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勉強しよっ!

「――というわけで、勉強会を始めようと思う! 準備は良いかお前ら!!」

「おーっ」

「……」


 兵頭がノリノリで勉強会の開始を宣言すると、進藤さんが小さく腕を上げてそれに応じた。アタシはその光景を呆然と見ている。


 今は放課後。

 そして、ここは図書室である。とても静かな図書室である。


 案の定、勢いよく近付いてきた司書さんが、兵頭の首根っこを鷲掴みにする。


「む。何だ、司書さん。私には二人の先生役という務めが――」


 鬼の形相を浮かべた司書さんに引っ張られながら、兵頭はどこかへ連れて行かれてしまった。

 たぶん、しばらくは帰ってこないだろう。


 ……なんだか、ものすごく色々と間違っている気がする。

 そもそも今回の勉強会は、進藤さんと他のクラスメイトとの仲を取り持つのが目的だったはずなのに。


 百木さんは仕方ないにしても、ヤシマリからはなんか適当な理由で不参加を突き付けられたっぽいし、唯一参加の兵頭は開幕早々やらかして即退場するし……。


 なら、追加で他の人を誘うべきだったのだろうか。だけど、進藤さんと適度な距離感で接してくれそうな子となると、人選が非常に難しい。というか、親衛隊長である中島さんの目が光っている内は誰も参加してくれなさそう。


 正直、頭を抱えたくなる状況だが、嘆いていても仕方がないか。


「……兵頭どっか行っちゃったし。先に勉強始めてよっか、進藤さん」

「はい!」


 作戦の成否に関わらず、進藤さんの赤点回避にはきちんと協力したい。

 アタシの個人的な懊悩と、テストは別物である。



 まずは、アタシの得意科目である英語のリーディングからだ。

 進藤さんにはとりあえず、教科書の頭からおさらいをしてもらおう。他の単元は中学の内容に比べて格段にレベルが高くなっているけれど、英語に限ってはそうでもない。


 受験の折、九世女子高等学校クゼジョの入試に向けてきちんと勉強をしていた人間であれば、今回のテスト範囲の内容はほとんど復習に近い。一月の高校入試からは四ヶ月が経つけれど、その程度のブランクならすぐに埋められる。


「進藤さんも受験前は塾に通ってたんでしょ?」

「はい。忘れたい過去です……」

「忘れちゃダメ。……まぁ、なら大丈夫かな。教科書を読んでるうちに、色々と記憶が蘇ってくると思うよ?」


 そんなやり取りを交わしてから、私たちは教科書のページを捲った。


 それからは、二人で黙々と勉強を進めていく。

 カリカリとシャーペンがノートを走る音をBGMに、お互いの存在を確かに意識しながら、時々目なんか合わせちゃったりして、暖かくて胸がキュンキュンするような、青春小説の一ページのような素敵時間が――。


 ――全然、訪れなかった。


「ゆゆ湯月しゃん。ぜんぜんわかりましぇん……」

「!?」


 ちょっと待って。

 まだ、最初のページ開いたところだけど。二分も経ってないんだけど。

 何故、進藤さんはもう泣きそうな顔になっているのだろうか。


 彼女の学力の程度を、アタシは完全に見誤っていたのだ――。



 ◇


「すまん、すまん。想像以上に長い説教になってしまった。だが、さしもの司書さんも、私の教育に賭ける熱意を分かってくれたようでな。もう後半は私が説教してるようなものだった。最後に、二人でがっちり握手を交わしてきたぞ。それと、歴史小説の話でめちゃくちゃ盛り上がってな――」


「うん……。すっごい、どうでもいい……。どうでもいいよ兵頭……」

「ごめんなしゃい……湯月しゃん、ごめんなしゃい……」


 興奮気味に捲し立てる兵頭に対して、アタシと進藤さんは二人して机に突っ伏していた。かれこれ三十分以上経つが、教科書は未だに一ページも進んでいない。 

 兵頭は開かれたままの英語の教科書をしげしげと見つめると、アタシの肩をとんとんと叩く。


「湯月、お前そんなに文法が苦手だったのか? コミュニケーション英語はあんなに流暢に喋ってたのに。それとも、進藤の教え方がよっぽど下手なのか?」

「いや、逆だよ……」

「逆? ……え、逆?」


 兵頭はアタシと進藤さんを交互に見てから、納得がいかないそうに首を傾げた。それから、手を伸ばして進藤さんのノートを手元にたぐり寄せる。

 バツ印と大量の書き込みが並ぶページと、そこに挟まるバツだらけの小テストのプリントを、兵頭は真剣な目で見つめていた。


「これは、マジか。マジなのか?」と一呼吸置いてから、兵頭が目をぱちくり。

「マジもマジだよ、兵頭」と、アタシが息も絶え絶えに応じて。

「……ひーん」と、進藤さんが可愛い呻き声を上げた。


 アタシとてそうだったのだ、驚くのも無理はない。それほどまでに「進藤素直は完璧な人間である」という勝手なイメージが、当たり前のようにクラス全体に浸透していたのである。

 まして、兵頭枝織は進藤さんのことを(勝手に)ライバル視していた。その失望は計り知れないだろう。


 呆れ果てて、このまま帰ってしまうかもしれない。

 そうなったら終わりだ。アタシの力ではもうどうしようも出来ない。万策尽きた。


 ごめん、ごめんね。進藤さん。

 大丈夫だよ、きっとロキさんが助けてくれるから。なんたって、本物の神様だし。あの人、点数操作ぐらいなら神様パワー(?)で何とかできるんじゃないかな。はは、ははは――。


