破鏡不照(はきょうふしょう)
「八嶋ーっ! そろそろ片付けないと、遅れるよー!」
先輩に急に名前を呼ばれて、私はハッとする。
スリーポイントを狙って放ったはずのシュートは、見事にリングに弾かれて、体育館の床を転がっていった。
気付けば、体育館の時計は八時を指していた。朝のホームルームは八時半から。
みんなで協力して、床に転がるバスケットボールを急いで拾い集める。朝のシュート練が終わった後、片付けをするのは伝統的に一年生の仕事なのだ。
テスト前最後の朝練だったというのに、今日はなんだか身が入らなかった。
原因はたぶん、昨日のシンドーさん絡みのことだよなー。
一日中ぼーっとしてたユズユズのこととか、クラスメイトから村八分の憂き目にあったヒョードルのこととか、やっぱり授業中シンドーさんをガン見してるモモッキーのこととか。
私ってば、ちょっと引っかかることがあると、すぐ物思いにふけってしまうんだよな。
周りからは「ヤシマリは元気だけが取り柄」だの、「年中悩みなさそう」だの、「脳天気娘」だの、散々な言われようだけど。
こちとら年相応に女の子やってんだぞ、と声高に叫びたいね。
更衣室で制服に着替えてから、駆け足で一年C組の教室へと向かう。朝練が原因でホームルームに遅刻しましたー、なんて先生には通用しないからだ。
ぎりぎりせーふ、と息を切らしながら教室扉を開けたところで、室内が異様な雰囲気に包まれていることに気付いた。
「おはよ。どうしたのこれ」と、扉の側に佇んでいたモモッキーに声を掛けるも、彼女は小さく首を横に振った。モモッキーにも分からないようだ。
教室中の視線が、窓際のとある席へと向いている。
そこでは、三人のクラスメイトがぎこちない会話(?)を繰り広げているようだった。
「そ、そういや来週テストだよね! そう、テスト。テスト、ヤバくね? 兵頭!!」
一人は、席の主であるユズユズ。なんだか焦っているようで、引きつった笑みを浮かべている。
「いや、別にヤバくはないが……。それより、湯月。お前ら、一体いつからそんなに仲良くなったんだ?」
その側に立つのはヒョードルだ。長身の彼女は眼鏡をクイクイ持ち上げながら、ユズユズともう一人とを不思議そうに眺めている。
「いや、昨日たまたま。たまたまね! 偶然ね!? ファミレスでばったり顔合わせちゃって。ね、進藤さん?」
「はい!」
言い訳がましくユズユズが叫ぶと、最後の一人――シンドーさんが頭をブンブン縦に振った。ヘッドバンキングみたい。
彼女は例の如く教室の風景とはマッチしておらず、ぼんやり浮かび上がるような存在感を放っている。
いつもと違うのは、クラスメイトと喋っているところと、ちょっぴり口角が上がっているところと、ユズユズにキラキラした眼を向けているところ?
……なーんかモヤモヤする。
「そ、それでさー。ほら、テストヤバいじゃん? 兵頭」
「いや、私は別にヤバくないが」
「ヤバいんだよ! で、じゃあ一緒にテスト勉強しようかーって話になって! ……その、進藤さんと」
教室のどこかで、誰かが「チッ」と舌打ちする声が聞こえた。たぶん、ナカジマちゃんだ。目が血走ってる。
「そうなのか? 進藤」
「はははハハははぃぃイイぃぃぃ」
「なっ、どうした!? なんで振動しているんだ、進藤!?」
「あー……、大丈夫、大丈夫。そういうギャグいらないから。兵頭に慣れてないだけだから」
「ギャグじゃないんだが!?」
と、扉の前で佇む私たちに気付いたユズユズが、ぶんぶんと手招きをする。
「あっ……ヤシマリ、百木さんも! こっち来てこっち!」
じろり、と教室中の視線がこちらに集まる。
とてつもない居心地の悪さを感じながら、私とモモッキーはクラスメイトを搔き分けて自分の席へと向かった。
「おはよう、八嶋。私は朝から疲れたよ……」
「おっす、ヤシマリ。待ってたよ。マジで待ってたんだよ……」
くたびれた様子のユズユズたちと、簡単に挨拶を交わす。
「おはよ。ユズユズ、ヒョードル。それと……シンドーさん」
「ぴ」
なんかシンドーさんの口から機械音みたいなのが聞こえたけど、気にしないことにする。
モモッキーも荷物を置いてから、おずおずと私たちの輪に加わった。
「で、でさー。聞こえてたと思うんだけど、進藤さんと私と兵頭で、今日の放課後テスト勉強するんだけど。二人はどう?」
「勝手に参加が決まっている……だと……」
「え、兵頭なんか用事あんの? ないでしょ」
「決め付けるなよ。……まぁ、ないが。委員会もテスト週間で休みだしな」
「で、どう?」とユズユズが目で問いかけてくる。助けを求めるように。
――私と、ユズユズと、ヒョードルと、モモッキーと。
四人だったらいつも通りなのに。そこに一人加わっただけで、空気感がガラリと変わってしまう。
友達が増えるのは歓迎すべきことなんだけど、この微妙なもどかしさは、いつまで経っても慣れない。例えるなら、自分の部屋に友達の友達を招き入れるよーな?
