仲良しデスゲーム
その日の朝は、驚くほど早くに目が覚めた。
普段なら目覚まし時計に屈しているアタシが、今日はそのやかましい警告音を聞く前にその頭を制したのである。湯月柚子史上、稀に見る快挙と言っていい。
前日のファミレスで、異世界だの神だのと、あまりにも頭のキャパシティを超えた話ばっかり聞かされたおかげだろう。どっぷり沼に浸かるような疲労感だけが残って、あれこれ考える余裕もなく、昨日はぐっすり眠れたのだ。
なんとも幸先の良いスタートである。
電車での待ち合わせにも余裕で間に合うし、それに、今日は進藤さんと友達になって最初の一日だし?
……いつもは適当に誤魔化すお化粧も、かなり入念に仕上げることができた。
さて、そんなこんなで。
やや乙女チックな気分で、進藤さんとの電車での初待ち合わせに、それはもう心躍らせていたアタシであったが……。
「――湯月さん、わた、私は今日から、さまようアメリカ人です!」
「??? ごめん、全然意味が分からない」
混雑する朝の車内でアタシを待っていたのは、青ざめた表情でドア脇に佇む、我らが進藤さんの姿だった。
◇
トトントトン、という規則的な走行音を耳にしながら、たどたどしく語られる進藤さんの嘆きを整理する。
「――つまり、テストが不安だと。赤点取っちゃいそうだと?」
「……ぁぃ……」
「そっか。ちょっと意外だったかも」
「私はお馬鹿です。赤点と補習なら任せてください」
「いや、任せないから」
……勉強、苦手だったんだ。
しかし、確かに思い当たる節はある。体育や人助けや異世界バイトなど、運動面での進藤さんの活躍は目覚ましいものがあるけれど、学力とか知識に依るエピソードは聞いたことがない。
授業中は堂々としている……ように見えていたが、考えてみればそれだけだ。友人たちと宿題に頭を悩ませたり、小テストの点数を見せ合ったりなど、彼女の学力が露呈する場面は全くなかった。
なるほど、これもロキ神の言うところの「信仰は理解から遠ざかっていく」というやつか。
また一つ、アタシが勝手に抱いていた進藤素直像が崩れることになった。
「なら、テスト勉強頑張らなきゃね。えーと、特に苦手な教科とかある?」
「体育とホームルーム以外は、大体苦手です……」
「う、うん、ほぼ全部ね。というか、ホームルームって――」
「ごめんなさい、嘘吐きました。ホームルームも苦手です」
「苦手なんだ……」
なんでもクールにこなしているかのように見えて、彼女はかなり隙だらけのようだ。
そういう弱い部分を簡単に晒してくれることは嬉しく思う。反面、そのギャップに身悶えしそうになるので止めて欲しいとも思う。
ただでさえ――。
「ところで、ところで! 話は変わるんだけどさ」
「? なんでしょう。湯月さん」
「進藤さん、なんで今日もこの体勢なのかなーって……?」
ただでさえ、満員の車内でまた壁ドンされながら、その話を聞かされているわけで。
今にも唇を重ねてしまいそうな至近距離に、進藤さんの使命感に充ちた顔がある。
「心配には及びません。湯月さんのことは、毎日私が守ります。これくらいしか、できないので……」
「~~~~っ」
相変わらず凄まじい破壊力。耳元に唇を寄せて「私が守ります」なんて、もう狙ってやってるとしか思えない。でも、狙ってやってなさそうだからタチが悪い。
こんなのが毎日続いたら……。ロキさんの魔の手から進藤さんを救う前に、アタシが彼女に手を出してしまいそうである。
惜しむ気持ちはぐっと堪えて、「そんなことしなくて良いよ」と伝えなくては。
「ダメ、ですか……?」
ほら早速、潤んだ瞳を上から向けられました。
顔の造りヤバッとか、睫毛長っとか、唇柔らかそっとか、アホ毛キュートっとか、視覚的な情報量が多すぎて頭パンクですよ。
「いやいや、全然イヤじゃないし?? むしろ!? 毎日ウェルカムばっち来いって感じ!??」
「それは良かったです」
満面の笑顔をアタシに向ける進藤さん。
よき。
……じゃない。全然良くない。
なんてことを言ってしまったんだ。
こんな姿、もしクラスメイトに見られでもしたら……。幸い、周りを気にする余裕のある人はいないようだ。まさか、満員電車に感謝する日が来ようとは。
そもそも、勢いで「明日は一緒に登校しよっ」なんて誘ってしまったものの、この状況は少々まずいのではないだろうか。
『進藤様に気安く話し掛けてはならない』
これは明らかにそのクラスルールに違反した行為だ。
最過激派の中島さんを筆頭に、親衛隊の皆さんに見付かった時点で、おそらくアタシの平穏な学校生活が終わる。
実際、昨日ゴシップを披露した兵頭枝織は、一気にクラスでの信用と立場を失った。おそろしい。
かといって、自分から誘っておいて「一緒に登校して噂とかされると恥ずかしいし……」なんて言えるはずもない。薄情すぎる。
というか、もしそんなこと口走ろうものなら、また進藤さんギャン泣きしそうだよなぁ。そして、今度こそロキ神に殺されて人生が終わる。
あはっ、人生を賭けた仲良しデスゲームとか、ほんと笑える。笑えるなぁ……。
ごっとんと電車が揺れるたび、アタシたち二人の距離は近付いたり離れたりを繰り返す。
「湯月さん、どうしました? 私つまらないですか、それともクサいですか」
「ううん、違う違う。ちょっと、ほら、アタシもテスト勉強のことで考え事してただけ」
「……本当に、クサくないですか?」
「むしろ、良い匂い――って、それはそれでアタシ、キモいよね。あはは」
ああ、もう。
空気を読んで波風立てないように過ごす。人付き合いは広く浅く、八方美人に徹する。
学生生活を円満に送る上で大事にしていたその処世術を、アタシは今日かなぐり捨てなければならない。
昨日軽率な行動をとった自分を叱り散らしたい。そして、目一杯抱きしめたい。
このまま、進藤さんとは良好な関係を維持していきたい。ロキ神の目の届かない学校生活の中で、彼女ともっと仲良くなって信用を得る。それから、あの狂ったバイトを辞めるよう説得する。それが最終目標かな。
その為には……。
やはり、現状の進藤さんのクラス内立場を、さっぱり改善する必要がある。
進藤さんがロキ神に依存する一番の理由は、彼女があのファミレスでのひとときに充足感を覚えてしまっていることだ。現状は高校生活の楽しみとアルバイトが、イコールの関係で結ばれてしまっている。
それを解きほぐすには、学校内に居場所を作ってあげるのが手っ取り早い。
アタシだけ仲良し、というのが親衛隊的な意味で一番危険な状態だ。
ごくごく自然に、かつ今日中に、進藤さんとクラスメイトの何人かを仲良くさせる。自然に挨拶が交わせる程度に。
アタシとしても信頼できる人間を引き込もう。コミュ強のヤシマリは確定として、今年の首席合格者らしい兵頭に先生役をお願いしよう。それから、人当たりの良い百木さんもいると心強い。
となれば、用意するべきシチュエーションは――。
「……進藤さん」
「? はい」
ようやく水流駅に到着したようで、車輪がレールを擦る悲鳴と共に、電車はゆっくりとその速度を落としていく。
「今日の放課後、勉強会しよっか」
真横のドアが開いて、アタシたちは吐き出されるように朝のホームに降り立った。