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全部水に流しましょう?

 女子がトイレに一緒に行きたがるときは、何か相談事があるときだと相場が決まっている。さすがに女子歴十六年ともなると、このぐらいは慣れっこなので驚きはしない。


 驚いたのは、それをロキ神がやったことだ。見た目美少女のこの存在をはたして女子のカテゴリーに入れて良いのかは、はなはだ疑問だが。そして、おそらく持ち込まれる話題はロクでもない内容に違いない。


「……とりあえず、簡単にシミ抜きだけやります?」


 二人で抜け出した理由を先に片付けて、それから時間の許す限りゆっくりお話かな……。

 そんな風にプランを練っていたアタシに対し、ロキさんは「お気遣いなく」とだけ返事した。


 彼女は左手でスマホを器用に操作してから、右手で指をパチンと鳴らした。

「え、異世界転移っ?」と身構えたアタシだったが、幸いなことに、身体も精神もお手洗いから離れる気配はない。

 それでも何か違ってる部分があるのではと、アタシは間違い探しを始める。が、開始五秒で出題者が答えを教えてくれたので、楽しくもなんともなかった。

 ロキさんがちょこんと摘まんだ制服には、さっきまであったはずのシミが綺麗さっぱり消えている。


「便利ですね神パワー。ウチの洗濯までお任せしたいくらい」

「ほう。衣類の汚れとキミの命、落とすならどっちを選択する?」

「……ちょっと洗浄力強すぎません?」


 お互いの扱いが日に日に雑になっていってる気がする。明らかにパワーバランスの悪い関係性なので、アタックを選択されないようにもう少し気を付けようかな……。


 とにかく、前置きは良いから本題に入らねば。

 アタシの心を読んだようで、ロキさんは小さく肩を竦めた。彼女は洗面台の縁に両手を付いて、鏡越しにアタシの顔を見つめてくる。


「……二時間ほど前、神器アーティファクトの話はしたよね」

「はい。進藤さんが来る前に聞きましたね」

「さっき、スナオがクラーケン相手に投げた剣なんだが……」


 まさか、あれが――?

 ロキさんはアタシにも大変分かりやすいように、大きく溜め息を吐いた。


「あれは正真正銘、本物の神器だ。氷の魔剣『グラム』」

「……それマジ?」

「マジ」


 ……。

 いくら知らなかったとはいえ、進藤さんそんな大層な代物を海に投棄しちゃったの……。いやいや、他人事じゃない。アタシもバッチリ投げるのアシストしちゃってたよ……。


「スナオの『ミストルティン』は強力な技だが、それでも近接技の『グングニル』より威力面でも技術面でも遙かに劣る。あのクラーケンの巨体をたった一射で貫くなど、本来ならありえないことなんだよ」


 進藤さんが「倒さなくていいのか」を尋ねたとき、ロキさんは「倒せるものなら」という趣旨の回答をしていた。彼女が進藤さんの実力について、正確に把握していないはずがないのだ。つまり、神器を使ってまでの討伐は想定外だった。


 そこで思考の矛先は、あの神器の持ち主のことへと飛んだ。

 神器とは、神様が人間に与える道具であり、所有物であることの証明。大抵は転移・転生させたお詫びとして渡される――。

 ということは、あの神器を持っていた女冒険者の正体は。


「フルタ・アイ。あの世界での名はフィルティア。ちょっと痛い方向にあの世界と順応してしまった、ありきたりな転生者だよ」

「……マ?」

「マ」


 ロキさんは手元のスマホにパパッと文字を打ち込むと、後ろ手に画面をこちらへ見せてくる。メッセージアプリの文字入力欄には「古田愛ふるたあい」という漢字が表示されていた。

 妙に見覚えのある名前だ。つい最近、朝の情報番組でそんな名前を見たような……?


 とにかく、彼女の神器をポイ捨てしてしまったという事実だけが明らかになった。


 仕事前、ロキさんとフードロスの話をきっかけに一瞬ピリついたことを思い出す。ここで「いや、神器とかそんなんアタシ知らなーい」と返すのは、無責任のブーメランが帰ってくる気がする……。


「え、えーと……。そ、そうだ! 作り直しすれば良いんですよ、作り直し。漫画やアニメでもよくあるじゃないですか、武器新調によるパワーアップイベント! ……その、新調する理由が、アレですけど」


 そう身振り手振りしながら提案してみたものの、なんとなく答えは見えていた。


「残念ながら、それは無理な相談だ」

「ちなみに、どうして出来ないんですか……?」

「その一、神器は原則一人一つまでだから。神器というやつは、ボクら神々のルールの内側にある。使いようによっては神殺しすら可能になる力を、キミら人間に簡単に貸し出すわけにはいかないんだよ」


