★フィルティア
クラーケンの脅威が去った後、私たちの船はやっとの思いで目的地の港へと辿り着いた。
「ほら、フィルティア! 着いたぞ。降りるぞ!」
バンチさんに声を掛けられた私は、デッキに伏せていた状態からのそりと起き上がる。
心身共に疲れ果てた身体のまま船から転がり出て、私はようやく久方ぶりの大地に立った。ギルドマスターであるバンチさんの肩を借りながら、というかほぼ引き摺られながらだけど。
港には多くの人間が集まっていた。屈強な身体付きの男たちは、船の荷下ろしのために集まった商会の人間だろう。遠くに見える女たちの一団は、海の仕事から帰ってくる夫を待っていた妻や娘だろうか。
私たちと苦楽を共にした船員たちが、船を下りて彼らの元へと駆け出す。互いの無事を確かめあうように、家族は抱き合ってその再会を喜んでいた。中には、涙を流している者もいる。
無理もない。と私は先ほどまで自分も乗っていた、その頼りない船を見上げた。
木製の船体にはクラーケンに締め上げられた跡がくっきりと残っている。マストは折れ、帆にはツギハギが目立つ。見た目にも損傷は激しく、バラバラにならずに海に浮かんでいたことすら奇跡的な状態だった。
通りがかった他の船が牽引してくれなかったら、私たちはみんな仲良く海の藻屑と化していたことだろう。
「オイ、聞いてくれよ! 俺たち、戦乙女様に会ったんだ!」
「奇跡だ! 奇跡が起きたんだよ!」
「噂は本当だったんだ……。黒髪の戦乙女様は、やはり実在したんだ……!」
船員たちは口角に泡を飛ばしながら、その戦いの顛末を港に居合わせた者たちに語って聞かせている。
それを耳にしながら私は、とてつもない疎外感と喪失感を覚えていた。目尻から落ちた涙の雫が頬を伝っていく。
それに気付いたバンチさんが、ぎょっとした顔で慌て始めた。
「おいおいおいおい! 泣くなよ、フィルティア。お前の嫌いな船旅が、ようやく終わったんだぞ? もっと喜ぼうぜ」
「喜べるわけっ……! ないだろっ……!! ぐっううぅううう」
私は顔を覆って泣いた。泣きわめいた。
海の上では吐き気が勝っていた分、感情にきちんとフタをできていたのだ。それが、地上に降り立った途端に外れてしまった。今まで我慢していた分、一気に決壊してしまったのだ。
「うわああーーーーーん!!」
「分かったから。分かったから、な? 戦乙女が凄いんじゃない、お前の魔剣のおかげでオレたちは助かったんだよ。お前は凄い奴だ。だから、な?」
「ぁぁぁあああーーーん!! グラムぅ!! グラムをかえしてぇええっ!!」
バンチさんが私を慰めようと背中を優しくぽんぽんと叩く。でも、その度に背負っていたグラムの鞘がカチャカチャと揺れて、私は余計悲しくなってしまった。
「まぁ、あの子。きっと、グラムという名の恋人を亡くしたのね」
「まだあんなに若いのに。かわいそう……」
などと事情を知らない人々の視線が集まっていたけれど、私は構わず大声で泣き続けた。
◇
ひとしきり好奇の目に晒された後は、船長さんの厚意で街のお高い宿に部屋を用意してもらった。
「お嬢ちゃんが頑張ってくれたから、俺たちは今日も飯を食える。戦乙女様だけじゃなくって、アンタとバンチさんにも本当に感謝してる。命の恩人だよ」
その後も、色んな船員たちから慰めの言葉を貰ったけれど、そのどれもこれもが私の耳には届かなかった。
あれから五日経った。
バンチさんは聖都からの召喚命令もあるので、一足先にこの街を旅立った。
一方私は、今日も宿のフカフカのベッドに寝転びながら、何をするでもなくぼーっとしている。
開け放たれた窓からは時折、潮の匂いが混じった海風が吹き込んでくる。船上を思い出して顔をしかめる私とは対照的に、天井から釣り下がる海鳥のオブジェは気持ちよさそうに風に乗って揺れていた。
この世界にやって来てからというものの、私の人生は順風満帆そのものだった。
それもこれも魔剣グラムがあったからこそだ。世界最高の武器が手元にあるという安心感、自分は神によって選ばれた存在なのだという自負の念、人類の守護者たる圧倒的使命感。それらすべてを担保してくれていたのが、あの神器であった。
それを失った今、この私に何ができるというのだろう。
久しく味わっていなかった挫折感と不条理の波に、私は溺れそうになっている。
前世の私は普通の女子高生だった。人に誇れるような特技なんてなかったし、とりわけ美人だったわけでもない。友達はほどほどにいて、好きな人はいたけど彼氏はいたことがない。とりたてて不幸なことはなかったし、自慢できるほど幸福でもなかった。
そんな特に起伏のない人生を送ってる最中、私は暴走したトラックに轢かれて、あっけなくその生涯を閉じた――はずだった。
『古田愛。貴女を特別に、私の異世界へと招待しましょう』
光満ち溢れる不思議な空間で、私はあの神にそう言われた。
行く先は剣と魔術の世界。モンスターが蔓延り、人々が救いを求める世界だと。
『今日から貴女は私の戦乙女、このヘズの代弁者です。貴女に与えるのは特別な“力”。その力を使いこなし、より多くの人々を救うのです』
『私が……戦乙女……? 力って、強力な武器とか……?』
『望むままにイメージするのです。あなたにとっての、最強の形を――』
そんなやり取りを経て、私は異世界転生をした。
つまらない古田愛の人生は幕を閉じ、神に祝福された輝かしい人生が幕を開けたのだ。
村娘フィルティアの身体に乗り移った私は、運命に導かれるように、故郷の村外れにあった祠へと足を運ぶ。私の来訪を待ちわびていたかのように、そこには私が思う最強の形、私のために用意された武器――魔剣グラムが安置されていたのだった。
魔剣使いとして成長した私は冒険者となり、多くのラノベ作品と同じように、周囲が度肝を抜くような活躍を見せ続けた。誰もが私に喝采を送り、誰もが私を褒め称える。自尊心と自己承認欲求とが、絶えず満たされていく快感。
ハッキリ言って、サイコーの気分だった。
美人で、クールで、強くて、沢山の人から頼られる。
世界の主人公、私だけが主人公!
私を称賛する者だけと交流し、私を否定するモブはみんなやっつけてオーケー!
まさに理想の人生だった! 理想の人生だったのに――。
「なんなんだよ、もう……」
突如として私の前に現れた、あの少女!
私よりも美人で、私よりも遙かに強いアイツ。私のグラムを壊しやがった、あの女子高生!
アイツの目的はきっと、私がせっせと築き上げてきた黒髪の戦乙女信仰を奪うことだったんだ!
「かえしてぇ……っ。私のチートライフかえしてぇぇっ!!! ううぅぅぅぅ」
どんどん落ち込んでいく気分を慰めるように、私は柔らかいベッドを何度も何度も叩いた。
こんなにも私が苦しんでいるのに、ヘズ様は何も応えてはくれない。
次回から別のお話
※ネット小説大賞の一次選考ですが、いつの間にか通過してました。
てっきり、お祈りメールとか届くものだろうと思ってまして……