オカルトカルト
私、進藤素直は信じられない物を目にしています。
高校最初のテストはすでに返却が終わり、本館1階廊下にある学年掲示板には校内順位がでかでかと貼り出されていました。
私がフラフラとおぼつかない足取りで掲示板まで近付くと、さーっと人波が割れました。居合わせたみなさんが、私のことをジロジロと品定めするように眺めてきます。ひそひそと囁くように、私のことを噂しています。
ですが、それすら些末なことに感じてしまうほど、私は狼狽していました。
貼り出された順位を、上から舐めるように目で追っていきます。
1位:兵頭枝織(C組)
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12位:進藤素直(C組)
「確認するまでもない。当然の結果だな」
左隣に立っていた兵頭さん(学年1位)が、眼鏡をクイッと指の腹で押し上げました。彼女曰く、それが一流のインテンリジェンスのみに許された勝利のポーズだそうです。
詳しくは知りませんし、今はその話は置いておきましょう。それよりも、目を凝らして息を呑んで思考を巡らせなければならない事実が掲示板には記されています。
『12位:進藤素直(C組)』
瞬きを何度もしてみましたが、その表記が揺れたり霞んだりすることはありません。
ちなみにですが、私たちの通う九世高校は島嶼部にあるひと学年12人の学校ではありません。街の中心部からは少し外れたところにありますが、同級生は120名前後いるはずです。
……。
さては、夢ですね?
その先の順位まで見ていくと、百木さん(20位)、湯月さん(37位)、八嶋さん(110位)……。
助けを求めて右隣の湯月さんへと顔を向ければ、彼女は「まぁ、こんなもんか」と安堵したように呟きました。そして、私へと柔らかく微笑みかけてきます。
「進藤さんホント頑張ったね。まさかあの惨状から大躍進するとは……。もしかして、ロキさんが裏で……? いや、それはないか」
「……」
「とにかく、良かったね。赤点回避どころじゃないし、これならお姉さんも納得してくれるんじゃない?」
湯月さんの「すごいね」に対し、私は曖昧に首を振るしかできませんでした。
やはり何かおかしい。私の順位だけ桁が一つ間違っているのでは……?
さては、ドッキリ。これはドッキリですね。
とすると、どこかにカメラが仕掛けられている……?
不安になってキョロキョロと周囲を伺うと、クラスメイトたちがキラキラとした視線を向けてきていることに気付きました。
「進藤さんマジ天才じゃん」
「ねぇ進藤さん! 今度、私に勉強の仕方教えてよ!」
「勉強以外も手取り足取り教えて!」
「結婚してっ」
私の不正を疑っているに違いない彼女らが、それはもう勢いよく詰め寄ってきます。どさくさに紛れて妙な提案が聞こえてきましたが、それはこの際どうでもいいのです。
ひ、ひぃっ! 許してくださいっ! 誤解なんです!
確かに、返却されたテストがどれも妙に高得点で、「あれ、これ1000点満点なのかなぁ?」とか疑ってたのは事実ですけど、しかし、これはあまりに過分な評価!
撮れ高は、撮れ高は充分(?)でしょう!?
早くネタバラシを……あれ、誰も「ドッキリ大成功」のプラカード持ってない!?
受け入れがたい真実と非科学的な結果に耐えきれず、私は長身の兵頭さんを盾にするようにその後ろに隠れました。
「す、すべてはこちらにおわす兵頭さんのおかげですっ! 兵頭先生! 兵頭塾頭!」
「うん。確かに進藤に学問のイロハを教えたのは、誰あろうこの私だな。はっはっは」
私のせいで矢面(?)に立つハメになったにも関わらず、兵頭さんは特に気にする素振りも見せず、むしろ腰に手を当てて高笑いしてみせました。かっこいい!
「うわ……」「うそ……」「うざ……」と兵頭さんの圧倒的カリスマの前に、おそらく私を取り囲んで袋叩きにしようとしていた皆さんが一歩距離を置きました。やっぱり兵頭さんはすごい!
実際のところ、兵頭さんによる一週間のマンツーマン授業+連日の一夜漬けがなければ、学年12位などという異次元の成績は得られませんでした。
なんならテスト期間が終わって兵頭塾を卒業するのに合わせて、苦楽を共にしてきた知識たちも一緒に卒業の日を迎えました。私の頭脳という学び舎には、もはや一人の生徒も残っていません。今のところ新入生が入ってくる予定もないので、廃校一直線。
よって、今の私はいつも通り、学年推定順位120位台の私です。振り出しに戻りました。私はペンです。「I am a pen.」。
「――なっ、なので、勉強を教わりたいのなら兵頭さんに聞いてください!」
「うん。そういうことだな」
「えっと、真の学年12位の座に相応しいのは、学年1位の兵頭さんだからです!」
「うん? そうはならんだろう。私の順位下がってるじゃないか」
「だから、結婚を申し込むなら、兵頭さんにしてくださいっ!!」
「うん!? 何故そうなる!?」
言いたいことは言い切りました。これにてお役御免です。邪魔者は退場します。
私は兵頭さんの背中へとガッチリしがみつくようにして、彼女の腰まで伸びる長髪の中にその身をすっぽり隠しました。
女子たちからは「うわぁ」とか「兵頭はムリ……」とか「何あれずるくない?」といった驚嘆の声が漏れ聞こえてきました。
「おい、湯月。私、何も言ってないのにフラれた感じになってるんだが。お前は仲間だろう、助けてくれ」
「ごめん。アタシも兵頭と結婚するのはちょっと……」
「これが四面楚歌!」
あ、あれ? おかしいな……。アピール、アピールが足りないんでしょうか。私は脳をフル回転させて、思い付く限りの賞賛の言葉を後ろから投げかけます。
「とにかく、す、すべて兵頭先生のおかげですっ! 兵頭先生と出会って、私は沢山のありがたいお言葉とパワーを頂きました! そのおかげで、私の学力は鰻登り。運気もアップして、友達も増えて、バイトも順調そのもの。ご飯も美味しくなって、ハッピーな毎日を送っています! ありがとうございます!」
「やめるんだ進藤。そのコメントはかえって逆効果だ!」
湯月さんが「胡散くせー車内広告みたいなこと言わせてる……」と呟きました。
すかさず兵頭さんが「言わせてないんだが!」と返しますが、それを聞いていたオーディエンスからは露骨な舌打ちと疑惑の視線が。
「兵頭ってヤバい奴なんじゃ……宗教でも始めたの?」
「進藤さんのこと洗脳して広告塔にしてる……」
「えっ、何それ絶対入信しちゃうやつじゃん」
この皆さんのネガティブすぎる反応……。やはり、私の人望と信用がないせいですよね、きっと……。
いいえ、諦めてはダメですよ、進藤素直。まだ言葉を尽くしていないだけです。もっともっとアピールすればきっと、みんな分かってくれるはず!
