★グリフォンは祈りを謳うのか(2)
威圧感を撒き散らしながら、グリフォンがゆっくりと歩く。
広場の中央に立つ大男から決して目を離す事なく、一定の距離を保ちながら彼の周囲を回る。
「はっはハァァアアア!! 腰は痛むかねェ! グリフォンくぅぅんッッ!!!」
ゲヴァルトさんが挑発するように、奴に向かって指先をくいくいと動かした。
両者の睨み合いが続いている内に、ちゃんと動かねば。俺は適当な建物の壁を蹴り上がると、その屋根の上によじ登った。広場の方へと向き直って、弓矢を構える。
先に動いたのはグリフォンだった。
「キィィィイイァアッッ!!!」
耳障りな雄叫びを上げたグリフォンが、後ろ足だけで立って翼を大きく広げた。退屈そうに脇をぽりぽりと掻くゲヴァルトさんにのみ、奴は意識を注いでいる。それが彼の狙い通りであるとは知らずに。
巨体を支える獅子の後ろ足目掛けて、俺は素早く矢を放った。
完全に虚を衝いた一射であったが、寸前で察知したらしいグリフォンは尻尾を振る事でその一撃を弾く。奴の首がぐるりと動き、ようやく二人目の敵の存在を認識したようだ。刺すような視線が襲いかかってくる。
――だが、それでいい。重要なのは、奴の意識が一瞬でもこちらに向いた事だ。
「ひゃあアアアァアッぃぃいイイッッ!」
素早くグリフォンの足先に飛び込んだゲヴァルトさんが、敵の左足を刈るようにメイスを振り回す。
ごうっと空気を切る音。それから、「チッ」という舌打ちが聞こえた。
グリフォンは間一髪、空に飛び上がって攻撃を回避したようだ。翼を何度も大きく羽ばたき、足元の敵に向かって突風を巻き起こす。正面から風圧を浴びたゲヴァルトさんの身体が後ろへと吹き飛ばされた。地面の上を二度跳ねてから、地面に手を突いて身体にブレーキを掛ける。
体勢を崩したゲヴァルトさんに向かって、グリフォンが上空から急降下する。
追撃を阻止しようと矢を放つが、奴の速度には到底追いつけない。
「ぐっ」
体重の乗ったクチバシの一撃をなんとか躱したゲヴァルトさんだったが、直後に繰り出された爪の一撃は回避できなかった。
前足で払うように弾かれた彼は、手近な建物まで吹っ飛ばされてしまった。激突の衝撃に耐えきれず、土煙を巻き上げて建物が崩れる。
「ゲヴァルトさんッ!」
すかさず俺は、動きを止めたグリフォン目掛けて矢を三本速射。二本は広げた左翼で防がれたものの、残りの一本が前足の先に刺さった。
グリフォンがうっとおしそうにその身を捩る。俺のいる建物へ首だけを向けると、クチバシを大きく開いた。
肌が粟立つ。
何かが来る。危険な攻撃だ。避けなければ。しかし、間に合わないッ――!
昨夜聞いた言葉が蘇る。『手数の押し付け合いだ』と。
「『ウインドショット』ッ!」
俺は自分の足元に魔法の風を放って、その推力でもって勢いよく屋根から飛び上がる。そのまま放物線を描いて、背中から手近な地面に転がった。
はたして予想通り、グリフォンが咆哮と共に口から放った空気弾が、物置小屋を跡形もなく吹き飛ばしていた。
「ぅおっ……!? 正面から喰らってたら確実に死んでたな……ははっ」
そのあまりの破壊力を前に、俺は苦笑いを浮かべるしかない。
習い立てで実戦での使用経験なし、付け焼き刃の魔術だったが、意外な形で活路を見出せた。
「クアアァア!!」
再び、グリフォンが首をもたげるのが見えた。クチバシの隙間からは、かすかに魔力光が漏れている。第二射のサインを前に、俺は慌てて立ち上がって走り出す。
「――余所見だなあァァッッ!!!」
瓦礫の中から飛び出したゲヴァルトさんが、左の掌を敵に向けて叫んだ。意趣返しのように放たれた『エアリアルジャベリン』が、グリフォンの側頭部に直撃。奴の頭が無様に横を向く。
建物と激突した際に着衣が破れてしまったのだろう、ゲヴァルトさんの上半身からはその残骸が垂れ下がっている。戦いの邪魔になると感じたのか、彼は何の躊躇いもなくそれを手で破り捨てた。
