★グリフォンは祈りを謳うのか(1)
夕焼けに染まる空の下、村から採石場へと続く上り坂を二人で警戒しながら進む。
村から正式に依頼を受ける形で、俺たちはグリフォン討伐に向かっている。村長さん含め何人かの村人が同行を志願してくれたが、それは丁重にお断りした。連携のとれていない大人数で動くより、戦い慣れた二人で動く方が気が楽だからだ。
ほどなくして傾斜は緩やかになって、やがて視界の中に木造の屋根がぽつぽつと見えてきた。簡素な建物が円形に立ち並び、広場の形になっているようだ。この先に、村人たちの働く採石場があるらしい。
並んでいる建物は、それぞれが何かしらの作業場か物置のようだ。壁に立てかけるように、あるいは地面に放り投げるような形で、シャベルやツルハシなどの道具が置かれている。
右手に見える一つだけ背の高い建物は休憩所だろうか。屋根には大きな鐘が吊り下がっており、それを鳴らす事で採石場で働く人々に合図を送っていたようだ。
「……いたぞ、カリス君」
ゲヴァルトさんが声を落とす。俺たちは手近にあった物置らしい建物の陰に潜んで、広場の中央、そのぽっかりとした空間へと目を遣った。
はたして、そこには一体のグリフォンが待っていた。
――デカい。
最初に抱いた感想はそれだった。
山頂を舞うその姿を遠目で捉えはしていたが、近くで見るとなお迫力が違う。四足歩行にも関わらず、首を伸ばせば長身のゲヴァルトさんすら見下ろす格好になるだろう。
大きいと言う事はそれだけで脅威となる。湾曲したクチバシや、人間の胴体ほど太い前腕と、そこから伸びる固そうな爪。動物的でシンプルな攻撃すら、当たり所が悪ければ即死に繋がるに違いない。以前、対峙したベヒモスもそうであった。
ただ、幸いな事に向こうはこちらの存在に気付いていないようだ。
翼を折りたたんだまま鷲頭をだらりと垂らし、四本の足はべったりと地面に付けている。目を閉じ弛緩した格好で鎮座するその様は、まるで日向でまどろむ猫を彷彿とさせた。こちらに横腹を向けて寛いでいる辺り、かなり油断しきっている様子だ。
おそらくは縄張りの見張り役(職務放棄中のようだが)らしいあの一体以外、周囲に他のグリフォンの影はない。
逆に言えば、奴の処理に手間取った時点で仲間を呼ばれるリスクが高まる。グリフォンの数は、確認できているだけでも最低三体。囲まれたら終わりだ。
大事なのは、初撃。
初手であのグリフォンに致命傷を与える。最低でも、飛行能力は奪いたい。万が一に空中に逃げられてしまった場合、こちらの攻撃手段がかなり限定されてしまうからだ。
「どうしますか?」と、隣で屈むゲヴァルトさんに目で合図を送る。
彼はそのほの暗い瞳をグリフォンに固定したまま、小さくくぐもった声を出した。
「接近して痛打。それしかあるまい」
威力と隠密性。考えるべき要素はこの二つだ。
『エアリアルジャベリン』などの風魔術は威力こそ申し分ないが、性質上、隠密性には欠ける。特にこのように静かな場所では、風切り音のせいで攻撃が目立ってしまう。一方、隠密性の高い矢による一撃はといえば、あの巨体に対しては威力面で心許ない。
やはり、メイスによる不意の一撃。それこそが、俺たち二人が持つ攻撃手段の中で最も妥当な選択となる。
――問題は、どうやってあのグリフォンに接近するか。
俺は足元に視線を落とす。辺り一帯の地面には大小無数の砂利が散らばっており、音を殺しながら移動するのは至難の業だ。今はまだ距離があるから問題ないが、もう少し接近しようものなら確実に俺たちの存在を察知するだろう。
「歩いて近付けばいい」と、ゲヴァルトさんが事もなげにそう言った。
「いや、そりゃあそうでしょうけど……」
敵は見通しの良い広場のど真ん中で、足場は音が目立ちやすい砂利敷き。いくらゲヴァルトさんが歴戦の戦士だとしても、それが悪条件である事には変わらない。
「あの建物の吊り鐘を使おう、カリス君。……鳴らしてくれ。攻撃の合図にも丁度良い」
ゲヴェルトさんが右手に見える背の高い休憩所を指差した。ギリギリまで接近して下から弓で射れば、多少は音を鳴らせるか。
急に鳴り始めた鐘へと奴の意識が向いたその刹那に、メイスによる急襲を仕掛ける。
随分まともな作戦だ。と感じてから、ふと気付いた。
……よくよく思い返してみると、こんな風に戦闘前に彼と戦術の確認をするのは、初めての事じゃないだろうか。ゲヴァルトさん、いつもは俺に何も告げずに「ひゃっはー」して突撃だったわけで。俺をアテにする事自体が珍しいのだ。
