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★氷結剣、その軌跡

 年を重ねれば重ねるほど、船ってやつのありがたみが分かる。


 ホームであるウェスティアの街から聖都レスベルクまで、陸路なら馬に乗っても三ヶ月近く掛かる道のりを海路なら大幅に短縮できる。特に急ぐ旅ではないとはいえ、その差は大きい。まして老い先短い身ともなれば、余計に。


 船の縁に腕を預けながら、見渡す限り真っ青な景色を眺める。

 時折近付いてくる海鳥や遠くから船の様子を窺う水棲モンスターの姿など、それほど海に親しくない自分にとっては、なかなか新鮮で楽しい事ばかりだ。海の男たちからしたら、退屈で単調で気が狂いそうな風景なのかもしれねぇけど。


「バンチさん、調子はどうだい?」


 肩越しに野太い声が掛かる。振り向けば、立派な体躯の男が近付いてきていた。この貨物船の船長だ。大陸西部での商売を終えた彼らは、聖都にほど近い北の港町へと帰港する途上だった。そんな彼らの船に、なんとか頼み込んで乗せてもらったというわけである。


「おかげさまで、快適な旅を楽しませてもらってるよ。悪ぃな、船に乗せてもらって」

「いいって、いいって。現役冒険者だった頃のバンチさんには、俺らも随分世話になったからなぁ。恩返しってやつだよ」

 がははと、船長が快活に笑う。


「これでも一応、現役なんだが」と言いかけて止めた。六十近いジジイが言ったところで、説得力がない。

 そもそもオレには、冒険者として誇れるような華々しい功績も実績もない。Bランクではあるものの、それだってただの年の功ってやつで、地道に依頼をこなした続けた結果にすぎないのだ。


 その上……。半ば押しつけられるような形で賜った、ウェスティアのギルドマスターという職。これが厄介でならない。

 オレより若くて実力もあった前任のギルドマスターは、ベヒモスとかいうトンデモモンスターから受けた傷のせいで引退。その後釜に選ばれて以来、実務面での仕事はほとんど何もできていない。

 ほぼ毎日のように机の前にかじりついて、運営費の捻出やら、依頼人との面談やら、魔石納入の手配やら……。やる事が膨大すぎて、“冒険する”暇がないのだ。


 そういう意味でも、こうして街の外へと出られる機会はありがたい。オレの元にわざわざ召喚状を送りつけてくれた聖都の大司教様方には感謝しかないぜ。

 これで呼び出し理由が「聖都グルメツアーにご招待!」とかだったら最高なんだがね。現実にはそうもいかない。


 先ほどよりも波が高くなってきたようで、足元が大きく揺れた。一瞬、よろけそうになったオレだったが、手すりをしっかりと掴んでなんとか堪えた。

 目の前の船長はといえば、この程度の揺れは何でもないとばかりに、両手をぶらぶらとさせたまま立っている。


「しかし、バンチさんは全然船酔いしないんだなぁ。おかの人にしちゃあ珍しい」

「よせやい、ただ慣れただけだ。今だって危うくひっくり返りそうだったしな」


 船にほとんど乗った事がなかった若い時分には、この今にも天地が逆さまになりそうな激しさには肝を冷やしたものだ。これもまた、年の功に過ぎない。


 そもそも、冒険者をちゃんとやってりゃあ自然と体幹は鍛えられるものだ。モンスターの攻撃で振り回されたり、不安定な足場で戦ったり、そも船上での戦いだって珍しくはない。

 船酔いの一番の原因は、つまりは気の持ちようなのだろう。悪環境だろうが、冒険者なら嫌でも慣れるしかないのだ。でなければ生き残れない。

 もちろん、船が揺れないのが一番良いのには変わりないが。


「そうは言うがね。そういや、ツレの嬢ちゃんは……」


 二人で船尾の方へと顔を向ける。そこには、武器を手に瞑目する一人の女がいた。


 ――フィルティア。


 ウェスティアのギルド所属のソロ冒険者だ。ランクはBで、登録クラスは剣士。

 年の頃は十七か十八、出自不明。


 狼のように鋭い目、一本筋の通った鼻、ツンと尖った耳。黒い長髪は後ろで一つに束ねられており、馬の尾のように垂れ下がっている。整った顔立ちをしているが、見た目の印象通りに冷たい性格をしている。


