トラックは敗者まっしぐら
私、進藤素直は悩み多き十五歳です。
今日も独り、高校から最寄り駅までの道を歩いています。
五月の空は澄み渡っていますが、私の歩いた跡には暗く淀んだ空気でも滞留しているのでしょう。道ですれ違う人々は皆、私の方をチラチラと横目で見ます。いつものことです。
時刻は三時半。冗長に感じられた授業から弾けるように解放されて、同級生たちは思い思いの青春を謳歌していることでしょう。ある者は友人たちと街へ遊びに繰り出し、ある者は仲間と部活で汗を流し、またある者は恋人と心躍るような時間を過ごすのでしょうか。羨ましい限りです。
残念ながら、私はそのどれにも当てはまりません。当てはまらないのです。
今年の春から華の女子高生というカテゴリーに収まった私ですが、残念ながら未だ学校には友人も仲間も恋人もいません。
クラスでも雲のようにプカプカと浮いているのが私です。クラスメイトの女の子たちからは、露骨に距離を置かれています。
どうしてこうなったのでしょう……?
私なりに努力はしてきたつもりです。
高校での新生活に備えて、春休み中は「おしゃれ」の習得に専念しました。実の姉から化粧のイロハとスキンケアを学びましたし、髪型は雑誌のモデルさんとお揃いのミディアムショートにしました。
内容が難解すぎるファッション雑誌も、毎日三ページは読み込んでいます。まだまだ勉強不足ですが、中学の頃に比べれば見栄えは多少マシになったのではと思います。
もちろん、外見だけでなく内面の磨きにも余念がありません。
亡くなった祖父からは、「たとえ我が身を危険に晒そうとも、他人を助けなさい」と常々聞かされてきました。「英雄とはそういうものだ」と。大好きな祖父の言葉を実践すべく、私は九歳の頃から毎日欠かさず武道の鍛錬を続けました。
そのおかげで、困っている人がいれば進んで助けられる程度には強くなれたと思います。
……しかし、友達はできません。
きっと、多少の「おしゃれ」と「自分磨き」ではカバーできない程のダメさなのでしょう、私は。こんなお節介ブサイクぼっち女の手を借りたい人間など、いるはずがないのです……。
それでも、余計な事かもしれないと理解していながらも、ついつい手を出してしまうのです。
……今日もやってしまいました。体育館での集会を終えて、校舎三階の教室へと移動している最中の事でした。前を歩くクラスメイトの中島さんが、別の子とじゃれ合った拍子に階段から足を踏み外したのです。
偶然階下にいた私は、落ちてきた彼女を抱きしめるようにして受け止めました。抱き合うような形で私と視線を交わすや否や、彼女は顔を真っ赤に染めます。少し遅れて、その場に居合わせた女の子たちから「きゃーっ」という悲鳴が上がりました。
飛び跳ねるようにして私から距離を置いた中島さんは、「ありがとうごぜぇますぅ」という叫びを残して走り去ってしまいました。衆目の面前で私なんぞに助けられた事が、よっぽど恥ずかしかったのでしょう……。
その後はもう地獄の時間です。教室へと戻った私を待っていたのは、クラスメイトたちがひそひそきゃあきゃあと囁く声でした。
クラスメイトたちとの心の溝は決定的です。
――もう終わりです。末期です。マッポーの世です。
はぁ、と人生通算何度目になるか分からない溜め息を吐き出しました。そんな私のすぐ脇を乗用車が通り過ぎていきます。
通学路を彩っていた桜並木は、もうすっかり緑一色になってしまいました。葉桜も特段嫌いではありませんが、目に入れれば時の移ろいを意識せざるをえません。ピンクの花弁が舞っていた四月の入学式からはや一ヶ月、未だ友達ゼロ人という現実が容赦なく襲いかかってきました。
遠くからは子供達のはしゃぐ声が聞こえてきます。二車線の車道を挟んだ向こう側には、大きな自然公園があるのです。小学校低学年の男の子達が、そこで楽しそうにボール遊びに興じているようでした。
……小学生の頃はいっぱい友達がいたのになあ、と過ぎ去った日々に思いを馳せます。
中学生の頃だって、親友と呼べる女の子が一人いました。彼女は今、県外の進学校に通っています。もちろん私だって、彼女と同じ高校へ進学したかったのです。ですが、学力が全然足りませんでした。昔から勉強は苦手です……。
