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翼をください

 私、進藤素直は幸せな夢を見ています。


 夢の中の私は、暖かい何かに包まれながら眠っています。

 身体は自由に動きません。「頑張って起きなきゃ……」といつも思うのですが、手足ががちがちに固まってしまったかのように、指さえ動かすことが難しいのです。


 ですが、不思議と安心感があります。


 それもそのはず。

 視界がぱっと明るくなると、目の前にはママの顔があるのです。


 私の小さな身体を守るように、ママがぎゅっと抱きしめてくれています。

 赤ちゃんの頃の記憶なのでしょうか。

 ママが微笑んでいます。私も笑おうとしますが「あー」とか「うー」とかしか声が出ません。


 そのまま私を抱いて、ママが赤い布団の上を右へ、左へと転がります。

 ぐるぐる、ぐるぐる。夕焼けに赤く染まる景色が行ったり来たり。

 ぐるぐる、ぐるぐる。パパも、遠くから私を見つめています。


 いつまでも、いつまでも、ぐるぐる、ぐるぐる――。

 ――――。

 ――。



 ◇



「スーちゃん、何か良い事でもあった?」


 朝食の席。

 トーストをかじるお姉ちゃんからそう尋ねられました。

 私は口の中のウインナーをごくりと飲み込んでから、うんうんと頷きます。


「……あのね、お友達ができた」

「へぇ、いつものファミレス美少女ちゃん以外に?」

「うん。クラスの子」


 そう、高校に入って初めてのお友達ができました。湯月柚子ゆづきゆずさんです。

 しかも、秘密のアルバイト仲間です。

 昨日はあの後、湯月さんとアプリのお友達登録までしてしまいました。今後の連絡に必要だから、と。ロキさんもニコニコ喜んでくれました。


 そしてなんとなんと、今日は一緒に登校する約束までしてしまいました! きゃーっ!


 なんだか一日で様々なことが劇的に変わってしまって、身体の中の熱を発散できていないようなむずがゆさです。裸足のまま家から飛び出して、ゲヴァさんのように叫び出したい気分です。

 さいわい、幸いなりーーーっ! って。


 むふふ、と誇らしげに息を漏らした私のことを、お姉ちゃんはニコニコ顔で眺めています。

 今日は久しぶりにママとパパの夢も見られましたし、なんだか良い一日になりそうな予感がします!


「幸せそうだねー」

「お姉ちゃんは?」

「もちろん、私も幸せだよ。スーちゃん見てると、仕事の疲れだって吹っ飛んじゃう」


 お姉ちゃんは両腕を持ち上げて、力こぶを作るポーズを取ります。

 私がぽけーっと反応できないでいると、ちょっと恥ずかしそうに舌を出しました。


「でも、スーちゃん。遊んでばっかじゃダメだからね。学生の本分はあくまで勉強なんだよ」

「う、うん……」

「あ。そういえば、入学して最初の中間テストがもうすぐだったよね? 来週だっけ」

「うぐ、げほっげほっ」


 ぬるいホットミルクでむせた私を見て、お姉ちゃんがその瞳をギラリと光らせました。スーツの胸ポケットに忍ばせていたらしい眼鏡をスチャっと装着します。

 ……ちなみに、パソコン作業用のブルーライトカット眼鏡らしいので、度は入ってません。


「あのお母さんの娘で、この私の妹だからね。スーちゃんに限って、万に一つもないだろうけど」

「な、何が……?」

「今度のテストで赤点1つでも取ったら、問答無用で塾に通わせます」

「ぴぃっ!!」


 縮み上がる私を見ながら、お姉ちゃんは大げさに溜め息を吐きました。そのままカップのコーヒーに口を付けて、眼鏡のレンズを真っ白に曇らせてます。


 塾、塾なんて、絶対イヤですっ……!

 去年まで通っていた、あの学習塾での地獄のような日々を思い出してしまいます。

 来る日も来る日も、漢字と数式と英文法と年表と元素記号を頭に叩き込まれる恐怖……。あんな呪術的魔境にはもう戻りたくありません。


 何よりそうです、アルバイトです。私が塾通いなんて始めた日には、今度こそクビ確定でしょう。それだけはなんとしても避けなければ。


 しかし、どうやって……?


 言ってはなんですが、私は学年最下位には自信のある女子高生です。

 なんとか、もっと条件を緩くしてもらわなければ。

 ということで、交渉開始です!


「あのね、お姉ちゃん。私、提案があるのですが」

「ん、なぁに?」

「し、四捨五入したらゼロになりますし、赤点四個まではオッケーってことに――」

「……面白い冗談だね、スーちゃん。とってもセンスあると思う」

「はぃ、小粋なアメリカンジョークですぅ……」


 はい、終わりました。


 お姉ちゃんが、とっても怖い笑みを浮かべています。私も一緒に笑おうとしますが「あー」とか「うー」とかしか声が出ません。


 テレビの情報番組は、いつもの女子アナウンサーが何度もつかえながら原稿を読む姿を映しています。


『先月、とん、都内の通学路で起きた飲酒運転のトラックによる轢き逃げ事件から、昨日で一ヶ月が経つ、経ちました。この事故で亡くなった高校生・古田藍ふるたあいさん17歳のご遺族が――』


 きっと、彼女もこの後、色んな怖い大人たちに怒られるのでしょう。

「失敗して怒られたって? 私なんて滅多に怒られないよ! 年中失敗してるからネ! ハハハ」と、小粋なアメリカンジョークを交えながら彼女に伝えてあげたいです。


 テストという試練を乗り越えられねば、待っているのは死あるのみ。

 震えながらその時を待つか、それが嫌なら戦うしかありません。


 つまり、今日から一週間は勉強漬けの毎日……。


 暗澹あんたんたる気分でトーストをかじりながら、袋小路に迷い込んだ気分を味わいます。

 学力という翼が生えていたなら、こんな迷路とは簡単にオサラバできるのに。


 ぐるぐるぐるぐる。

 ありもしない出口を求めて、今日から私はさまよいます……。 


歌詞はあんまり覚えてない。

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