兵頭さんがみてる(2)
九世高校の校舎は、本館と別館の二つに分かれています。
本館には各学年の教室や、音楽室や美術室、科学実験室など、日中授業で使用する施設が集まっています。
一方、先ほどまでいた図書室は別館三階にあって、こちらの建物には各部の部室や資料室などがあるのです。
目的地である自動販売機は、そんな本館と別館とを繋ぐ一階の連絡通路にありました。
私たちは貴重品だけを持って図書室を出ました。手近な階段を一段一段リズミカルに下りて、一階を目指します。
前を行く兵頭さんはこちらを振り返ることなく、どんどん先へと進んでいきます。背筋のピンと伸びた歩き姿は、まるで女優やモデルさんのようです。
高校最初のホームルーム、その自己紹介の中で、兵頭さんは「自分はハーフである」と語っていたと思います。たしか、お父さんがノルウェーだかスウェーデンだか、北欧の出身って言ってたような……?
日本人離れしたスタイルの良さや、ちょっぴり神秘的な髪や眼の色など、どことなくロキさんを彷彿とさせるものがあります。案外、遠い親戚とかだったりするのかもしれません。
踊り場でくるりと切り返す際に、彼女のアッシュグレーの長髪が揺れました。
「きれい」
その美しさに目を奪われてしまった拍子に、つい感想を漏らしてしまいました。
慌てて口を塞いだ私のことを、兵頭さんが肩越しに見上げます。
「フッ、当然だろう。私は兵頭枝織。全知全能、才色兼備、視力以外は隙のない完全無欠の美少女学級委員長だ」
そして、決まったとばかりに、片手でバサァっと髪を掻き上げます。
か、かっこいい……!
感動する私を残して階段を下りようとした兵頭さんは、しかし前に出しかけた足をピタリと止めました。
周囲には私たち以外誰もおらず、奇妙な静寂が広がっています。
「……ふむ。聞き耳を立ててる者もいないようだし、あの話をするなら今、か。」
手すりに背中を預けるようにして、彼女が私の方へと振り返ります。
「――進藤」
「はい?」
「悪いが、私は知っているからな。ファミレスのことも、ブロンド髪の彼女のことも」
へ?
「駅から離れたファミレスとは、悪くない密会場所だとは思うが。少し脇が甘いんじゃないか、お前たち二人とも」
「なっ!? ななななななななな」
何で、知ってるんでしょうか!!?
どこからファミレスのことや、ロキさんのことががががががが。
ひょっとして、湯月さん!? 湯月さん何か言ったんですか、湯月さん!!!
狼狽する私の様子を見て、兵頭さんが意味深に口元を歪めます。眼鏡に二本の指を当てると、それを知的に持ち上げました。
「その反応、やはりか。まさか、兄様の話が本当だったとは」
「にゃっ、にゃっ……?」
「――詮索するつもりはない。が、あまり派手なことはしないでくれよ。最悪の場合は不本意ながら、私も動かざるをえなくなる」
兄様? 兵頭さんのお兄さんが、ファミレスでの私たちのやり取りを見てしまったってことでしょうか!!?
確かに、傍目には怪しい現場です。爆食い女性と爆睡女子高生の間で行われる謎の取引……。何かいかがわしい、高校生にはふさわしくない仕事をしているように思われても仕方がない!
否定しなくては。いや、でも、大体合ってるような……。
「ち、ちが……わない……? いや、ちが……」
「まぁ、あくまで友人としての忠告だ。聞き流してくれても構わん。止まりたくても止まれない、そういうものなんだろうとは理解している」
兵頭さんはそれだけ言うと、再びくるりと前を向いて階段を下りていきます。私は慌ててその後を追いました。
なんで、どうして、でパンパンになった私の脳内に、また新たなワードが強引にねじ込まれました。
“友人として”?
今、兵頭さん友人って……、友人って言いましたよね!!?
いつの間に?
いやいや、そんなことはどうでもよくて! 私の聞き間違いでは!?
やがて一階へと降り立った私たちは、そのまま廊下を抜けて連絡通路へと至ります。
「着いた着いた」と正面の自販機へと駆け寄ろうとする兵頭さんの腕を、私はむんずと掴んで引き留めました。
「ひょ、兵頭さん!」
「ん、どうした」
「ゆ、ゆゆゆ友人、だって、さっき、言っててて」
「うん? ああ。今日一日でずいぶん仲良くなれたと思うが、違うのか?」
聞き間違いじゃなかった!
こ、こんな簡単に受け入れてもらって良いのでしょうか。だって、勉強をいっぱい教えてくれた彼女に対して、結局私は何も返せてないじゃないですか。私ばっかり得してます。友達詐欺(?)です。
やっぱり、何か、何でもいいからお礼を返さなくては!
焦る私は、勇気と共に声を絞り出しました。
「おか……かっ……!」
「おかか?」
「か、肩っ、肩舐めましょうかーぁ!!!??」
「またなのか、進藤!?」
テンパった結果、再びワードを盛大に間違えました。
恥ずかしい、穴があったら入りたい。そしてそのまま埋めてほしい。
「フッ、そんなにお礼がしたいというなら、そこの自販機で缶コーヒーでも奢ってくれ。それで十分だから」
「はぃ……。奢りますぅ……、有り金全部奢りますぅ……」
「え!?」
よ、よし! 今こそ、バイト代を有効活用するとき!
しかし、お財布からお札をあるだけ取りだした私の手を、兵頭さんが慌てた様子で止めてきました。
「コーヒー買い占めます! 買わせてくださいっ!」
「ちょっ、待て! 私をカフェイン中毒にしたいのか!?」
自販機の前で押し問答する私たちを嘲るように、遠くでカラスが鳴いていました。