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アタシたちのありきたり

 テスト開始直前の十五分休憩。

 1年C組の教室には、普段の喧噪とは少し違う、肌がヒリつくような緊張感が漂っている。


 苦しかったテスト勉強のラストスパート。

 その最後のひと伸びを期待すべき重要な時間に、アタシたちは何をしているのか。


「――つまり、どんな人間にも試練が必要なんだ!」


 教室の真ん中、進藤さんの席の真ん前で、強く拳を握った兵頭枝織が高らかに宣言をする。なんか急に始まった。


「は、はぁ?」


 隣に立つアタシは「何言ってんだコイツ……」と内心思いながら、いや実際には「コイツ」の「ツ」まで口に出しながら、教科書の出題範囲を目で追っていた。


 進藤さんは着席したまま、さっきからずっと頭をぐるぐる回転させている。机に広げられたノートには焦点が合ってないようで、「わたしはできる、わたしはできる」とうわ言のように繰り返している。

 一週間の兵頭式特別講習を通じて、進藤さんの頭には全教科分の知識がみっちり隙間なく詰まっている。それはもう、日常会話に支障をきたすレベルで脳のスペースを圧迫しているっぽい。


 ……だというのに、アタシがもたらした環境の変化は、想像以上に大きな波紋を広げる結果となってしまった。


「進藤様に気安く話し掛けてはならない」というクラス内ルールの形骸化。


 これ幸いにと進藤さんとの交流を試みるクラスメイトが後を絶たず、ここしばらくアタシは彼女のマネージャーみたいな仕事にも従事せねばならなかった。


「学校に居場所を作る」という目標を考えれば悪いことではないけれど、しかし、テスト前にやることではなかった。考えが甘かった。もっと余裕のあるタイミングで着手すべきだった……。


 それにしても、おそるべきは進藤さんのアイドル具合だ。

 異世界作品にありがちなステータス閲覧機能を追加してほしい。たぶん、彼女の「魅力」のステータス値はカンストかオーバーフローか謎の補正が掛かってる。そうでなければ説明が付かない。

 この数日間、わりと本気で整理券作って配ろうかと悩んだくらいだもの。


 アタシ、異世界でもこんな役割を担わないといけないのだろうか。先行き不安すぎる……。


 テスト以外のことに頭を悩ませるアタシには気付かず、兵頭の中身の薄い演説は未だ続いていた。


「試練を乗り越えられた者だけが、本当の意味で人類社会に貢献できる。試練を通じて、我々は生きた証をこの世に刻める。偉大な父から私はそう教わった。敬愛する兄からそう学んだ。分かるな、進藤!」

「わたしはできる。ぜったいできる」

「良いぞ、進藤! その意気だぞ、進藤!」


 有名塾講師のように熱い講釈を垂れる兵頭だが、残念ながらまともな塾生は一人もいない。

 進藤さんの隣席である中島さんが、さっきからメトロノームかってくらい規則的に舌打ちを繰り返しているので、なんなら今すぐ塾を畳んでほしいまである。


「いいか、進藤。理不尽だと嘆く時間があるなら、精一杯足掻いてみる方がいい。神はそういう人間にこそ微笑むものだ」

「あかてんとらない、あかてんこわくない」

「素晴らしいぞ、進藤! 賢いぞ、進藤!」


 無駄に熱くなった兵頭が、天に向けて拳を勢いよく突き上げる。


「最高潮に気持ちの高まった今こそ、最後の勉強を始める時! いざ、復習を始めよう!」


 ――という、彼女の号令とピッタリのタイミングで予鈴が鳴り、休憩時間はあっさり終了した。

 ……たっぷり十五分を精神論に費やした兵頭塾は、やっぱり廃業でいいと思う。


 教室前方の扉をガラリと開けて、テスト用紙の束を抱えた英語教諭が入ってきた。

 それを合図に、アタシやクラスメイトたちは着席して机の上を片付け始める。


 兵頭もまた、右拳を高く掲げたままスタスタ歩いて自分の席へと戻っていった。英語教諭は不思議そうに首を捻っている。

 チャイムと同時に頭の回転を止めた進藤さんは、今度は椅子の上でピクリとも動かなくなった。まるで、まな板の鯉。目が死んでる。


「……大丈夫なの? ユズユズ」


 前の席から回ってきたテスト用紙の束を手に、ヤシマリが小声で尋ねてきた。


「ぶっちゃけ恥ずかしい……。まぁ、本人は羞恥心とか感じないだろうし、それでも良い点取っちゃいそうなのが兵頭だけど。進藤さんの方は心配かな、マジで」

「……ふーん、そっか。そっちじゃないけど」

「ん? ああ、アタシのことか。たぶん大丈夫。なんか、いつもよりちゃんと勉強できた気がするし。……それより、早く紙回してよ。先生こっち見てるから」


 なんとなく噛み合わない会話を早々に切り上げて、彼女の手から用紙を受け取る。自分の分を一部抜き取ってから、バトンを繋ぐように後ろの席へと渡した。



 勉強こそが学生の本分で、子供はテストで良い点を目指さなくてはならない。

 大人が身勝手に作ったその論理に、つい最近まで、アタシは理不尽さを感じていた。


 けど、向こうの世界の「ありきたり」を知ってしまった今、それが贅沢すぎる悩みなのだと分かる。

 モンスターと立ち向かわねば生き残れない、そんな世界がアタシたちの日常と紙一重のところに存在している。この小さな試練の、なんと平和的なことか。


 ヤシマリには「大丈夫」なんて安い言葉を使ってしまったけれど、それじゃあダメだ。ちゃんと乗り越えなくちゃいけない。

 こんなペラペラのテスト用紙につまづく姿なんて、あの男の子には見せられないから。


 だから、進藤さんもファイトだよ!


 心の中でそっとエールを送りながら、アタシはテスト開始の合図を待ち続けた。

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