いつもだったら二つ返事でおーけーしているだろうに、何故だか言葉に窮してしまう。
すると、モモッキーがおずおずと手を上げた。
「ごめんなさい。私はちょっと、部活関係の用事があって……」
「部活って……あれ、百木さんって何部だっけ?」
「ゲーム開発部です」
そうだっけ。そんな部活あったっけ……。私、根っからのスポーツウーマンだから、文化部のこと詳しくないんだよなー。
ああ、でも言われてみればそうだった気も……。なんか、モモッキーの雰囲気にも似合ってる気がするし。眼鏡が。
「だが、百木。部活だってテスト週間で今日から休みだろう? 学級委員長として、規則破りは見逃せないぞ。この裏切り者め!」
「そーだよ、モモッキー。お母さんはそんな子に育てた覚えありません!」
ヒョードルと二人で「ブーブー」とからかうと、モモッキーは慌てた様子で首を振った。
「い、いえ。もちろん部室は使わないです。えと、今取りかかってるやつが、もうすぐ仕上げなので。続きを家でやろうかなぁ、と思いまして……。ごめんなさい」
「そっか。できれば、百木さんが来てくれたら助かったんだけど……。まぁ、用事があるなら仕方ないね」
ぺこぺこと頭を下げるモモッキーに、ユズユズが「また今度誘うね」と手を振って答える。そして、私の方へにんまりとした顔を向けた。
「で、ヤシマリはどうするの? どうせ、勉強全然やってないんでしょ?」
「ま、まぁね……」
他のクラスメイトからの視線が痛い。
「断れ」「私を誘え」って訴えてるみたいだ。
そんなにシンドーさんのアレコレが気になるなら、自分たちで勇気出して声掛ければ良いのに。
いつまでも妙な牽制をし合ってて、本当に馬鹿らしいと思う。
「ほ、ほら、進藤さんもヤシマリとお話ししたい、って言ってるし。ね?」
「ぴ!」
「ほら、そう言ってる!」
「いや、言ってないが……。いまどき、給湯器だってもうちょい喋るぞ」
やっぱり、モヤモヤする。
そもそも、シンドーさんってそんなに特別なんだろうか?
確かにすっごい美人だし、運動神経すごいし、人助けを率先してできるのだってすごい。勉強は……よく知らないけど、たぶん普通にできるんだろう。
――でも、それだけだと思う。
だって、私たちはただの女子高生だし。
きっと、シンドーさんにだって、シンドーさんにしか分からない悩みがあるんだと思う。周りが変にはやし立てて持ち上げてるせいで、口には出せない何かが。
この子だって年相応に女の子なんだぞ、と私は声高に叫んでやりたい。
そいで、みんなには目を覚ましてほしい。
ううん、違うな。みんなじゃなくて――。
「……あちゃー! ごめん、ユズユズ。私も今日用事があるんだった!」
「え、そうなの? じゃあ、三人でやるか……」
「シンドーさんもごめんね、また今度ね!」
「はぴっ」
結局、大した理由もないのに断ってしまった。
ガンッと、外れたボールがリングに弾かれる、その無慈悲な音が聞こえた気がした。