異世界操縦免許
夕食時が近付いてきたこともあり、店内が少し賑やかになってきた。
ワイヤレスイヤホンを外し、スマホをテーブルに置いてから、アタシは大きく息を吐き出した。そのまま凝った首筋を伸ばすように、天井を見上げる。
「お疲れー」
自身もスマホを弄っていたロキさんは、全く感情の籠もっていない労いの言葉を投げかけてくる。
アタシはそれに応えるように、首と肩を回した。
「で、画面越しに見る異世界はどうだった? ユズ」
「……最悪な気分でしたよ」
「ほう。そりゃあまた、どうして」
どうして? そんなの決まってるじゃないか!
「なんでアタシのアバター、鳥なんですか!? しかも、ブサイクなカラス!!」
アプリ起動前に『アバターは自信作だ。鋭さと可憐さを兼ね備えた、美しいデザイン』なんて言ってたものだから、“クール系美人女剣士”みたいなモデルをイメージしていたのに……。
カラスである。
しかも、掌サイズ。スズメみたいに丸っこくて、とぼけた顔をしている。
「何が不満なんだ。カラスの鋭敏さとスズメの愛らしさをミックスした、ゆるふわフォルムじゃないか。女子高生なんだから、ふんわりしたもの好きだろう!?」
「お、お父さんみたいなセンス……!」
娘の気を引きたい父親が、よく分からないキャラクターの人形を買ってくるのに通じる。それで本当に可愛かったらいいんだけど、大抵そうではない。
アタシの抗議を耳にしたロキさんが、わざとらしくプクりと頬を膨らませる。ちくしょう、可愛いじゃねーか!
とはいえ、カラスである。
武装なし、攻撃力皆無。もちろん、どこまでもただの小鳥なので、モンスターから一撃でも受けたら即爆散するらしい。
アバターを通してアタシができることといえば、自由に空を飛び回ること、電話の要領で異世界に声を届けること、上空からモンスターの正確な位置を探ること。以上、三点である。
実質、何も出来ないに等しい。
「仕方ないだろう、少ない情報量で造ったんだから」
「にしたって、これじゃあただの異世界ドローン操縦士じゃないですか……」
今回アタシがやったことといえば、駆除対象であるモンスターのところまで、一人の女冒険者を連れてきただけである。
というか、連れてくるまでが大変だった。
慣れない操縦に四苦八苦しながら、ゆるふわカラスを飛ばして。ようやく見つけたあの女冒険者に『手を貸して!』と声を掛けたところ……。
そのクール系美人女冒険者は、即座に斬りかかってきた。
人語を話すカラスなど、さぞ奇っ怪に見えたに違いない。
「アタシは神の使い」だの「真の英雄にしか頼めない」だのと詭弁を弄した結果、なんとか最終的には信じてもらえたものの、あの時は焦りまくった。
そしていざ戦闘が始まると、アタシにはできることが何もない。オロオロと上空を旋回していただけで、戦いはハイスピードに進んでいつのまにか終わっていた。
結果オーライなんだろうけど、これで正解だったのだろうか。
「それで構わない。今日は練習だが、本番においても実務面でのキミの出番はない。ユズの仕事は、戦うスナオへのサポートと対人折衝。あの子の苦手な部分を埋めるのがキミの役割だ」
なるほど。アタシを手駒に加えた理由はそれか。
進藤さん、思い込み激しそうな上に人見知りもスゴそうだからな……。
適材適所、といえばその通りなのかもしれないけれど。
とはいえ、何も出来ないし何もするな、というのは歯がゆいので抵抗はしてみる。
「……このカラス、ミサイルとか搭載できないんですか」
「しないし、できない。そもそも中途半端な戦闘機能を足したところで、スナオが相手するレベルのモンスターには通用しない」
「でも……」
先ほどまで画面を通して眺めていた、暗くジメジメとした森を思い出す。怯える子供と、女冒険者。気色悪いモンスターの姿と、彼らの側に横たわっていた二人の男女。
アタシのカラスに戦う力があったなら、もっと早くに助けられたんじゃないだろうか。
「気に病む必要はない。モンスターが跋扈して人々が苦しむ、あそこはそういう世界なんだよ。あんなのは、ありきたりな光景だ」
「あれが普通だって言うなら、あのキモい毛むくじゃら巨人も特別珍しくないってこと?」