 二つ名は“氷結剣”。

 その名が示す通り、氷の魔剣「グラム」の使い手であり、その活躍には目覚ましいものがある。単独でオークのコロニーを壊滅させたのを皮切りに、ワイバーン二体の討伐、トロール三体の討伐など、ギルド登録から日が浅いにもかかわらず数々の武勲を上げてきた。


 紛れもない実力者だ。

 ランクの昇格スピードは、ひょっとすると歴代最速かもしれない。


 今はまだ実績が足りないだけで、間違いなく、いずれはAランクへの昇格を果たすだろう。それがどういう意味を持つかは、今更語るまでもない。

 オレにとってのAランクといえば、あの変態筋肉神父だが……。奴とて、己を殺すかのような激しい研鑽の果てに、ようやくその高みへと至ったのだ。


 おそらくだが、この娘はそれ以上の才覚、天賦の才を有している。自ら「現世の戦乙女ヴァルキリー」と名乗ることを、驕りだと感じさせない程度には。


 今回の船旅にはそんな彼女が同行している。彼女曰く、


『お前たちの“冒険者”としての責任感のなさには、心底呆れた。もはや、このギルドで学ぶべきものは何もない。神に選ばれた使徒として、私はより多くの人間を救う道を選ぶ。更なるレベルアップのためにも、物語の舞台を聖都へと移す時がきたのだ』


 だそうで、そんな無責任野郎ばかり預かるギルドの長としても、彼女の判断に否やを挟むつもりはなかった。実際、この夢見がちな娘の指摘は真実でもある。冒険者の質は年々落ちていく一方だ。


 留め置いたところで、彼女はいずれは羽ばたいていくだろう。ならば、その巣立ちを素直に祝福すべきだ。


 というわけで、彼女の要望を聞き入れる形で、この船旅に連れてきたのだが……。




「……あぁ……ムリ、もうムリ……。かえりたい……おうち、かえりたい……」


 ものの見事に、彼女は揺れる船相手に純潔を散らしたらしい。


 怜悧な印象の顔立ちは、すっかり生気を失っており見る影もない。いつもは艶のある宵闇色の髪は、乱れに乱れてくすんでいる。口の端には吐瀉物が付いたままだが、それを恥じらう気力もないらしい。

 商売道具の魔剣だけは手放していないようだが、それも時間の問題だろう。もっとも、今仮にモンスターがこの船に襲いかかってきたとして、彼女が戦闘の役に立つとも思えないが。


「ありゃあ、ダメそうだな……。すっかり、海神様のとりこになっちまってる」

「すまんな、船長。船員たちの目の保養に丁度良いかと思って連れてきたんだが……。人選を間違えた」


 オレが謝っている間にも、「うっ……」とか「……ぷっ」とか「くっ、ころせ……」とか聞こえてくる。


「気にしないでくれよ、バンチさん。むしろ、あの娘になるべく苦しい思いをさせまいと、船員たちはいつも以上に張り切って仕事してるくらいさ」

「そう言ってもらえると助かる」

「実際、バンチさんたちが乗ってくれてみんな喜んでるよ。いつも船の積み荷といえばブドウ酒ばかりだし、酒樽じゃお喋りの相手は務まらないから」

「なら、アイツは酒樽以下だな」

「手厳しいねぇ」


「ごばぁっ」と、船尾の方からフィルティア断末魔が聞こえてくる。

 甲板から放たれた彼女の吐瀉物は、まるで貨物船の軌跡を描くようにきらめく海面を漂っていた。

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