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同床異夢

 勉強会の誘いを断ってから、はや一週間が経とうとしている。

 あの日を境に、教室の風景は大きく変わってしまった。


 どうやら、ユズユズ主宰の勉強会はその目的をきちんと果たしたらしい。ユズユズに続いてヒョードルもまた、放課後のひとときを通じてシンドーさんと仲良くなったようだ。

 その証拠に、今日までの一週間、三人は暇さえあれば集まってテスト勉強に勤しんでいた。


 授業合間の休憩を迎えるたび、シンドーさん自ら席を立ってヒョードルやユズユズに近付いていく。今まで誰とも会話していなかった彼女のその変わり様は、クラス全体に大きな衝撃と動揺を与えたと思う。


 最初はルール違反とやらに怒り、戸惑っていたクラスメイトたちも、こうなっては三人組を認めざるをえない。

 結果として、ユズユズやヒョードルに対するネガティブな評価はほぼ一掃されたようで、それは私もホッとした。むしろ、最近ではユズユズたちを窓口にして、シンドーさんとポツポツ言葉を交わす子も増えてきたくらいだ。


 ――それじゃあ、私はどうかといえば。

 シンドーさんが中心の輪に、今も入れないでいる。

 理由は分からない……フリをしたままで。


 中学以来の親友であるユズユズとは、もちろん普通に話をする。ヒョードルとだって、いつもみたいに冗談を言い合う。二人が教室で固まっていれば、私も遠慮なくその輪に加わっていく。


 でも、シンドーさんがいると近付けない。

 会話を楽しめそうにない。上手に相槌を打てそうにない。茶化してその場を明るくできそうにない。


 あの後も何度か、ユズユズから放課後の勉強会に誘われたけれど、結局私は一度も参加しなかった。


「ごめーん。バスケ部の友達と先約があるんだー」

「ごめーん。ママから家事手伝えって言われてるんだー」

「ごめーん。今日はパパの誕プレ買いに行かなきゃなんだー」

「ごめーん。幼稚園に下の弟迎えに行かなきゃなんだー」


 よくもまぁこれだけスラスラと言い訳が浮かぶものだと、自分でも呆れてしまう。


 別に、シンドーさんが嫌いなんじゃない。嫉妬してるわけでもない。


 大好きな親友の前で、取り繕った笑顔を見せたくない。

 気を遣わせて、心配させたくない。


 ただ、それだけだ。それだけだよね。



 窓際の席で頬杖を突きながら、自作の単語カードをパラパラ漫画のように捲っていく。

 自分で書き入れたはずなのに、視界の中で明滅する英単語のほとんどと初めましてな気がした。

 あと十五分でテスト本番が始まるというのに、全然身が入らない。


 教室中央、私から見て斜め後ろの席からは、三人分の弾んだ声が聞こえてくる。

 友達二人と、友達になれない一人のだ。


「――あの、八嶋さん。大丈夫ですか? 」


 前の席に座るモモッキーが、振り返って声を掛けてきた。大きな眼鏡の奥には潤んだ瞳が覗いており、そこからは心配の色が見て取れる。


 大丈夫って、何が。

 と口にしかけてから、そんなの全然私らしくない返事だと気付く。


「だっ……ううん、ぜんっっぜん大丈夫じゃないよー。英語ヤバヤバだよー、どうしよー!」


 辛うじて、いつも通りのおどけた調子で答えることができた。

 笑顔は引きつっているかもしれない。自信がない。


「もー、なんで英語なんか覚えないといけないんだろー。ほら、私もモモッキーも目指すは『ヤマトナデシコ』一直線じゃん? だから、そんな寄り道してる暇ないのにさー」

「えぇ!? 私は英語好きなんですけど……」

「あぁ、それ気のせいだよ。気のせーい」


 私の長所と短所は「よく喋ること」だって、前にユズユズが言っていた。だから、妙な隙間ができないように、ぽっかり空いた心を言葉でガシガシ埋めていく。


「ほら、真の『ヤマトナデシコ』はみんなの一歩後ろを歩くって言うじゃん。謙虚こそがジャパニーズ・ビューティって。なら、テストの点数でもそうしなきゃ。私があえて低い点数取るから、その分、みんなには良い点取ってもらってさー!」

