ブランケット賢者の転生無双 ~俺のブランケットが暖かすぎて冷え性の魔王が感謝してくるんだが!?~(没)
「おはようございます――って、ロキさんだけですか」
「こんにちは。思ったよりも早かったね、ユズ」
せっかくの試験休みということで、昼近くまでぐっすり寝ようとしていたアタシを起こしたのは、「十一時半にファミレスに来い」という乱暴なメッセージだった。
ベッドから飛び起きたアタシは、すぐに着替えと化粧を済まし、姿見を横目でチェックしただけで家を出た。十時過ぎにメッセージを確認してから、店に到着するまでで一時間。かなり頑張った方だ。
なにせ、ロキさんからの呼び出しメッセージ=向こうの世界の危機である。異世界人の命が掛かっているかもしれない以上、蔑ろにするわけにもいかない。
それに進藤さんの仕事を手伝うのだって、今回が初めてとなる。アタシが遅刻したせいで彼女たちのスケジュールを狂わせるわけにもいかない。
と、責任の重大さを噛みしめながらファミレスへとやって来たアタシだったが、肝心の進藤さんがまだ到着していなかった。
集合時間まであと十分あるし、待っていればすぐ来るに違いない――。
「あぁ、悪いね。スナオには十二時集合と伝えてあるんだ。だから、まだしばらくは来ない」
「えっ、どうして?」
「どうしてって、キミが時間にだらしない人間だからだろう。だから、あらかじめ三十分早い時間を伝えておいたんだ」
思わず反論しかけたアタシだったが、頭から否定もできず黙るしかなかった。
高校入学から二ヶ月、アタシはすでに遅刻を一回かましている。最近は進藤さんとの待ち合わせの為に早起きできているが、前科があるのには変わりない。時間にルーズというより、ただの低血圧なんだけど。
ぐぬぬという気持ちをぶつけるように、アタシは店員の呼び出しボタンを押した。
「ところでその格好、寒くはないのか?」
「わりと寒いです。誰かさんが急かしたせいで、服のコーデ間違えましたよ」
外は夏も間近といった気温だっただけに、空調の効きすぎた店内はやたら涼しく感じる。上はTシャツにもう一枚羽織ってるから良いものの、下はショートパンツにサンダルなので足が冷えて仕方ない。
太ももを擦りながら「なんとかなりません?」とロキさんに聞いてみたら、「店員に言え」と一蹴された。
「えー、神様パワーで良い感じのブランケットとか出せないんですか?」
「神の奇跡とネット通販を同列にしないでくれ。ブランケットの神器なんて、一体何の目的で用意しなきゃならないんだ」
「そりゃあ、アタシの足を寒さから守るためですよ」
と、ロキさん相手に一進一退の攻防を繰り広げていたところで、女性の店員がオーダーを取りにやって来た。
ドリンクバーを頼むついでに空調の設定についてもお願いしてみたところ、彼女は快く応じてくれた。そればかりか、お店の奥からブランケットまで持ってきてくれたのである。自称女神よりよっぽど女神じゃないか。
「聞こえてるぞ、ユズ」とロキさんが眉間に皺を寄せる。これ以上からかうと異世界送りになりそうなので、思考はそこで打ち切って話題を変えることにした。
「さっき言ってた『神器』って何ですか?」
「……神々が特定の人物や文明のために用意した、超自然的かつ超科学的な被造物のことだ」
「えーと、もっと分かりやすく」
「人間の技術では製造不可能なチートアイテム。スナオが持ってる腕輪――『ドラウプニル』や、キミの操作する『フギン』だってそれに当たる」
気になってポケットから取り出したスマホを、改めてまじまじと見つめてみた。
『Hugin』をインストールされる前と後とで見た目上の変化はない。スマホカバーの角は欠けたままだし、液晶保護フィルムに付いた小さな傷も減ってない。ガッツリ減ったのは容量だけだ。
「もちろん、タダで配るわけではないよ。我々の手足となって働いてくれる者にのみ与える、という決まり事があるからね。それを有していることが同時に、その者が神の所有物であることも示すからさ。ま、大抵の場合、転移者や転生者へのお詫び代わりに渡すんだけど」
「ってことは、このスマホがある限り――?」
「ユヅキ・ユズという人間はボクの所有物、ということになる。安心してくれ。情報閲覧も生殺与奪も、その権利は他ならぬボクがしっかりと握っておこう。くくくっ」
「……スマホそろそろ買い換えようかと思ってたんですけど」
「それも安心してくれ。データ移行サービスも充実だ」
う、嬉しくない……。今後もずっと8GBの激重アプリと付き合っていかなきゃならないとは。
こんなことなら神器ブランケットの方がマシだ!
と思ったのも束の間、ロキさんが口元に貼り付けたような笑みを浮かべる。
「――そんなに欲しいなら、お望み通りに転生させてあげようか? 転生特典のブランケットで異世界無双しておいで」
「ち、ちなみにその神器には、どんな特殊効果がお有りで?」
「そりゃあ、ユズ。足を寒さから守る効果だよ」
そんな通販商品で何をどう無双すればいいのだろうか!?
