでいる。イタンシンモンカン――異端審問官、か。
彼女の手を引いて走りながら、冷静に、先ほどの言葉を選別して吟味する。
「ナギせんぱい、何か怒ってますぅ? 私、何か変なこと言っちゃいましたか~……?」
「怒ってはいませんよ。ただ……、そうですね。呆れているだけです」
「あの『なんたら教団』って人たちにですか?」
「……。ええ、それで良いんじゃないでしょうか」
息を切らしながら路地を一本入って、目的地である酒場「豊穣亭」の煌々たる灯りを目にした頃には、二人とも汗だくになっていた。
◇
「豊穣亭」は本日もいつも通りの賑わいを見せていた。
辛うじて確保できたテーブル席に腰を落ち着けてから、私たちは店内を忙しなく動いていた給仕の男性を呼んだ。適当につまめる料理を二人分と、私はエール、リホさんは果実水をそれぞれ注文する。
給仕の男は素早くお辞儀をすると、汗だくの私たちに気を利かせてくれたのか、飲み物だけすぐに持ってきてくれた。
簡単に乾杯の言葉を交わしてから、杯の中のエールに口を付ける。苦みの強い独特な味わいが喉の奥へと滑り込んでいき、渇いた身体に染み渡るようだった。
リホさんも私に倣うように、豪快に杯をぐいと傾ける。お酒の飲めない彼女は果実水を頼んだはずだが、何故か真っ赤な顔で照れるように身を捩らせていた。
「相変わらず、男共でごった返してますねぇ~。強くてカッコいいナギさんがエスコートしてくれなかったら、私絶対に入らないですよぅ、この店」
リホさんの言う通り、武骨な店構えと強面な店主、無愛想な給仕も含めて、繊細な女性たちが立ち寄るには敷居の高い空間ではある。
そのせいか、今日も店内には男性客の姿ばかりが目立ち、私たち二人は異質な存在として彼らの注目の的となっていた。
不躾な視線に嫌気が差したか、リホさんが「シャーっ」と獣の威嚇のようなポーズを取る。が、見た目の愛らしさのせいで、かえって男性客たちが盛り上がったのは言うまでもない。
「んぅ……。さっきより視線が集まった気がする……」
「リホさんが珍妙な仕草をするからでしょう」
それでも、私たちのテーブルに近付こうとする男性客は一人もいなかった。
つまり、美少女の同席者として「冷血女」がいるという状況を、皆が十分に理解しているということだ。
「きっと、ナギせんぱいがあんまりにも眩しいからぁ、気安く声とか掛けられないんですよ~。高嶺の花、的な!」
「ただ怖がっているだけでしょう。傷のある気持ち悪い女だと」
「そんなことないです~! 初めて一緒にこの店に来たときも、酔っ払って私にちょっかい掛けてきた大男を『えいやー』って成敗してくれましたし! あれはカッコ良かったな~」
正確には――。
酔った男性客の一人がリホさんの肩にいやらしく手を置いてきたので、その酔客の手を掴んで逆方向に捻り上げ、勢いそのまま肩の関節を外してやり、首根っこを掴んで床を引き摺り回し、最後には店外へと勢いよく蹴り出した。
それだけのことだ。
相手は泥酔しており、戦い慣れした冒険者でもなかったので、制圧自体はものの数分で終わった。
今日もあちこちのテーブルから「あの銀髪の……」「冒険者よりおっかねぇ……」「受付の怖い方だ……」など、私を指してひそひそと囁く声が聞こえてくる。声のあった方へ目線を送ってみたところ、皆一様に縮こまって押し黙ってしまった。
……この店の良いところだ。
余計な揉め事など起きないに越したことはない。私たちは食事を楽しみたいだけなのだから。
「ナギさんってぇ、昔は冒険者だったんですよね~?」
「ええ。この街で受付の仕事を始めたのは、三年ほど前からでしょうか」
「クールな受付嬢のナギせんぱいも素敵ですけどぉ、冒険者として戦うナギせんぱいもカッコいいんだろうなぁ~。悪いモンスターをズバズバーって!」
私が首を横に振ると、リホさんは納得がいかないといった風に「え~」と漏らした。
「残念ながら、リホさんの期待には沿えませんよ。私は、私たち姉弟は冒険者として生きるにはどうしようもなく弱かった。力も心も、強かさが足りなかった」
「……えっとぉ、弟さんも冒険者だったんですかぁ?」
「ええ、姉弟でパーティを組んでいましたから。弟とは、昔から何をするのも一緒で。寂しがり屋なんです。いつも、私の後を追い掛けてくる」
「ほぇ~。なら、そのうち弟さんも受付嬢になるかもですねぇ」
「それは良いですね」
姉の私から見ても、弟は可愛らしい顔立ちをしている。受付嬢の制服もさぞ似合うことだろう。
自分ではくすりと笑んだつもりだったが、すっかり錆び付いてしまった口角は、上手く動いてくれなかったらしい。
