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★氷結剣、華麗なる戦い

 海は穏やかなもので、旅路は順調だったと思う。

 船長はあくまでもオレたちのことをゲストとして扱いたいらしく、船内作業を手伝う機会には恵まれなかった。

 手持ち無沙汰のオレは船上からの景色を堪能したり、休憩中の船員と言葉を交わしたり、死にそうなフィルティアに水を飲ませてやったり、特にする事もなくダラダラと過ごしていた。


 だが、平穏というものは往々にして、苦難の前触れだったりする。


「む……?」


 オレと立ち話に興じていた船長の表情が、不意に曇った。天を衝くように伸びる三本のマストを見上げて、大きく目を見開く。

 彼は甲板を行き交う仲間の一人の声を掛け、何事か早口に指示を出し始めた。指示のなかった他の船員たちも、慌てた様子で一斉に動き始める。


「どうかしたのか、船長」

 オレが声を掛けると、彼は苦り切った顔をこちらへと向ける。


「凪……、この海域で?」

「ああ、言われてみれば確かに。急に風が止んじまったな」


 船の縁を掴んで、確かめるように海上を眺める。海の底から浮かんできた泡がぽこっぽこっと海面で弾けるのを、オレは視界の端に捉えた。


 素人目には景色の流れる速度が落ちたようには見えないが、風がない以上、今は慣性の力のみで進んでいるんだろう。

 この貨物船にはオールが付いていない。より多くの積み荷を乗せる為に、船底には大きなスペースを確保しなければならないからだ。つまり、潮の流れと風の力を借りられなければ、船は立ち往生してしまう。


 となれば、次は魔術の出番だ。船尾から数人同時に風の魔術を放つ事で、人工的に推力を得る。もっとも、半永続的に風を送り続けることは困難であり、船員たちの体力消耗も激しいため、この方法は最終手段ともいえる。


「すぐに風を起こせーーッ!」


 だが、船員たちは迷う事なく、いきなりその最終手段を行使しようとしていた。船長の指示で選ばれた何人かが、ぞくぞくと船尾へと集まってきている。そのうちの一人が、ぐったりしたままのフィルティアをオレの側へと運んできてくれた。


「ぉ……ぷ……急に、どうしたんですか……ギルドマスター……?」

「さぁな。オレにもさっぱりだ」


 フィルティアは甲板に頭を擦りつけるようにして這いつくばっている。オレは彼女を無視して、声高に指示を飛ばす船長へと顔を向けた。


「なぁ、船長。魔術の力を借りるにゃまだ早いんじゃあないのか。速度は確かに落ちたけど、船はまだゆっくり動いてるんだぜ?」

「いいや、違う。違うんだよバンチさん……!」


「一体何が――」と言いかけたオレを遮ったのは、小刻みに揺れ出した船体だった。


 地震……? なんてぼんやり考えかけてから、ありえないと首を振る。

 上下の振動にやられたらしいフィルティアはまた膨らんだ口を押さえているし、船の縁から覗く海上は、無数の泡が浮かんで白く見えた。


「先代が言ってたんだよ! 『急に風が止んで、海面が泡立ち始めたら――』」


 狼狽する船長の言葉に呼応するように、今度は大きく船が横に揺れた。「うぼぁ」という、すっかり聞き慣れた嗚咽が耳に入ってくる。

 ビタン、ビタンと船体に巻き付くように、何かの触手が目に飛び込んできた。

 海の底から這い上がってきた黒い影が、海面をざばりと押し上げてその姿を現す。大きな波が船上のオレたち全員に襲いかかってきた。


「く、クラーケンだぁっ!!」


 誰かが叫ぶ。

 巨大な水棲モンスターが、その黒い眼で品定めをするようにオレたちの事を見ていた。


 なんて大きさだ!

 海面から覗くその三角形の頭だけでも、俺たちの乗る貨物船とそう変わらない。船体に絡みつく奴の触手は、人間の胴くらいの太さがある。


 ミシミシと、木材の軋む音が聞こえてくる。その巨大な足で船を真っ二つに割り、海へと落ちたオレたち全員を喰らうつもりのようだ。

 クラーケンが目を釣り上げて細める。笑っていやがる。


 ――上等だ。


「船長、まずは船に絡まってる足をぶった切るぞッ!」

「あ、あぁ! お前ら、剣と銛を取れ! 全員で応戦だ!」


 船長の合図で、放心していた船員たちが動き出す。それぞれが武器を手に手に、手近な足を攻撃し始めた。

 だが、あの太さだ。そして、不規則に揺れる足場のせいで上手く力が掛からない。切断にはいくばくかの時間を要するだろう。


 当然、クラーケンとてそれをただ待つはずもない。

 海上から飛沫と共に新たに二本の足が現れて、甲板の上で奮闘する船員たち目掛けて勢いよく伸びてきた。船首と船尾、二本が逆方向に。


「フィルティア!! そっちは任せたぞ!」

「ふぇえ……もう、なんなん……」


 よろよろと立ち上がるフィルティアに背を向けると、オレは腰から曲刀を抜いて船尾の方へと走った。伸びてきたクラーケンの足を下から斬り上げて、その軌道を船員たちから逸らす。

 それから、顔だけで後ろを振り返った。


 船首の方へ伸びていたクラーケンのもう一本の足は、綺麗に凍り付く断面だけを残して消滅していた。

 その奥には、冷気の漂う魔剣を手に背中を向けるフィルティアの姿。

 先ほどまでの体たらくが嘘のような、凜とした剣士の佇まい。


 何が起きたのか理解できなかったのか、クラーケンの目が大きく見開かれる。

 初めて直に見るその力量に、オレは興奮を抑えきれなかった。


 ――さすがは、期待のルーキー。未来のAランク。自称・戦乙女ヴァルキリー

 オレが弾くだけで精一杯だった攻撃を、いとも簡単に防ぎやがった!


 いける!

 フィルティアとの二人掛かりでなら、船員たちを守りつつクラーケンを撃退できる。

 むしろ、心配すべきなのは……。この老いぼれの肉体で、どこまで彼女との連携に付いて行けるか、だな。


 魔剣グラムを、フィルティアは音もなく鞘に収める。



 そして、甲板の上にびたーんと倒れ伏した。


「いきなり動いて……きぼちわるおぼぼぼぼぼぼぼ」


 この場の全員が手を止めて、ゲロまみれになる魔剣を呆然と眺めていた。

 クラーケンも一緒に。


 やがて、ペシッとクラーケンの大きな足に払われて、彼女は海へと落ちていった。

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