「あ、あはは……。そういうのは、謙虚とは言わないんじゃ……」

「細かいことはいーの。ともかく、私は頑張りませーん。諦めたのでここで試合終了でーす」


 口では屁理屈をこねているのに、頭は存外落ち着いているものだ。

 そうやって頑張らないから、いつまで経ってもシュートが決まらないのだろうに。


「もう。補習になっても知りませんよ。部活、できなくなっちゃいますよ?」

「でぇじょうぶ。私には困ったら助けてくれる親友がいるもん。ねぇ、ユズユ――」


 後ろの席へと振り返りかけて、そこに湯月柚子がいない事実というを思い知る。

 誤魔化すように、私はポンと額を叩いた。


「……って、いねーし! まったく、親友がピンチだってのに薄情な奴だぜー」


 あちゃー、なんて声に出しながら天を仰ぐ。

 天井の蛍光灯からは細長いホコリの塊が一本垂れ下がっていて、小学校の頃に教科書で習った『蜘蛛の糸』のお話を思い出した。


 誰かを蹴落としてまで一人で糸を上るなんて、たぶん私にはできない。

 地獄の底から天国を見上げるだけの、つまんない物語になっちゃうんだろうな。


「あの、やっぱり大丈夫ですか?」


 モモッキーが再び問うてくる。


 ……大丈夫って、何が。

 やっぱりそれを口に出すのはためらわれたけれど、今度は言葉の煙幕を張る余裕もなくて、私は目を伏せて黙るしかできなかった。


「最近……、その、湯月さんとあんまり、お話してないですよね」


 一瞬、言い淀んだモモッキーだったけれど、結局は真っ直ぐな言葉を投げかけてきた。


「うん。なんか、上手くできなくて。こんな風なのは初めてかも」


 にへら、とぎこちなく笑ってみせたけれど、モモッキーは真剣な表情のままだった。

 彼女には不釣り合いなほど大きな眼鏡は、いつも通りやっぱりズレている。とってもおかしいはずなのに、そうは思えないから不思議だ。


「八嶋さんは、進藤さんのことをどう思ってますか」

「……イジワルなこと聞くね」


 二人揃って、シンドーさんたちの方へと顔を向ける。

 呆れたように笑うユズユズの横顔が目に入ったせいで、心に空いた穴を冷たい風が吹き抜けていくような、気持ち悪い感覚に襲われた。


「よくわかんない。嫌いじゃない、とは思うんだけど、自信ない。モモッキーは?」

「そうですね……。私も判断に迷っています」

「そうなの?」


 モモッキーは“良い子”で、怒ったりイライラしたりする姿も見たことない。誰に対してもとっても優しいし、人類みんな大事なお友達って感じ。

 そんな風に百木実夜ももきみやというクラスメイトのことを、私は知らず知らずの内にカテゴライズしていたのかもしれない。

 だから、そのなんとも曖昧な返事は思ってもみないものだった。


「……モモッキーがそういう風に言うの、意外かも」

「ふふっ。こう見えて私、結構好き嫌いが激しいんですよ? だから、何を考えてるのか見えない進藤さんのことは、ちょっと苦手なんですよね」


 考えてみれば、モモッキーもシンドーさんが中心の輪には入りづらそうにしている。きっと私と同じで、グループの急な変化に戸惑っているのだと思う。


「湯月さんも兵頭さんも、最近はなんだか忙しそうで。ちょっぴり、声掛けにくいんですよね」

「うん、うん。そうなんだよー。なんか、お守りで忙しそうっていうか。本当はみんなで遊びたいし、前みたいにもっと構ってほしいなって思ったり、しちゃうんだけど……。って、ははっ。めんどくせー女だなー、私」

「――いいえ、私も同じですから。寂しいですよね」


 モモッキーの穏やかな声音が、私の醜い穴だらけの心をそっと包み込む。


 自分と同じ気持ちの仲間がいるんだと分かって、ちょっとだけ救われた気分になる。

 私とモモッキーでは本当の根っこの動機が違うんだろうけど……。いや、違っててほしいんだけど。

 でも、この気持ちに理解を示してくれる友達がいるという事実だけで、昨日までよりずっと心が軽くなった気がする。


「八嶋さん。私で良ければ、いつでも相談に乗りますから。ちょっとした愚痴でも、吐き出せば楽になると思いますし」

「うん。ありがと、モモッキー」

「いえ、友達ですから」


 柔らかに笑むモモッキーの姿は、冗談抜きに天使とか女神のように見えた。


「さて、試験開始まであと五分ありますし、勉強を再開しましょうか」


「うへー」なんて、私は分かりやすく悪態をつく。

 再び手にした自作のカードには、相変わらず覚えてない英単語ばかりが並んでいたけれど、どうしてか、さっきよりも身近で親しみやすいものに感じられた。

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