「兵頭さんこそナンバーワン! き、奇跡の立役者! 学問の神様!」
「進藤。お前が口を開くたびに周りの目が冷えていくんだが!」
「未来の総理大臣! 東洋の魔女! ……えっと、料理の鉄人! 収納の達人!」
「褒め言葉のバリエーションもおかしい!」
「あっと、クイズ王! それから、学問の神――はさっき言ったから、えっと――そう、神! あとは、神!」
「どんだけ神感出てるんだ私は! 待てお前ら、そんな目で私を見るんじゃない! 私は別に教祖になったつもりはないんだ!」
兵頭さんは「どうしてこんなことに」と、大層疲れたように息を吐き出しました。そして、妖怪のように背中に貼り付いている私の身体を、後ろ手に探り当ててぽんぽんと叩きます。
「お前が私の功績をアピールしたいのは伝わったから。もう何も言うな、進藤。それにだ、私はただお前に合った適切な勉強法を教えただけだ。どちらかといえば、何でもスイスイ吸収できた進藤の方が凄いんだよ」
「そんなことは……」
「ある。お前は自分の才覚を潔く認めるべきだ。あの短期間であれだけの量を暗記し吸収できる人間など、そうはいないのだから」
「認める、なんて……」
「いいか、この私が驚くほどの吸収具合だぞ。いくらでも知識を注ぎ込める様はまるで……そう、フレンチトースト。フレンチトーストを作っているかのようだった。それを上手に調理したのは他でもないお前だ、進藤!」
「ふ、ふれんちとーすと……?」
兵頭さんのウィットに富んだ回答を前に、周囲の女子たちは余計困惑を深めたようです。ただ一人、湯月さんだけが「ぶはっ」と吹き出していました。
……そして私はといえば、お昼ごはん前だったこともあって思考は完全に腹ペコモードに。
フレンチトースト。
そういえば、最近はほとんど食べた記憶がないんですよね。
忙しい朝用意するには下準備が必要ですし、焼き加減が難しいですし、洗い物もかなり増えますし。かといって調理の手間を省いたら省いた分だけ、明らかにクオリティが落ちてしまいますし。
でも、ちゃんとした物を作れたら、ものすごーく美味しい。
遠い昔に食べた一皿は、まさに完璧なフレンチトーストでした。
卵液をぎゅうぎゅうに染みこませて、ずっしり重たくなった厚切り食パン。
それをバターをひいた熱々のフライパンに落とせば、じゅわーっと小気味良い焼きのリズム。
キッチンから立ち上る甘い香りの中に、食欲そそるシナモンのスパイシーさをほんのりと加えて。
口の中に入れたなら、「トースト」という単語からはあまりにもかけ離れたフワフワ食感が広がります。
じゅるり。
おっと、思わず口の端からヨダレが垂れてきてしまいました。こんなはしたない姿、クラスメイトたちに見られなくて良かっ――。
ハッと気付いて、私は兵頭さんの背中から勢いよく顔を離しました。そう、私は今の今まで彼女の制服にピッタリと顔を貼り付けていたのです。
「あ、あう……」
アウト? セーフ?
その判定を確かめるまでもなく、さらりと流れ落ちてきた兵頭さんのアッシュグレーの長髪が、私が彼女の背中に残してしまったかもしれない犯罪の痕跡を覆い隠しました。
呆然と立ち尽くす私。振り返った兵頭さんが、そんな私の両肩をがっしと掴みました。
「お、ようやく分かってくれたか、進藤。さぁ、彼らのあらぬ誤解を解いてくれ。真実を話すんだ。順位は自分の力で勝ち取りました、兵頭枝織はヤバい宗教家ではありません、と!」
「あうあうあ」
「何もかも潔く認めてしまうといい。その方が楽になれるはずだ。さぁ!」
その表情は真剣そのもの。朗々と語られたその台詞もあいまって、まるで二時間ドラマの刑事役のように感じられました。
実際、ヨダレベタベタ容疑者の私は動揺を隠しきれませんでした。膝からその場に崩れ落ち、項垂れます。すべてを見透かされた私が言うべき台詞は、もはや一つしかありませんでした。
「……罪を、認めます……。愚かなこの私を……許してください……兵頭先生……」
私が床に手をついて謝罪すると、掲示板前には一瞬の静寂が広がりました。
「やっぱヤバい宗教じゃん……」
兵頭さんもまた膝から頽れ、湯月さんがお腹を抱えて笑う声だけが廊下に響き渡りました――。