寵愛の夕暮れ(1)
「――どういうつもり、ですか?」
促されるままにボックス席を移動し、勧められるままに唐揚げを一個二個と口に運んでから、アタシは対面の席にいるロキさんに問いかけた。
「言ったろう、ユズ。キミを歓迎すると」
彼女はアタシの方を面倒くさそうに一瞥してから、すぐに視線を進藤さんの方へと戻してしまった。
進藤さんは眠っている、らしい。ロキさんの肩にもたれかかるようにして目を閉じたまま、ピクリとも動かない。
アタシが半ば強引に対面のソファに座らされている間も、ロキさんが少し窮屈そうに隣へと腰掛けている間も、彼女は全く起き上がる気配がなかった。ファミレスで思わずうたた寝というのはまだ分かるけれど、ここまで深く眠れるものかと不思議に思う。
隣で目を閉じる進藤さんの事を、ロキさんはとても愛おしそうに見つめていた。時折、指を絡めたり、髪の毛にキスをしたり、その溺愛ぶりは目に余る。
「何か言いたげだね」ロキさんが再びジロリとこちらを睨んでくる。
「その、二人の会話を盗み聞きしてたアタシの事……ど、どうにかするのかと思って」
「どうにかって? 握った弱みを突きつけて、キミに性的な要求をしたりとか? 生憎だが、ボクはキミみたいな人間の小娘を相手にする趣味はない。少し自惚れが過ぎるのではないか」
心底呆れたように、ロキさんが溜め息を吐いた。
「せっ性的!!? 違くて、そうじゃなくてっ!」
思わず声を張り上げてから、アタシは周囲をキョロキョロと窺った。モッサい頭をした眼鏡の男性店員が、鼻の下を伸ばしてじーっとこちらを見ていた。思いっきり睨み付けてやると、彼はそそくさと自分の仕事に戻っていった。
「そうじゃなくて! もっと、物理的に、け、消されるのかと。どこかに連れて行かれたり、刺されたり、高い所から突き落とされたり……」
「っ! くっくっくっ」
アタシが恐る恐るそう言葉にすると、ロキさんは笑いを噛み殺すように口元を押さえた。
もちろん、アタシだって自分がおかしな事を口走っているという自覚はある。
この平和な日本の社会で、しかも一見ただの女子高生らしき人間に、そんな力があるものかとも思う。ドラマの見過ぎ、漫画の読み過ぎだと馬鹿にされても仕方がない。
「そんな事するはずがないだろう? ボクを何だと思ってるんだ」
「そう、ですよね。ごめんなさ――」
「直接手を下すような短絡的な真似はしないさ。この世界に対して、そういう管理権限もない。だが、ボクの管理する世界でなら話は別だ。そして、ボクには客人を向こうの世界へと引きずり込――いや、お招きする手段ならある」
「どういう……」
「いわゆる、キミたちの大好きな異世界への強制転移というやつさ。心躍るだろう?」
冗談のような内容を、彼女は淀みのない真実として言ってのけた。それから、その綺麗な顔の上に芝居がかった偽物の笑みを貼り付ける。
「笑わないのかい、ユズ。荒唐無稽だと、誇大妄想だと、厨二病だと、鼻で嗤うのが普通の反応なんだけどな。くくっ」
なんなんだ、この人は。
だけど、それが全くの作り話だとは思えない。目の前の女性は危険だと、アタシの第六感がスピーカー放送のように何度も告げているのだ。「弁当に入ってた嫌いなおかずを生ゴミに捨てるように、ごく自然に人間の事を捨てかねない」のだと。
確かに、息を呑むような美人だ。西洋人形のように白い肌と、細身なのに女性らしいプロポーション。進藤さんが夢中になるのも分かる。十人歩いている道を通って百人が振り返るような、そういう常識の外にある馬鹿げた美貌だ。あまりにも完全で、作為的で、美しいと思うアタシの感性すら、彼女の手で捏造されているのではと錯覚してしまう。
だけど、それはきっと仮面にすぎない。血の通わない、冷たく温度のない鉄仮面。
その奥にある本質は凶暴で、きまぐれ。
そう確信せざるをえないような本能的な体験を、アタシは一瞬で味わった。
「うん。なかなか感性が鋭いね、ユズは。ボクはキミの事が少し気に入ったよ」
ちっとも嬉しくない。
