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★氷結剣、旅立つ

 ……ともかく、呆けている場合ではない。


 少女とカラスが騒がしくも理解できないやり取りを続けている間に、オレは倒れていた船長を助け起こし、動揺している他の船員たちにも声を掛けた。


「バンチさん、あの娘は一体……。それに、鳥が喋って……」

「確かな事は分からん。だが、少なくとも敵じゃない。考えるのは生き残ってからでも遅くはないはずだぜ」


 あの少女――シンドーがその圧倒的な武力で撃退したとはいえ、クラーケンはまだ斃れてはいない。

 今のうちに、この海域から離れなくては。そもそも、船員と船体の両方にダメージを負いすぎたこの船で、どこまで航行できるのか分からないのだ。


 船長の指示の下で再び船尾付近に整列した船員たちは、今度こそ風の魔術を発動させた。合図と共に一斉に放たれた魔力が、マストに対して斜めの追い風を生じさせる。推力を得た船は木材の軋む音を残しながら、それでも確実に進み始めた。

 ゆっくりと、クラーケンの潜む海域が遠ざかっていく。このまま追ってくれるなよ、と祈るしかない。


 奮闘する船員たちを横目に、オレは先ほどから固まったままのフィルティアへと歩み寄った。

 彼女の目もまた、シンドーとカラスへと釘付けになっていた。


「アレ、この前のカラスだよね……? まさか、だって、神に選ばれたのは私だけじゃ――」


 魔剣を力無く抱きしめながら、彼女は青ざめた表情を浮かべていた。彼女の濡れた肩を強く揺すってやると、ようやくその憔悴しきった顔をオレの方へと向けた。

 どこかその様子に違和感を覚えるが、あいにく気にしている余裕はない。


「オイ、ゲロ娘。いつまで呆けてやがる。まだ戦いは終わってないんだぞ!」

「あ……」

「色々腹ん中がぐるぐるしてるのかもしれねぇ。だが、今は我慢しろ。飲み込め」

「でも……」

「しっかりしろ“氷結剣”! オレはどこの誰とも分からん小娘より、お前を頼りにしてるんだ」

「……すみません、ギルドマスター」


 フィルティアは何かを堪えるように、ぐっと口元を真一文字に結んだ。

 それでいい。いい加減、船酔いくらい克服しやがれ。

 ギルドマスターらしい説教が一段落したところで、再び、船体が大きく波に揺れた。


「チッ、やっぱり逃がしてはくれねえか……」


 航行する船の真横にぴったり張り付くように、巨大な影が海中を泳いでいる。

 徐々に盛り上がっていく海面の奥で、巨大な二つの瞳が光った。狙いはおそらく――。


「嬢ちゃん! クラーケンがまた来るぞッッ!!」


 シンドーはオレの叫びに気付くことなく、依然として手に乗せた小カラスと戯れていた。

 ……どうやらオレは、説教するべき相手を間違えていたらしい。


「もしもし、もしもし? 湯月さん、ロキさんとそっちで何を……」

『!? ねえ、進藤さん! あのお爺ちゃんが何か叫んでるけど!』

「誤魔化さないでください、本当のことを言ってください。やっぱり、二人は仲が良すぎるんじゃ――」

『いや、ちょっ、シンドーさん後ろ後ろ!!』

「えっ」


 振り向いたシンドーが体勢を整えるよりも早く、素早く伸びたクラーケンの二本の足が彼女の身体を捉えていた。今度は拳を構える暇もなく、彼女はいともたやすく敵に捕まってしまう。諸手を挙げた体勢のまま、両手両足を封じられるような格好で。

 クラーケンの攻撃が届く寸前、シンドーは両手に収まっていたカラスを天へと放り投げていたのだろう。触手に締め上げられる彼女の頭上で、その小さな黒鳥はぐるぐると旋回を続けていた。