鍛え抜かれたゲヴァルトさんの上半身が露わになる。
戦闘行為に最適化されたその身体には、無数の陰影を伴って大小様々な筋肉が隆起していた。それら一つ一つを彩るように、白い古傷と、赤い血がたらりと流れる新しく細かい傷が目立つ。だが、大きく致命傷を負っている様子はない。先ほどの爪の一撃も、メイスを縦にして防いだのだろう。
ゲヴァルトさんがニヤリと、邪悪な笑みを浮かべた。
「さっきのは良かったぞ、グリフォンくぅぅん! 私の真心が、バルハラまで届きそうだったぁぁァアはハハハぁッ!!」
グリフォンの黄金の瞳が、一瞬揺らいだ気がした。今度こそ敵を仕留めようと、奴は翼を大きく動かして飛翔を始める。……が、直後に空中でぐらりとバランスを崩して、伏せるように地面に降り立った。
おそらくは、最初の不意打ちによるダメージ。
ゲヴァルトさんが「浅い」と評したそれ。致命傷には至らなかったものの、その一撃は奴の芯まで到達していたのだ。痛みはじわじわと広がっていき、遂には飛行能力を麻痺させたようだ。
――その機を逃さず、ゲヴァルトさんが一気に距離を詰めにかかる。反撃とばかりにグリフォンが放った空気弾を、飛び込み前転で回避。メイスを腰だめに、体勢を低くして突っ込んでいく。
一方の俺は、ゲヴァルトさんと十字に交差するように走った。
グリフォンの視界を横切りながら、奴のデカい図体のあちこちに散らすように手持ちの矢を何本も放った。もちろん、そのほとんど全てを前足や翼で弾かれてしまったが、それで構わない。
今は、矢を当てる事に拘らない。
この戦場における俺の役割は、虫のように飛び回ってでも奴の意識を散らす事だ。
ゲヴァルトさんの急接近に気付いたグリフォンが、前足の爪を大きく振り回す。だが、攻撃はむなしく空を切り、地面に四本の筋を残しただけだった。
垂直に飛び上がる事で爪を躱したゲヴァルトさんが、両手で握ったメイスを大きく振りかぶる。背筋が大きく躍動し、強振の一撃が敵の前足をべこりと押し潰した。
低く唸ったグリフォンが後ろへと飛び退く。潰された右足は黒い粒子となって消滅を始めていた。ならばもう片方でとばかりに、奴は左足を払って眼前の敵を退けようと試みる。
だが、それを阻止すべく放った俺の矢が、偶然、奴の右目に深々と刺さった。
残っていたもう片方の足にもメイスが叩き込まれる。地面は大きくヒビ割れて、グリフォンの巨体が大きく揺らいだ。そのまま、首から崩れるように奴が倒れる。
「さぁ、祈り給え……」
立ち上る砂煙の中、ゲヴァルトさんがゆっくりと奴に近付いていく。だらりと下ろした右手には無機質なメイス。彼が歩く度にその先端が地面と擦れて、カリカリという音を残しながら一本の軌跡を引いた。
「キィアアア!! キィィイッッ!!」
天に向かって助けを求めるようにグリフォンが鳴き声を上げた。山中の澄んだ空気を切り裂きながら、甲高い叫びの波がこだましていく……。
身構えた俺は周囲を警戒するも、奴の仲間はついに現れなかった。
先ほどから気にはなっていたのだ。これほどの激戦を繰り広げているにも関わらず、二体目、三体目のグリフォンが姿を見せない事に。
――そこでようやく、俺は山頂から轟いた雷鳴の正体に思い至った。
「どうだぁ……。神の恩寵を感じたろう。それこそが祈りだ。イグドラの教えだよ、グリフォンくぅん。では、心が褪せない内に、早く死のうかぁ……」
「キィアァ……」
グリフォンの身体が、再びふわりと浮かび上がる。
空中で何度もバランスを崩しながらも、奴は痛みに耐えるように必死に翼を羽ばたいていた。仲間が助けに来ないという事実を前についに戦意喪失したらしい。俺たち二人にくるりと背中を向けて、空の向こう、山頂の方へと逃れようとしている。
「ゲヴァルトさん」
俺は腰に下げたまま出番のなかった長剣を抜いて、上裸の神父様に恭しく渡した。