あの子と同じ高校に通えていたなら、こうはならなかったのでしょうか。いいえ、そういう考え方ではダメでしょう。勉強も友達作りも、全ては私の努力次第――。
ふと、視界の端に青い物体が映り込みました。気になって目を向けます。
ゴムボールのようです。公園から勢いよく跳ねてきたみたいで、車道を横切るようにころころと転がります。
それを追うようにして、一人の少年が道路に飛び出しました。
「危ないッ!」という誰かの叫ぶ声が聞こえます。ボールを捕まえた男の子に向かって、一台のトラックが迫っているようでした。
考える前に、私は駆け出していました。
ガードレールを一息に飛び越えて、一直線に全力疾走します。
ボールを抱えたまま、呆然と立ち尽くす男の子。
地面とタイヤの間に火花が走り、甲高いブレーキ音が辺りに響き渡ります。
――どうやら、腹をくくるしかないようです。
勢いそのまま両手を伸ばして、男の子を歩道側へと突き飛ばします。
彼の代わりに車道に残された私は、迫り来るトラックへと身体を向けました。
ブレーキは今一歩遅かったようで、車体はぐんぐん迫ってきます。
衝突は避けられそうにありません。その瞬間に備えて、私は構えました。
どこからともなく、甲高い悲鳴が上がります。
ガンッという鈍い衝突音を残して、トラックはようやく止まりました。
少し遅れて、激突の衝撃が全身を走ります。
トラックから降りてきた男性ドライバーが、私の側へと駆け寄ってきました。
顔面蒼白のドライバーさんが、私とトラックとを交互に見ています。
歩道に目を向ければ、あの男の子がわんわん泣いていました。近くにいた女生徒が駆け寄って来て、彼を抱き起こしています。見たところ大きな怪我は無さそうです。
安心した私は、ゆっくりと目を閉じて、息を吐き出しました――。
正面から右拳で受け止めたトラックには、私の手形がくっきりと残っていました。
「……さすがに痛い……」
立ったまま、右手をひらひらと振ります。
白煙の上る車体の前面は痛々しく凹んでおり、フロントガラスにはヒビが入っています。避けるにはどうしても時間が足りず、衝突の勢いを拳の力で相殺するしかなかったのです。
結果として、トラックは廃車確定となってしまいました……。
「え、あの……。お、お嬢ちゃん、身体は大丈夫……?」
ドライバーさんが尋ねてきます。私はぶんぶんと首を縦に振りました。
私が頷いたのを合図に、周囲の人たちのどよめく声が聞こえてきます。
……そこで、ようやく気付きました。
何事かと立ち止まる歩行者の皆さんの視線が、私一人に注がれていることに。
「……進藤さん……?」
聞き覚えのある声に驚いて、私は「ひ、ひゃぃっ!」と肩を跳ねさせました。
声の主はクラスメイトの百木実夜さんでした。彼女は眼鏡の奥の目を大きく見開いて、私を凝視しています。よくよく見れば、泣いている男の子を介抱していたのは彼女だったようなのです。ポーチから絆創膏を取り出したところで、渦中の人間が私である事に気付いたようでした。
「……ゃ…あ……」
予期せぬクラスメイトの登場に私は狼狽しました。喉の奥から変な呻きが出ます。
周囲を見回せば、自分と同じ制服に身を包んだ女の子たちが十人以上います。全員が、私とドライバーさんの方を遠巻きに眺めていました。
「えっと……。進藤さんは怪我とか、あの、絆創膏要りますか?」
周囲を気にするように近付いてた百木さんが、上目遣いで私を見上げます。小柄で愛らしい顔立ちをしていて、下がり眉がとってもチャーミング。
こんな状況でも私の心配をしてくれるなど、なんと心優しい人なのでしょうか。こんな素敵な人とお友達になりたい。いえ、なりましょう。今なるしかない。これはもう、ビックチャンスです!
私は背筋をピンと伸ばし、大きく息を吸いました。
「あっ…… とっ、ぉ…… バイッ!」
陽気な外国人のような別れの挨拶を口に、私は全力疾走でその場を離れました。
……分かっています。自覚はしているんです。
見た目とか、お節介なところとか、頭悪いとか、そんなものは私に友達ができない原因の一端に過ぎません。氷山の一角です。枝葉末節です。
「うぅう……」
走りながら、私は唸ります。
人見知り、早くなんとかしないと……。悩みの種は尽きません。