 それはつまり、アタシの『Hugin』も使いようによっては……。

 って、ムリムリ。ブサイクカラスは向こうの世界のアバターだ。いくらアタシがスマホを振ったところで、こっちの世界に飛び出してくるわけがない。仮に召喚できたところで……あの小さなクチバシで、ロキさんの顔をペシペシ突けばいいのだろうか。


 げふんげふん、とわざとらしくロキさんが咳払いをした。アタシはその場でホールドアップして、話の続きを促す。


「その二、フィルティアを転生させたのがボクではないから。というか、ボクは転生者なんか一度も送り込んだことないよ。面倒くさいし」

「へ?」

「だから、言っただろう。『極力、転生者なんて送り込まない方が良い』と。というわけで、ボクは彼女に対する一切の権限を持っていない」


 そういえば、そんなこと言っていたっけ。カレー粉の喩えを使って。

 つまり、カレー粉を掛けたがる神様は――。


 アタシの口から浅い呼吸が漏れた。とても嫌な予感がする。


「ご明察。あの子は、()()()()()()()()


「ヘズ」という神の名を、アタシは知っている。

 彼もまた北欧神話の神だった。主神オーディンの息子の一人で、盲目の戦神。アタシはそれをネットの検索で知った。


 ロキさんからは異世界のもう一人の管理者だとしか聞かされていなかったが、彼らの因縁はそんな薄味ではない。

 神話の中、盲目のヘズはロキに騙されたせいで、実の兄バルドルをヤドリギの枝で刺し殺してしまう。訳も分からず罪を負わされた彼はその後、父オーディンの差し向けた別の神の手で殺されてしまうのだ。


 以前ロキさんは「ボクは嫌われているから」なんてヘラヘラしてたけれど、ヘズ神の感情がその程度で済んでいるとは到底思えない。アタシが同じ立場だったとしたら、殺したいほど憎んでいるはずだ。


 まずい。これ、とてもまずいのでは。

 前世で自分を騙した憎きロキの野郎が、今度は自分の大事にしてる女にまでちょっかい出してきた。結果だけ見れば、そう受け取られてもおかしくはない。

 では、その実行犯であるアタシたちは? 軽く見積もっても死刑かな……。


「ど、どうします! 全力で謝ります!? 土下座って北欧神話でも通用しますかね!?」

「そうだな……」


 ロキさんは顎に手をやって、鏡に向かって何事かブツブツと呟く。何か考え事をしているようだ。

 心配になって声を掛けようとしたところで、彼女は突然口元を大きく歪めた。肩を小刻みに震わせて、押し殺した息を漏らし始める。

 やがて鏡にくるりと背中を向けたかと思うと、お腹を抱えてくつくつと声を上げながら笑い始めた。


「ちょっ、笑ってる場合ですか!」

「くっくっく! だって、こんなに愉快な話があるかい!? 彼に対するこれ以上の嫌がらせはないよ! あっはっは!」


 呆気にとられるアタシの前で、彼女は目元に溜まった涙を指で拭った。


「ま、ヘズ君には適当に誤魔化しておくよ。運命シナリオは予定と大きく変わってしまったけれど、それもまた一興さ」

「本当に、大丈夫なんですか? なんか、後から天罰が下ったりとかは……」

「彼自身がキミに直接手出しをするようなことはないよ。キミがこのロキ神の所有物である限りはね。怒られるのはボクだけかな、くくくっ」

「それならひと安心……で、片付けてしまっていいのかな……」


 なんとなく不安は残るが、今は彼女の言葉を信じるしかない。アルバイトが失敗した責任を雇用主が負う、というのは普通の仕事なら当たり前の話なので、神様の間でもそういうルールが通用することを願うばかりである。


「あ、もちろん。スナオには諸々内緒で頼むよ。あの子が必要以上に責任を感じて、上手に仕事をこなせなくなる方がまずい」


 今回のことでより一層、アタシと進藤さんはこのアルバイトから離れづらくなったのではないだろうか。

 ロキさんの庇護下にある限りは安全だということは……。裏を返せば、アルバイトを辞めると宣言した瞬間、一直線にトラックが突っ込んできてもおかしくはないという意味でもある。


『Hugin』をもらってから、ちょっと浮かれ気分になってたのも否定できないが……。自分がどんどん深みにハマっていってることを、アタシは今さらながら自覚していた。


「うーん! 今日は気分が良い。ユズ、デザートでも奢ってあげるよ。スナオと一緒に何がいいか考えるといい……」


 アタシの返事を待たずに、ロキさんは知らない歌を口ずさみながらお手洗いの扉を開けて、進藤さんの待つ席へと戻ってしまった。


「なんなんだよ、もう。はぁ……」


 ふらりとよろけてしまった身体を、洗面台の縁に手をついて支える。なんだか落ち着かない気分を鎮めたくて、アタシはひんやりと冷たい水で何度も手を洗った。


洗濯めんどくさい

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