人生はスキだらけ(1)
私、進藤素直は日課の鍛錬中です!
四日間の試験期間を終えて、本日は土曜日。普段なら登校日なのですが、先生たちが回収したテストの採点に取り組むため、授業はお休みとのことです。いわゆる試験休みですね。
部活動のある方はそれでも学校に行かれるのでしょうが、あいにく私は帰宅部です。
「テスト終わったしお休みだから遊びに行こうよ! きゃぴきゃぴ!」なんてハイレベルな友達活動はもちろんできませんので、こうしてお家で身体を動かしている次第です。
「――はっ!」
横薙ぎに放った蹴りが、空中を真一文字に切り裂きます。
軸足が板張りの床を擦って生じるキュっという音が、朝の静かな道場に響き渡りました。
我が家はちょっと特殊な造りをしてまして、居住スペースである木造二階の建物の隣には、小さな道場が併設されています。
元々あったらしい庭をほとんど潰すような形で設計された、亡きお祖父ちゃんの趣味の産物です。
とにかく、雰囲気と機能性を重視したとのこと。
建物の中は全面板張りで、余計な内装は一切なく簡素そのものです。
室内の明かりはといえば、天井に小さな電球がぽつんと一個だけ。スイッチを入れたところで大して明るくはならないので、朝のうちは窓から差す自然光だけを頼りにしています。
室内の装飾はちょっと凝ってます。壁に掛けられた木刀や薙刀、それから小さな神棚。「他力本願」という謎の掛け軸と、床の間にある模造刀。イメージにピッタリなアイテムがなんとなーく揃ってます。
……ちなみに、この掛け軸は有名な書道家の作などではありません。お祖父ちゃんの直筆です。なのでハチャメチャに字が汚いです。
でも、私はそんな趣味全開のエセ道場が大好き。
この場所にはお祖父ちゃんとママ、家族の思い出が沢山詰まっているからです。
◇
「腕は弓を引き絞るように……。腰の回転を意識して……」
額には玉の汗が浮かび、全身から立ち上る熱が室内の空気に溶けていきます。運動用のスポーツウェアはすでにぐっしょりです。
『すれいぷにる』、『みすとるてぃん』、『みょるにる』、『れーヴぁていん』……。
一つ一つの技の有り様を確かめるようにしながら、ゆっくりと構えを作っていきます。
お祖父ちゃんが自分で考えたという、やけに名前が難しい技の数々。俗にいう「ちゅーにー病」というやつでしょうか。
『人間相手に使ったらダメだぞ』なんて笑いながら手ほどきをしてくれた、その記憶を懐かしむように身体を動かしていきます。まさかお祖父ちゃんも、未来の私がモンスターを殴ってるとは想像も付かなかったでしょうね。
「『ぐんぐにる』っ」
掛け声と共に全身の筋肉を躍動させて、構えていた拳を前に突き出しました。
ぱんっ、という空気の爆ぜる音が小気味よいです。
――でも、お祖父ちゃんやママが手本で見せてくれた全力の『ぐんぐにる』は、もっと凄かったと思います。
二人の拳ってもっと「ずがーん」って感じの音がしてたんですよね。
ちっちゃいの頃の私、お祖父ちゃんの拳が作る風圧でごろごろ床を転がってた気がします。それが楽しくて楽しくて「じぃじ、ぐんぐしてー」って何度もおねだりした記憶があります。
それを考えれば、私なんてまだまだヘナチョコです。へたっぴです。
トラックを素手で止めたくらいで調子に乗ってはいけません。せめて拳で地震を止められるくらいにはならないと!
そうして、決意も新たに再び『ぐんぐにる』の型を作ったところで、道場の引き戸がカラカラと音を立てて開きました。
「ちょっと良い? スーちゃん」
エプロン姿のお姉ちゃんがサンダルを脱いで道場の中に入ってきます。土曜日はお仕事お休みなので、今日はお姉ちゃんも家に居たのです。
私は準備しておいたタオルで汗を拭いながら、「どうしたの」と尋ねました。
「えーっとねぇ……」
と、お姉ちゃんは少し考えるようなそぶりを見せ――。
次の瞬間、視界から消えました。
私は手にしていたタオルを上へと放り投げ、後ろに飛び退きます。
――左!
採光窓の真下、特に暗い場所から影を引くように伸びてきた拳を、左手の甲で払います。勢いそのまま上半身を捻るようにして、私は右拳を繰り出しました。コンパクトかつ有効なカウンター。
が、手応えがありません。
伸びきった私の拳に、フワリと薄い布が被さってきます。エプロンです。
トトンという軽快な足音を背後に感じたかと思うと、間髪入れずに微かな風切り音が耳に入りました。
私は飛び込み前転の要領で転がりながら、その一撃を躱します。はたして、振り下ろされた木刀が身体を掠める感触がありました。
床を転がった私はいそいで壁に背を向けて、屈んだまま体勢を整えます。
そうして私が顔を上げたタイミングで、突風が吹き抜けたかのような音が聞こえてきました。襲撃者がいつのまにか投げた木刀が、すぐ目の前に迫って来ていました。
「いっ!?」
腰から崩れるように身体を低くしながら右足を蹴り上げて、飛んできた木刀を上に弾き飛ばしました。勢いそのまま後転した私は、両足の反動で飛び起きます。
次はどんな攻撃が!?
……しかしそれ以上の追撃はなく、襲撃者は床に落ちた木刀をひょいと拾い上げて、何度も頷いていました。
「いつのまにか腕を上げたねー。スーちゃん」
「はぁ、はぁ……。お姉ちゃん、ビックリするからやめて」
ミントグリーンのブラウスに、サテンのフレアスカート。そして木刀。
道場の雰囲気ぶち壊しな格好のお姉ちゃんが、ケラケラと笑っていました。
一昨日投稿した短編が、日間ランキングに載りました。
(興奮して後書きを盛大に誤字ってたので直しました)