敵の魔王的な奴、冷え性に悩んでたりするのかな……。ライバルキャラはネックウォーマー使い。
くつくつとひとしきり笑ってから、ロキさんはコーヒーカップを傾けた。
つられてアタシも、湯気の立つ紅茶に口を付ける。紅茶の温かさが喉を通り抜けて全身にじんわりと広がっていくのを感じる。
「まぁ、もちろん冗談だけど。そもそも、キミらは簡単に転移だ転生だと言うけどね……。世界間での情報移動といったら、それはもう煩雑な手続きが必要なんだ。その手間を考えるなら、キミの軽口に付き合う方がよっぽど良い」
「手続きって、それもロキさんがやってるんですか?」
「そうだよ。人間社会の引っ越しでもイメージしてくれ。住民票を移したり、住所変更の届を出したり……それの世界版さ」
急に話が俗っぽくなったが、なんとなく言いたいことは伝わった。
アタシ自身は経験ないけれど、以前、従兄弟の家の引っ越し作業を手伝ったことがある。当時中学生だった私は荷造りと掃除くらいしか手伝えなかったけれど、住民票がどうとか住所変更手続きがどうとか、大人たちが色々と大変そうにしていたのは見てて分かった。
まして、異世界への移動ともなればその煩雑さは比じゃないだろう。
「人間一人分、微量とはいえ世界の情報総量が増減することは、予期せぬバグを生む危険性を孕んでいる。そこをクリアしたところで、異世界人が文明や生態系を破壊するリスクは避けられない」
「ははーん。ああいう漫画の主人公って、大抵が異世界に前世の知識とか道具とか持ち込みますもんね。それが面白いんですけど」
「面白くないんだよ、管理する側からすれば。愛を込めて仕上げた手造り料理に、カレー粉を振りかけられるような不快感だ」
ロキさんが顔をしかめる。
例えがことごとく俗っぽいのは、たぶんアタシが理解しやすいように気を遣ってくれているからだろう。しかし、カレー粉か。悔しいけど分かりやすい。
「だから極力、転生者なんて送り込まない方が良いんだが――」
ソファーの背もたれに沈み込んだロキさんが、大きく溜め息を吐いた。
それを合図にしたかのように、お店のドアベルがカランカランと乾いた音を鳴らし始める。
私たちのいるボックス席へと一直線に、ぱたぱたとした足音が近付いてきた。
「遅くなってごめんなさい、ごめんなさい!」
初めて見る彼女の私服姿はとても魅力的で、アタシはごくりと生唾を飲み込んでしまう。袖口がふんわりとしたミルキーピンクのニットに、黒スキニーのパンツ。小物は何もないけれど、それが逆に正解のような気もする。
当の本人があわあわモジモジしてるのまで含めて、いかにも進藤さんって感じだ。
ぺこぺこと謝る進藤さんを見て、ソファーに沈んでいたロキさんがガバッと上体を起こす。
「ううん、ボクらも今来たところだよ! ね、ユズ」
「えっ、あっ、うん。ほら、スマホの時計も十二時前だし。全然待ってないよ!」
初めて、一人と一柱の息がぴったり合った瞬間かもしれない。
それから両者とも同時にソファーから腰を浮かせて、「どうぞ座って!」と声をハモらせながら自分の隣を指差した。「あぁ!?」とこれまた同時に相手の顔を睨む。
アタシとロキさんの間で視線をさまよわせながら、進藤さんはさっきよりもあわあわし始めてしまう。
「スナオ! ボクの隣で一緒にメニュー表を見ようじゃないか。お昼時だし、お腹空いただろう。何でも奢ってあげるから、こっちおいで」
「進藤さん! 店内ちょっと寒くない? お店から借りたブランケットあるから、こっちで一緒に使おうよ」
「え、えーと……?」
「ぐっ……。ユズはブランケットあるからいいけど、ボクはちょっと寒いなー。スナオが隣に来てくれたら暖まるんだけど」
「くっ……。アタシもお腹空いたし何か頼もうかなー。あ、どうせなら別々なのを頼んで、シェアしない? メニューを一緒に見ながらさ」
「????」
謎のアピール合戦。はたしてどちらの隣に座るのか!?
進藤さんはしばらくウロウロと歩き回った後、何かに気付いたように急に立ち止まった。そのまま何故か手の甲を鼻先まで持ってきて、くんくん匂いを嗅ぎ始める。
難しそうな顔でうーんと首を傾げてから、彼女が口を開いた。
「あの、私はその、汗クサ……いえ、できれば一人が良いので! ロキさんと湯月さんの仲良し二人で、一緒に座ったら良いんじゃないでしょうか!?」
「はっ」
「えっ」
――というわけで、何故かアタシはロキさんの隣にいる。
二人の前には申し訳程度に広げられたメニュー表。二人の膝の上には目一杯に広げられたブランケット。二人の正面には、ニコニコ顔でレモネードを飲む進藤さん。
やっぱり、ブランケットで無双は無理があったよ……。