「……ア、アタシは、あなたの事が分からない。これ以上、深入りしちゃいけない気もしてるし、少しでも知っておかなきゃいけない気もしてる」
「良いね。知る事は自由であるべきだよ。そこにどんな注釈を付けるのかは、ユズの好きにすればいい。そもそも人間に許された能力の範囲で、世界についての絶対的知見を得る事は不可能なのだから」
店内空調はほど良い室温に設定されているはずなのに、アタシの背中には滝のような汗が浮かんでいた。インナーが透けてないかとか、気にする余裕もない。
進藤さんは、やはりピクリとも動かない。「疲れて眠ってしまった」なんてロキさんはうそぶいていたけれど、よく見れば呼吸をしている様子がない。繰り手のいない人形のように腕や頭はだらりと垂れ下がっており、支えがなければ今にも崩れ落ちてしまいそうだった。
――普通ではない。何かが異常だ。
幸いな事に、ロキさんはどんな質問にも答えてくれるつもりらしい。アタシを害するような意志も、とりあえずはないようだ。とりあえずは。この場から逃げ出そうとした途端、後ろから刺されないとも限らないが。
「安心してくれ。ボクはお喋りがしたいだけなんだ。質問があれば、なるべく答えよう。愛を囁いてくれても良い。もっとも、その想いには応えられないが」
アタシはすぅっと息を吸い込んだ。店内のBGMが、人気女優が歌うヘタクソなドラマ主題歌に切り替わった。
こうなれば、直球勝負だ。
「あなたは……神様、なんですか? 北欧神話の“ロキ”?」
進藤さんが呼ぶその不思議な名前を耳にした時から、頭に浮かんではいたのだ。そして、彼女自身のこれまでの言動がそのイメージを補強していた。
北欧神話のロキ。
主神オーディンの義兄弟でありながら、数々のトラブルを巻き起こすトリックスター。イタズラが過ぎた結果オーディンたち神々と諍いを起こして、最後は敵対するんじゃなかったか……。漫画やゲームから得た知識なので、そんなに詳しくはないけれど。色んな作品でモチーフに選ばれる有名な神様なのは間違いない。
その神様が今、目の前に女性の姿をして座っているのだとしたら……。
ロキさんは湯気の立たないカップを傾けて、鷹揚に頷いた。
「まぁ、半分正解。ただし、ボクはその概念の再構成体であって、キミたちの知る神話のロキ神そのものではない。世界人類の集団的無意識下の願望に応じて、顕現に必要な要件をたまたま満たしたのがボクという存在だった」
「えーっと……?」
「例えるなら……。ロキ神の墓に偶然雷が落ちて蘇ったゾンビ、それがボク。いくら生前の記憶や嗜好を受け継いでいたとしても、それは故人そのものではないだろう?」
頭には、ヤシマリと一緒にプレイした和製ホラーゲームが浮かんでいた。ヤシマリのお父さんが持ってたちょっと古いソフトで、孤島を舞台にゾンビみたいな敵から隠れながらステージをクリアしていく作品だった。もっとも、操作も謎解きもアタシ一人だけで担当し、ヤシマリは横でギャーギャー悲鳴を上げながら抱き付いて邪魔する担当だったのだが。
「くくっ。キミとヤシマ・マリは本当に仲が良いんだね。それだけ想い合ってるのだから、スナオの事はすっぱり諦めて、彼女と恋人になればいいだろうに」
「なっ! はぁっ!? そんなんじゃないし! 大体、アタシたちはノーマル――」
と、言いかけてアタシは口をつぐんだ。
「もしかして、アタシの考えてる事、分かるの……?」
「そりゃあ、これでも神の一柱だからね。いつでもというわけではないが、人間相手の情報閲覧ならそう難しくはない。キミの事も調べさせてもらったよ。体力テストの成績から二週間前の晩ご飯のメニューまで、なんでもお見通しさ」
「何それ……キモい……」
思わず口に出してしまった。
「……そうか、信用できないか。なら、一昨日の深夜一時十三分から、キミが何をオカズに自慰行為をしたか、店中に響き渡るよう発表してあげよう」
「嘘ですごめんなさいやめてください!」
なに、なんなのこの人!? いや、この神様はっ!!
ちょっぴりお下品。