昨晩のアドバイスといい、少しは俺の事を認めてくれたのだろうか。そんな自惚れた考えが頭を過ってしまって、なんだか無性に恥ずかしくなってしまった。
「て、てっきり『奴を信仰に目覚めさせる為に、目の前に立って聖典をそらんじろ!』とか言われるのかと思いましたよ。『神の寵愛を見せてやれ』とか――」
口に出してから、それが失言だった事に気付いた。
「! 素晴らしい提案だぁ……。そうだな、その手でいこうじゃないか」
明らかに冗談のつもりで発せられた一言に対し、ゲヴァルトさんはまるで天啓を得たようにらんらんと瞳を輝かせていた。
「成長したな、カリス君!」
ゲヴァルトさんが醜く口元を歪めた。本当にいつ見ても、とてつもなく禍々しい笑顔だ。その夢に出てきそうなほどの不気味さに釣られて、俺も引きつった笑みを浮かべる。
「冗談です……」と即座に前言を撤回したところ、ゲヴァルトさんに思い切り睨まれた。
◇
建物を挟んだ向こうから「キィ」という鳴き声が聞こえた。そっと様子を窺うと、こちらに横顔を向けているグリフォンが、退屈そうに欠伸をしていた。
「……向こうがいつまで待ってくれるか分からん。すぐに動くぞ」
ゲヴァルトさんはメイスを右手に構えると、腰を屈めたまま左を向いてさっさと移動し始めてしまった。そのまま建物の外壁に沿って進んでいき、敵の背後を虎視眈々と狙う。
ぶるりと身震いをしてから、俺はゲヴァルトさんとは反対方向に身体を向けた。おそるおそる、足を一歩前に踏み出す。ゆっくりでいい、とにかく静かに動く事を意識する。身体を小さくしながら、目標地点まで最短距離で進んでいく。
時折、立ち並ぶ建物の隙間からグリフォンの様子が見えた。相変わらず瞑目したままのようだが、眠っているわけではない。それは、時折思い出したように揺れる尻尾の先端が物語っていた。
いくつかの陰を通り過ぎて、ようやく吊り鐘を狙える位置まで到着した。木造の脆そうな小屋の壁に身を寄せて、浅く息を吐き出す。
「よし……」
俺は静かに矢筒に手を掛け、一本を弦に掛けた。片膝立ちのまま弓を引き絞り、慎重に狙いを定める。
先ほどの村で十数本もの矢を譲り受けた事もあり、筒の中はいっぱいになっている。それでも、一射で確実に決める事が重要なのだ。それはいつもと変わらない。
緊張で手に汗握る。だが、身じろぎ一つ許されない。建物一棟を間に挟み、距離もそれなりにあるとはいえ、自分は今グリフォンの顔前にいるのだという事実を意識せざるをえない。砂を擦るわずかな音さえも、命取りになりかねないのだ。
頭の中で、射撃後の動き方を想像する。
矢が見事命中して鐘が鳴り始めたら、それを合図に後退だ。さっさと移動して、ゲヴァルトさんの援護に入ろう。
俺は心の中で数を数えた。矢の発射まで、十、九、八、七――。
俺がカウントを終える直前。
突然、雷が落ちたような轟音と、耳をつんざくような甲高い鳴き声が、山頂から降ってきた。
それを合図に、グリフォンが臨戦態勢に入ったのを肌で感じた。
建物越しに急に襲ってきた圧迫感のせいで、俺の手元は狂ってしまう。放たれた矢は、当初の狙いを逸れて釣り鐘の屋根に突き刺さってしまった。
奴がバサリと翼を大きく広げる音が聞こえた。次いで、地面を蹴る音。
「――シィッッッ!!!」
ゲヴァルトさんが漏らした呼吸音と、ドッ、という鈍い殴打音が響く。
飛び立つ寸前、背後から不意の一撃を受けたグリフォンが、バランスを崩して休憩所の建物に激突する。その衝撃のせいで大きく揺れた釣り鐘が、そのくぐもった音色を辺りに響かせた。
我に返った俺は、眼前の休憩所から距離を取るべく足を動かした。
山頂で何かが起きた。
この場にいる全員の予想だにしていなかった何かだ。
――何でッ!!!?
叫びたくなる気持ちをぐっとこらえて走る。ともかく、距離を取らねばならない。
「浅いッ!! 信心が足りんッッ!!」
ゲヴァルトさんが叫んだ。やはり、不意の一撃は失敗に終わったらしい。
ベキベキと木材が折れる音が聞こえる。走る背中の向こうから、休憩所の方から。
「クソッ……!」
休憩所の壁を突き破るようにして、グリフォンがその姿を広場に現した。
もちろんそのまま消滅する事はなく、倒れ伏す事もなく、体勢はすっかり立ち直っている。
剥き出しの敵意をその身に纏いながら。
「……何が天恵だッ!」
俺の文句に答えるように、グリフォンが大きな雄叫びを上げた。