「まったく。お前ほどの人間が、一体何に躓いているんだ? 進藤」


 だが、兵頭枝織は帰らなかった。

 進藤さんのノートを再び頭から捲り始め、真剣な面持ちで目を通していく。


「湯月。念の為に確認しておくが、今回の勉強会の目的は?」

「……進藤さんの友達作りと赤点回避。このままだと、どっちも全滅必至」

「ぴぃ」


 兵頭は小さく頷いたかと思うと、真新しいページを開いて机の上に戻す。


「進藤。高校受験の際、お前はどの科目の勉強も、ほぼ全て暗記に頼ったんじゃないか?」

「! そ、そうです」

「やはりそうか。……よし。なら、まずは勉強の仕方からだな。進藤、ここに『私はペンです』と英語で書いてみろ」


 なんて?

 新手の羞恥プレイだろうか。「はっはっは、今日から貴様は人間ではない。ペンだ!」とかいう謎の罵倒の前フリだろうか。何が目的なんだそれは。

 アタシ同様に戸惑いの色を見せる進藤さんは、それでも一語一語確かめるように『I am a pen.』と意味不明な英文を書いた。


「さて、進藤。この文章は正しいか?」

「えっ。……ま、まま間違って……ま、ますか……?」

「いや、文法としては正解だろう」


 進藤さんはほっと胸をなで下ろした。


「だが、意味のある文章としては成立していない。この一文がテストの問題や解答として用意されることは、絶対にありえない。そこが重要だ」


 兵頭が『pen』の文字をシャーペンの頭でこつこつ叩く。


「どういうこと? 話が見えないんだけど」

「テストでは基本的に『意味のある文章しか扱わない』ということだ。つまり、問題や回答欄に記された単語一つ一つの意味さえ知っていれば、答えを日本語で逆算するのはそう難しくない。それは分かるな?」


 なるほど。確かに、問題文に知らない単語がチラホラ入っていても、全体の構造からアアタリを付けて解くことは珍しくない。


「進藤。まず、ひたすら単語を覚えろ。そうすれば、文法がさっぱり分からなくとも、文全体の内容はある程度推測できる。それだけで四割くらいは点数取れると思うぞ」

「……しゅ、しゅごい……!」


 目をキラキラと輝かせた進藤さんが、兵頭のことを尊敬の眼差しで見つめている。


「でも、兵頭。それだと、助詞の穴埋めとか英訳の問題とかは、全く解けないよね?」

「もちろん。ついでに言うと、これから先の授業には絶対付いていけなくなる。高校英語というものは、ひたすら文法を叩き込まれるものだからな」


「あぁ~」と、進藤さんが再び崩れ落ちた。ショック受けすぎでは……?


「あくまで、今回のテストで赤点を回避するための勉強法だ。進藤はおそらくだが、記憶力には優れているが思考に柔軟性がない。だから、応用が必要な文法問題が苦手なんだろう」

「柔軟性……」

「心当たりでもあるのか?」

「……よく、ロキさ――し、知り合いの人、に、『思い込みが激しい』って言われます……」

「――そうか。知り合いに、か」


 兵頭がなんだか意味深な笑みを浮かべる。彼女のアッシュグレーの長髪が、身じろぎするのに合わせてふわりと揺れた。


 と、その時、ポケットの中のスマホが震えていることに気付いた。

 なんだろうと思って画面を眺めて、アタシは顔をしかめてしまう。そこには、今届いたばかりのショートメッセージが表示されていた。



 発信者:『ロキ』 本文『今から一人で来るように。スナオには内緒で』



「どうかしたのか、湯月?」

「えっ? あっ、うーん……」


 思わず言い淀んでしまう。だが、圧力十分なその文面からして、呼び出しを断るという選択肢は与えられていなさそうだった。


「ごめん、二人とも! 急な用事が出来て、今すぐ帰らないといけなくなっちゃった! アタシから勉強誘ったのに、ホントごめん!」


 ぱん、と手を合わせて二人に頭を下げる。「そうか。仕方あるまい」という優しい声と、「ゆっゆっ」という慌てた声が降ってくる。


「兵頭。本当に申し訳ないんだけど、進藤さんのこと任せても良い?」

「任された。私も俄然やる気が出てきたところだ。今日から一週間で、進藤には全科目叩き込んでやる。ライバルが強くなくては、倒しがいがないからな」

「うん、兵頭なら安心して任せられる」


 兵頭がその薄い胸を叩いた。人望はないが頼りになる女、それが兵頭枝織である。

 アタシは頷いてから、座ったまま固まっている進藤さんへと顔を向けた。


「というわけで、進藤さん。本当に申し訳ないんだけど、今日は先に帰るね」

「ゆっ……! ……はぃ。ばいばい、ばいばい……っ!」


 進藤さんはこの世の終わりのような表情で、アタシに手を振った。まるで、今生の別れにでもなるかのように。いや、ロキさんの用件次第では最悪そうなるかもだけど。

 顔を近付けて、彼女にそっと耳打ちする。


「大丈夫だよ、兵頭は良い奴だから。きっと、進藤さんの助けになってくれる。クラスの友達を増やす、絶好のチャンスだよ」

「う、うん……」


 急いで荷物をまとめたアタシは、後ろ髪を引かれる思いを残して、図書室を後にした。


※この勉強法はフィクションです。

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