「珍しいモンスターではないね、トロールは。今回はたまたま、フル――フィルティアが一人で倒したが、別に彼女レベルでなくとも、実力ある冒険者が数人集まれば討伐できる相手だよ」
「あんなのが、ありきたり……」
「そう、ありきたり。今日はあくまでも、キミへの操作説明が目的だった。あの場所、あの瞬間を選んだのは偶然だよ。スナオが相手するまでもない、取るに足らない日常の脅威さ」
モンスターが跋扈する日常。それが普通の世界。まるで本当に、漫画とかアニメとかゲームの舞台設定のようではないか。
「それらの創作者と発想は同じだからね。キミらが考え出した空想生物を、ボクなりのエッセンスを加えて創造しているだけにすぎない。実に効率的な手抜きだろう?」
ロキさんが苦笑しながら肩を竦める。
つまり、こっちの世界の神話とか伝承に出てくるモンスターを、異世界では実在の生物として再現していると。
この前のグリフォンとか、今回のトロールとか。ドラゴンとか、ゴブリンとか、オークとか、スライムとか……。
向こうの世界の住人が聞いたら、どう思うのだろう。アタシたちが身勝手に生み出して消費してきたモンスターたちのせいで、彼らの実生活が脅かされているのだとしたら。
そこで、一つの疑問が口を突いて出た。
「そもそも、なんで当たり前のようにモンスターなんかいるんですか。必要なくないですか。ロキさんの趣味ですか? 性格悪すぎませんか」
「着眼点は良いと思う。が、キミ容赦ないな。くくっ」
もちろん自分のせいではないんだけど、どうにも心を刺すような罪悪感が浮かぶせいで、ロキさんへの当たりが強くなってしまった。
実際のところ、スマホ越しにその実在と凶暴性を確かめるまで、何とも思っていなかったのも事実だ。「まぁ、異世界なんだから当然いるよね」なんて、安直に受け入れてしまっていた。
創作の世界だったらそれでいい。彼らは主人公にとって必要な障害であり、言ってしまえば、生物の形をした経験値である。
しかし、これは紛れもなく実際に存在する世界の話だと、ロキさんは言う。
あんな恐ろしいモンスターがひょっこり顔を覗かせなくちゃならない理由など、たぶんどこにもない。
「……キミの言葉を借りるなら『生物の形をした天災』といったところか。『人類の成長を促しながら、効率的に信仰心を育むため』なんて、身勝手で理不尽な試練だよね。そういう傲慢な神様のせいで、あの世界は今日も燃えているのさ」
当然のようにアタシの思考を覗くのはアレとして、言い回しがなんだか気になる。
呆れたような口振りをしているけれど、あの世界の神で管理者とやらなんだから、その試練とやらも止めてしまえばいいじゃないか。学校の定期テストじゃあるまいし。
――とそこまで考えてから、おかしなことに気付いた。
もし、ロキ神だけで世界の調整が可能なのだとしたら、進藤さんの力を借りる必要がない。神様パワーで雷でも落として、不必要になったモンスターはポイポイ排除してしまえばいいのだ。
つまり、そうできない理由がある?
ロキさんは首肯して、それに応えた。
「鋭いね。実はボク以外に管理者は、もう一柱いる。モンスターという性格の悪いアイデアも彼のものだ。勝手に削除なんてしようものなら、たぶん怒り狂うだろうね。ただでさえ、ボクは嫌われてるし」
彼女はコーヒーカップに口を付けようとして、ピタリと手を止めた。いつのまにか中身を飲み干してしまったらしく、あからさまに顔をしかめる。
「……まったく、ヘズ君には困ったものだ」
その言葉を最後に、ロキさんはカップを片手に席を離れた。
そこから先は神様の事情とやらで、人間のアタシに語る事は何もないというわけだ。
中の氷がすっかり溶けきったカフェラテを、ずずずっとストローで吸い上げた。もちろん、味も香りも薄まって全然美味しくない。汗かきながら急いでファミレスへとやって来たせいで、さっき氷を入れすぎてしまったのだ。
失敗したな、と思う。
だけど、すでに混ざりきってしまった液体を元に戻す術はない。
「ヘズ、か」
あんな悪趣味な設定を考えるなんて、一体どういう神様なんだろう。
案外、ロキさんみたいに身近にいたりして、なんて――。