頷いてそれを受け取ったゲヴァルトさんが、剣先をグリフォンへと向ける。
「……忘れ物だぞ!」
凄まじい風圧を残して放たれた渾身の『ウインドショット』に押されて、長剣が高速で上空へと打ち上げられる。背中を向けたグリフォンに向かって一直線に。
尻に剣が突き刺さったグリフォンは「ゲ」という情けない断末魔を残し、黒い霧となって消滅した。
◇
空からコトリと落ちてきた魔石を目にした途端、俺はその場に膝をついてしまった。
戦闘中の高揚感が薄れ、代わりにずしりと重い疲労感がのしかかってくる。音を立てないよう神経使って歩いたり、かと思えば走ったり、屋根上ったり、魔術で飛び降りたり、また走ったり……。息を整える暇もなく激しく動いたせいだ。
ぜぇ、はぁ、と何度も荒く熱を吐き出しながら、砂の混じった空気を身体に取り込む。
辺りをぐるりと見渡してみれば、広場に並んでいた建物は二棟全壊、三棟半壊といったところで。楽な戦いではなかったとはいえ、お世辞にも完勝とは言えない有様だった。
ともあれ、グリフォン一体の討伐には成功した。
「終わった……」と俺が思わず口に漏らすと、
「いや、まだ終わってはいまい」とゲヴァルトさんが即座に否定した。
激しく動いていたのは同じだろうに、ゲヴァルトさんはほんの僅かに肩で息をしただけで、すぐに呼吸を整えてしまった。それからはずっと山頂の方を見つめている。
時折、思い出したように響いてくる“奴ら”の叫喚に耳を澄ませながら、落ち着かない様子で空の左手を握ったり開いたりしている。
「……ゲヴァルトさん、行ってください」
彼の眉がぴくりと動いた。
「俺、体力ないんで……。しばらくは、動けそうにないです。すみません」
「グリフォンはどうする。まだ一体を天に還しただけだぞ。カリス君一人では――」
「戦乙女様が、一体でも取り逃がすと思います? 信心が足りませんよ、ゲヴァルトさん」
そうイジワルに問いかけると、ゲヴァルトさんは黙ってしまった。
そう、山頂にはきっと戦乙女様がいる。
――おそらく、“黒髪の戦乙女”様が。
凄まじい膂力から放たれる赤い拳と、それに対峙するグリフォンの群れ。轟く雷鳴と、奴らの悲鳴。それならば、色んな事が腑に落ちる。
再び、ドンっと山全体を揺らすような衝撃音が聞こえてきた。山頂では未だ、熾烈な戦いが繰り広げられているのかもしれない。しかし、そう長くは掛からないだろう。もちろん、戦乙女様の勝利でもって戦いが終わる事に疑いの余地はない。
「早く行かないと。愛しい“彼女”に逃げられちゃいますよ」
昨晩、ゲヴァルトさんが語っていた「子供じみた願い」を思い出す。
なんともまあ、現実離れして実現不可能な話であったはずなのに、今、目の前にはそれを叶える機会が巡って来ているかもしれないのだ。
――この敬虔で純粋な神の眷属たる男を、戦乙女様の下へと導く事。
もしかしたら、それこそが俺が寵愛を受けた理由、命を救われた理由なのかもしれない。
俺と出会った事で、彼の巡礼はその旅程を大きく変更する事になった。整備された街道をただ歩くだけなら、ここヨール山など遙か前に通り過ぎてしまっていただろう。
知らず知らずの内に、神様の書いた運命通りに彼の道案内をしていたのだとしたら……。
「感謝するぞ、カリス君」とゲヴァルトさんが呟いた。
メイスを肩に担ぎ、山頂に向かって歩き始める。依然として無表情のままだが、その足取りは幾分か軽やかに見えた。
「……ゲヴァルトさん!」
彼の逞しい背中の筋肉を見つめながら、俺は清々しい気分で彼の名を呼んだ。
「相手は一応、女性ですけど! 服、着なくて大丈夫ですか!?」
ゲヴァルトさんはこちらを振り返る事なく、空いた手をひらひらと振る。
「戦乙女様が、そんな事を気にすると思うか? 信心が足らんぞ、カリスくぅうん!!」
前後編8000字も使って描かれるオッサンvsグリフォン。
ガールズラブ要素はどこへ……。