痙攣したように震える私の口元を見て何を勘違いしたか、リホさんは慌てたように「そっ、それより!」と話題を別の方へと逸らした。
「冒険者を引退してからたったの三年で、ギルド職員のトップになるなんて。やっぱり、憧れちゃうなぁ~ふへへ」
「大げさですよ。私はリホさんよりほんの少し『先輩』なだけで、目の前の仕事を淡々と片付ける術を知っているだけです」
「えー、そんなことないですよぅ。だって、ギルドマスターだって『全部ナギ君に任せておけば安心だガハハ』って言ってましたよ~」
「それは……、あの方がいい加減なだけですから」
ギルドマスター評について、もう少し棘のない言葉を探してはみたが、結局「いい加減」よりも柔らかい言い回しは思い付かなかった。
依頼主との金銭面での契約交渉、イグドラ教会へと納める魔石の管理と帳票作成、冒険者の昇格手続き、指名依頼の各種手続き……。
ギルドマスターの手を離れてから紆余曲折を経て、私一人が担うようになった仕事は多い。本人曰く「計算が必要な仕事と、書類を何枚も作成しなければならない仕事と、責任の伴う仕事はやりたくない」とのこと。
とはいえ、彼のいい加減さがあってこそ、私は思うまま自由に動くことができているという現状もある。今日までなんとかやってこれたのも、彼のおかげだ。
「感謝していますよ、ギルマスターには。私のような女に対しても、分け隔てなく接してくれますし。仕事ぶりを評価されるのも、頼っていただけるのも、悪い気はしません」
「……たぶんですけど、陰でほくそ笑んでますよ、あの人。ナギせんぱいって意外と隙が多いから~」
「? どういう意味でしょう」
「悪い男の甘~い言葉に騙されて、ずーっとソイツの言いなりになっちゃうような~。そんな感じですよぅ」
「そんな、騙されるわけが……」と否定しかけたところで、目の前のテーブルの上にサッと大きな人影が伸びてきた。
給仕が料理を運んできたにしては早すぎる。ならば、命知らずの酔客がちょっかいを掛けに来たのかと顔を上げてみれば、そこには見知った冒険者の顔があった。
リホさんが「げ」と、大層嫌そうな表情で非常に迷惑そうな声を漏らす。
「あ、あの。お疲れ様っす! ナギさんっ! ……と、リホちゃん」
「こんばんは。エリックさん」
田舎の爽やかな好青年、といった風体の彼はエリックさんという。つい半年ほど前にこの街へと流れてきた、新人の冒険者だ。剣や胸当てなどの装備は真新しく、所作も初々しい。
人の入れ替わりが激しいのが冒険者という職業だ。当然、接点の少ない新人ほど印象は薄くなる。
だが、彼のことはよく知っていた。他の冒険者たちと違って、妙に私にばかり声を掛けてくるからだ。物怖じしない性格なのだろうか。
リホさんが唇を尖らせながら、エリックさんの方を睨み付ける。
「こんばんは~。エリックさんって、“お父上”の依頼にくっついて、かなり遠くの地域まで出張ってたじゃないですかぁ。どうしてここに~?」
「お。依頼のこと、よく覚えてたねリホちゃん。……って、そりゃそうか」
「それ、受付したの私ですもん~。ナギさんが契約持ってきた、難度Aの依頼でしたよね~?」
「ええ、そうです。丘陵地帯のサイクロプス討伐でしたね。半月は掛かる見込みでしたが……」
「は、はいっ! “親父殿”が張り切ったもんで、すげー早く終わったんすよ! それで、ついさっきエステルまで帰ってきて――」
エリックさんは額の汗を腕で拭うと、顔を手で扇ぎながら早口に捲し立てた。
「ちょっと疲れたから俺は一人で酒でも飲もうかなーって、いや、そしたら偶然! ここの店の前を通りかかりまして、なんか美味しそうだなーこの店、なんてフラリと立ち寄ったらですよ、いやホント偶然ってあるもんすね、まさかナギさんたちとばったり顔を合わすなんて!」
「そうですか」
「いや、だからホントに他意とか全くないんですけど、良かったら、偶然の出会いを祝して俺もナギさん……二人と同席させてもらえたらなーっ、なんて! ははは」
「は、はあ……」
そうまでして偶然を大事にしたいものかと、彼の勢いの源泉が分からずに私は首を傾げる。すると、テーブルの向こうから身を乗り出してきたリホさんが、私にそっと耳打ちをした。
「ナギせんぱい、騙されちゃダメですからね~。あれの相手をしたって、きっと何も良いことありませんから!」
そこまで否定するほど、身構えなければならない相手だろうか?
赤い顔をしたエリックさんが、チラチラと私を見ている。
確かに、彼の「ウガルゥの“息子”」という肩書きは、警戒に値するかもしれないが――。
久しぶりに5000字超になってしまいました。