掛け違いの夜
「あぁ、どうしよう。どうしよう。スナオ、ねぇ、機嫌を直してくれないか。何が原因か分からないが、ボクが悪かったからさ――」
何の変哲もないファミレスの、いたって普通のボックス席。
平凡なアタシの目の前で、神様が慌てふためいている。あのロキ神が、だ。
隣で急に泣き出してしまった進藤さんをどう慰めたものかと、本気で焦っている様子だ。
「ユ、ユズ! 教えてくれ、ボクはどうしたらいい!?」
あげく、さっきまでやんわりと脅していたアタシにまで助言を求める始末。なんだか色々と力が抜けてしまって、アタシはソファーにへたり込んでしまった。
というか、あなた心読めるんじゃないの……?
神様もテンパったりすると、本来のパフォーマンスを発揮できなくなるのかな。
「……ロキさんが悪いと思いますよー。あんな言い方しなくても良いのに」
「どれの事!?」
「どれって、女心がまるで分かってないところ」
アタシの渾身の助言にもピンときていないらしい。ロキさんは狼狽したまま、進藤さんの頭を撫でようとするが、その手はむなしく払われてしまった。
しゅんとするロキさんの表情が可笑しくて、アタシはつい吹き出してしまった。堪えきれずに肩を震わせるアタシに対し、彼女は鋭い視線を送ってくる。だが、もう恐怖心は湧いてこなかった。
「どいて、ロキさん。アタシが説得しますから」
むぅ、とロキさんが口を尖らせる。
ソファーから立ち上がったアタシは、彼女の身体を押しのけるようにして、進藤さんの側へと近付いた。背中越しに、ロキさんの鋭い忠告が飛んでくる。
「……いいかい、ユズ。もしキミが、スナオに余計な話を吹き込もうとしたならば、ボクは容赦なくキミを異世界に――」
「はいはい。アタシは何も知りませんよ」
そもそも「神」の事とか「異世界」の事とか、進藤さんに本当に知られたくないのなら、なぜアタシに包み隠さず語って聞かせたのだろう。全てを誤魔化して、脅して、うやむやにする事だって可能だったはずだ。
だが、ロキさんはアタシの逃げ道を塞ぐような事こそすれ、遠ざけようとする気はないらしい。
アタシを、自分の手駒に加えようとしている……?
何か思惑があるのは間違いない。だが、それを今、詮索した所でしょうがないとも思う。今のアタシはまだ、蚊帳の外なのだから。
アタシはそっと、うずくまる進藤さんの肩を叩いた。すっかり目元の赤くなっている彼女が、ためらいがちに顔を上げる。
まるで、親から見捨てられるのを怖がる幼子の様だ。
教室で、頭の中で、アタシが思い描いていた「進藤素直」像とは大きく異なるその姿。それらは身勝手な幻想で、ありもしない理想だったのだと思い知らされる。
アタシも、クラスの女子たちも、ロキさんさえも、この普通の女の子に期待ばかり押しつけて……。
彼女の耳元にそっと口を近付けると、何を思ったのか、進藤さんはすごい勢いで自分の耳たぶを隠した。どこか、怯えと羞恥を孕んだ瞳と共に。
気にせず、背後のロキさんに聞こえないギリギリの声量でアタシは囁く。
「進藤さん、アタシとロキさんはそういう関係じゃないよ」と。
彼女はアタシとロキさんの顔を交互に見比べてから、とてもか細く「……ほんと……?」と呟いた。
「うん、本当。だから、安心して。このファミレスに来たのも偶然だし、二人の時間を邪魔する気もなかったの」
若干、嘘が混じっているけれど。それは許してほしい。
顔を離したアタシが微笑むと、進藤さんもそれはそれは嬉しそうに、くしゃくしゃの顔を綻ばせた。
その破壊力たるや、直視できないほど眩しい。
ふーっと、大きく息を吐いてから「それでね」と切り出す。進藤さんがこくりと小首を傾げた。
……その破壊力たるや、直視できないほど愛らしい。
「その、朝、言いそびれちゃったんだけど」
「……はい……」
「アタシ、前から進藤さんと仲良くなりたかったんだ。だから、お友達になろ?」
アタシが意を決して口にした言葉を前に、進藤さんはその大きな瞳を何度もぱちくりとしばたく。遅れて「うぇい!?」と、肯定とも否定とも取れるような叫びを上げた。
「え、あ……よ、よろしくお願いしましゅっ……」
「うん。よろしくお願いしましゅ!」
震えながら差し出された進藤さんの手を、アタシは迷う事なく握った。後ろでロキさんが「良かったねぇ、スナオ」なんて、おどけた様子でぱちぱち拍手をしている。
「いきなり泣いて、ごめんなさい……」
進藤さんがぺこりと頭を下げると、ロキさんは何でもないという風に首を振った。
そのまま「ところで、どうして急に――」と話題を蒸し返そうとした彼女を、アタシはキッと睨み付けて黙らせる。やっぱり何も分かってない。
……いや、何も分からないのはアタシも同じか。
今日は朝から振り回されてばかりな気がする。特に、この美人二人に。
ほんの数時間の内に、アタシの人生はがらりと変わってしまった。そして、これからもたぶん、ブンブン振り回され続けるのだろう。
だが、巻き込まれてしまった以上は全力で、彼女らについていかなければと思う。
進藤さんを助けてあげられるのは、この邪神から救い出せるのは、おそらくアタシしかいない。何ができるのかは分からないけれど、何かしなくてはいけない。
妙な使命感と対抗意識が燃え上がってくる。
アタシはそのまま進藤さんの隣に座ると、手を伸ばして、置きっぱなしになっていた箸を手に取った。テーブルに残っていた大ぶりの唐揚げを一個口に運ぶ。噛む度にジューシーなもも肉の脂が溢れて、活力がみなぎってくる。
そんなアタシを見ながら、進藤さんが「ほえぇ」と感嘆の(?)息を漏らした。
ロキさんはゆっくりと歩いて、対面のソファーへと腰を下ろす。横目でそちらを見遣れば、ニコニコと余裕を取り戻した表情でアタシたちを見ていた。
狙い通りだと、全て計画通りだと言わんばかりに。あんなに焦ってたくせに。
『今に分かるよ。きっとすぐに、キミを見つけてくれる人が現れる』
先刻、ロキさんが進藤さんに語っていた言葉が脳裏を過った。
気に入らない。
「そうそう、進藤さん。ロキさんから聞いたよ。面白いバイトしてるんだってね」
巻き込まれるんじゃなくて、ウザい位にこっちから関わってやる。
「ねぇ、さっきは異世界――いえ、どんな夢を見てたの?」
「うん、うん。あの……、えっと、えっとね――」
――そしていつか、恋と呼ぶには浅いこの感情に、決着を付けるんだ。
店内BGMが再びサビに差し掛かって、『わたしたち今日から特別ね――』なんて歌詞が聞こえてくる。
アタシたちのこれからを、暗示するかのように。
これにて唐揚げ回終了。バランスがおかしい。