★ありふれた景色
僕は家族が好きだ。
お母さんは優しくて料理上手だし、お父さんは村長としてみんなに頼りにされてるし、妹のジルは泣いてばっかりだけどちっちゃくて可愛い。
僕はこの村が好きだ。
小川で友達と釣りをするのは楽しいし、森に入って木の実を探すのも楽しい。畑仕事はつまんないけど、採れた野菜は美味しい。大人たちは行っちゃダメって言うけれど、山を登った先で見られる景色はサイコーだ。
僕は村のみんなが好きだ。
テムとは毎日のように騎士ごっこで遊んでたし、長老たちは面白い昔話をしてくれた。エリック兄ちゃんは色んな遊びを教えてくれたし、器用なコーエンおじさんは木材で色んな道具を作ってくれた。マリー姉ちゃんはとっても美人で、会うたびにドキドキしてた。
僕は、僕の世界が好きだ。
だから、みんなに笑顔になってほしい。
それだけなのに。
パチッと、暖炉の中の炎が音を立てた。
僕の家には今、村の大人たちが集まっている。
「くそっ! どうして、こんなことに!」
いつもは優しいコーエンおじさんが声を荒げる。
僕はびっくりしてしまったけれど、他の大人たちもそれに合わせて次々と大きな声を上げた。
「今からでも遅くない、村を捨てて逃げるべきだ!」
「何言ってるんだ!? 奴ら、森から俺たちのこと見張ってるんだぞ!」
「逃げようとしたテムの一家がどうなったか忘れたの!?」
「もう終わりだ! 俺たちはみんな奴らに喰われて死ぬ!」
「冒険者は、騎士団は、まだ来ないのか!? いつ来るんだ!」
あんなに優しかったみんなが、見たこともない形相で。
「……フロウ、あなたはこっちにいらっしゃい」
「でも、お父さんが――」
「お父さんには村長としての務めがあるのよ」
ジルを抱っこしたお母さんが、僕の頭をそっと撫でる。
僕の背中を押すように台所まで連れてくると、そっと扉を閉めた。
扉の向こうではまだ、大人たちが口々に叫んでいる。
「そうだ、フロウ。お腹空いてるでしょう? カノの実を食べましょうか」
「でも、お母さん。カノの実は特別な日しか食べちゃダメだって――」
「ううん、いいの。いいのよ」
それから、お母さんは僕をぎゅっと抱き寄せて、泣き始めてしまった。
僕とお母さんに挟まれたジルが、目を覚ましてぐずり出す。
「お母さん、ジルが泣いてるよ」
「ごめん……、ごめんね……」
お母さんと妹が泣いている。
お父さんだって、きっと向こうの部屋で泣いている。
泣いてないのは僕だけだ。
台所の窓には内側から木の板が打ち付けられていて、そこから外を覗くことはできない。
だけど、僕はその向こう、大好きな村の景色の先に何がいるのかを知っている。
トロール。
毛むくじゃらの身体に大きな鼻を持つ、おそろしいモンスター。
六日前の夜。
奴らは山の向こうから、その大きな身体を揺らして村を襲いにやって来た。ドシンドシンと地面を踏みならしながら横並びに歩く、三体の影。
お父さんたちは武器を手に取って戦った。
けれど、奴らは全然気にしていないようだった。剣で斬っても、槍で突いても、付けた傷がたちどころに塞がってしまう。
逆に、トロールが綿毛でも払うように腕を振るうと、それだけで大人たちは吹っ飛んでしまった。
やがて、トロールたちが川の側にある一軒の家を壊し始めた。
マリー姉ちゃんの家だった。
泣き叫ぶマリー姉ちゃんと、おじさんと、おばさんとを軽々担ぎあげて、そのまま山に帰って行った。
僕とお母さんは震えながら、その光景を窓の隙間から見ていた。
姉ちゃんたちは帰ってこなかった。
その次の日、お父さんの指示でエリック兄ちゃんが村を出て行った。山を越えた先にある街へ、助けを求めるために。兄ちゃんは村で一番、乗馬が得意だったから。
だけど、冒険者はまだ来ない。
大人たちは、エリックは街へと辿り付けずに喰われたんじゃないか、って言ってる。あるいは、一人で逃げたのでは、と。
僕はそんなの信じない。
毎夜、トロールたちが山を下りてくる。
村人を二、三人捕まえては、何事もなかったかのように帰って行く。
マリー姉ちゃんが、長老たちが、テムが。
知ってる人たちがどんどんいなくなっていく。
台所の扉がゆっくり開いて、お父さんが顔を覗かせた。
「……子供たちは、コーエンの家で預かってもらえることになった」
「そう。そうね、コーエンさんなら安心だわ……」
涙を拭ったお母さんが、がらがらの声で応じる。
涙を流していないお父さんは、それでもやっぱり悲しんでるように見えた。
「フロウ。お父さんとお母さんの代わりに、これからはお前がジルを守るんだ。頼んだぞ」
「大丈夫よ。フロウもジルも良い子だから、きっと、戦乙女様が救ってくださるわ」
お父さんが僕の肩にそっと手を置く、お母さんが僕の髪を何度も撫でる。
「お父さん、お母さん。僕も――」
言いかけた言葉は上手く喉を通らなくて、気付けば僕は大声で泣いていた。
わんわんわんわん、ジルのように。
お兄ちゃんなのに。
ムーミン。