『シンドーさん、大丈夫!?』

「だいじょばないです。腕が抜けません。……おっと!」


 シンドーの身体がずるずると音を立てて、船縁の方へと引き摺られて行く。

 彼女への復讐に燃えるクラーケンは、自身にとって有利な海中での戦闘を選んだらしい。

「行くぞフィルティア!」

「はいッッ!!」


 オレがフィルティアの名を叫ぶのと同時に、彼女は動き出していた。迷いを振り払うように、魔剣を下段に構えて甲板を駆ける。海中から伸びる二本の足を切断する為に。

 オレもまた老骨に鞭を打って、彼女の背中を追って走り出す。


 ――が、その直後、腹部に強烈な痛みが走った。


 痛みの発生源に目をやれば、脇腹にぶつかる一本の太い触手があった。


 海上からの奇襲。まさか自分目掛けて飛んでくるとは。

 予想外。いや、それでも昔なら問題なく反応できたはずだ。

 説教されるべきはオレだった。ただの実戦離れ。原因は。


「ぐッ……」


 まとまらない思考が千々と消え、オレは血反吐を吐きながら船上を転がる。

 クラーケンの奴、切られ裂かれて残った三本の足の、その最後の一本をオレに寄越してくれたらしい。なんとも光栄な事だ。


 ――だが、それは選択ミスだ。


「はあああああッッ!!」 


 掛け声と共に魔剣を振りかぶったフィルティアを、海上から高速で発射されたクラーケンの“墨”が襲った。

 倒れ伏すオレの視界を横切るように、半身を黒に染めたフィルティアが吹っ飛んでいく。そのまま船縁を飛び越えて、彼女は再び真っ逆さまに海上へと落ちてしまった。


 だが、一瞬だけチラリと見えたフィルティアは……。


「『刺し貫く絶対零度(ニブルヘル・ゼロ)』」


 その吐瀉物と墨に塗れたヒドい顔で、ニヤリと笑っていた。


 攻撃を受けた際に彼女の手を離れた魔剣が、回転しながら宙を舞う。フィルティアの魔力が込められたその刀身を、極寒の冷気で厚く纏いながら――。


 やがて、慣性に従って落下してきた魔剣グラムが、シンドーを拘束するクラーケンの二本の足を縫い止めるように突き刺さった。


 魔力を帯びた切っ先から冷気が漏れ、そこから凍結が広がっていく。

 弾性を失った足はバキリと折れて、シンドーの両手両足が自由になった。


「その魔剣を使え! 嬢ちゃんッ!!」


 オレは力一杯叫んだ。

 彼女が本当に本物の戦乙女ヴァルキリーなのだとしたら……。きっと、フィルティアと同等かそれ以上に魔剣を使いこなすことができる。オレにはその確信があった。


 シンドーは床に刺さる魔剣を引き抜いて、その柄の部分を逆手に握り込むと、その切っ先を海中のクラーケンへと向けた。


 彼女の白銀のガントレットが、緑の魔力光を放って輝きだす。今度は刀身を覆うように、その膨大なエネルギーが魔剣グラムを包み込んでいった。


『進藤さん、敵の核はもう少し左……そこだよ!』


 上空を飛ぶカラスの指示に従って、シンドーは腕の角度を調整。

 身の危険を察知したクラーケンは再び海深くへと潜って身を隠そうとするが、もう遅い。


「『みすとるてぃん』っ!!!」


 ピン、という風切り音と共に投擲された魔剣が、大海の一点に大穴を開ける。


「――~~ッッ!!!!?」


 その切っ先は、驚愕の色を浮かべたクラーケンの頭部を正確に捉えていた。

 魔力弾の核となった剣が、奴の柔らかい身体の奥へ奥へと突き刺さっていく。シンドーによって込められた膨大な力に耐えきれなかったようで、砕け始めた氷の魔剣はその身を散らしていく。

 そうして生まれた雪の華すらも巻き込みながら、魔力弾はクラーケンの巨体を食い破り、そのまま海中を貫くように進んでいった。その軌跡が描いたのは、海面から海底を覗く見事な一直線のトンネルだった。


 クラーケンの巨体が端から黒い霧となって消滅し始める。

 止まっていた時が動き出したかのように、突如として空いた大穴へと周囲の海水が流れ込んでいく。


「やった、倒せました……!」

『やー、良かったぁ。一時はどうなる事かと……』


 シンドーとカラスは顔を見合わせ、ふふっと息を漏らした。

 やがて、一人と一匹の身体は暖かな光の粒となって消えていく。


『あ、忘れてた。船の皆さん、安心してください。さっき近くの海上にいた船に、この船のピンチを伝えてきましたから。その人たちが皆さんの助けになって――』


 カラスの言葉を最後まで聞き取ることは叶わず、彼女たちの身体は天に還ってしまった。

 船上のオレたちは、その光景を黙って眺めることしかできなかった――。



 ◇



 しばらく経った頃、船員たちが海上に下ろした縄ばしごを伝って、ずぶ濡れのフィルティアが船に戻ってきた。ほっと息を吐いてから、何かに気付いて甲板をぐるりと見渡す。


「え、あれ。私の魔剣はどこだ……? 魔剣グラム……」


 全員が思わず目を逸らしてしまった。


「あの、ギルドマスター。バンチさん! 私の、私のグラムは……?」

「……神のみぞ知る、だ」

「!???? どういう意味っ……グラムぅ! わた、わたしの()()()()はどこっ!!?」


 フィルティアに激しく肩を揺すられながら、オレは深い深い海の底へと思いを馳せた。

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