理想の午後
――パチン。
指を鳴らす様な音の後、衝立の向こうの話し声が唐突に止んだ。
さっきまで二人仲良く、まるで周りに見せつけるかのようにイチャついていたのに。急にどうしたというのだろう。今は、衣擦れの音一つ聞こえてこない。
それに、直前までの会話……。
「ヨール山(?)」「グリフォン」それから何度か出てきた「ゲヴァルト」。
何かのキャラクター名だろうか。漫画もアニメも結構見るけど、そういう名を耳にした覚えはない。「殲滅してほしい」なんて言ってたし、ひょっとしてゲームの話だろうか。
なら、二人が急に静かになったのも、そのゲームをプレイし始めたから……?
スマホで遊べるゲームって種類も多いし、さっきの単語だけで特定するのは難しいとは思うけど。とりあえず、一応「ゲヴァルト」で検索してみようか。それよりも、詳しそうな友人に聞いてみる方が早いかもしれない。
……共通の話題さえあれば、もっと近付ける気がするのだ。
この美少女二人の接点だって、案外、ゲームで知り合ったとかそういう事かもしれないし。それで意気投合して、晴れて仲良し。なんて……。
アタシはソファに沈み込むようにして、溜め息を吐いた。さっきテーブルにぶつけた足が妙に痛む。
――何をやっているんだろう、アタシは。
兵頭が投下した爆弾発言。どうしても、その真偽を確かめずにはいられなかった。
ただの野次馬根性……だけではない、と思いたい。
本当に恋人がいるのなら、なんで今朝の電車でアタシを誘うような言葉を放ったのだろう。
ただの遊び? 歪んだ性癖? ひょっとして、その恋人の命令?
それを知って、納得して、このモヤモヤに決着を付けて、先に進みたい……なんて。
入学式からずっと、進藤さんのことを目で追いかけていた。
綺麗な人だと思ったのだ。外見だけじゃなく、心まで綺麗な人。
平凡な自分とは全く異なる、その特別とでも形容すべき存在感に、アタシは強く憧れていたのだ。
だから、理想とはかけ離れたその俗っぽい噂を前に、幻滅したくなかったのかもしれない。
校舎から遠ざかる進藤さんの背中を、アタシはこっそり追いかけた。
そうしてファミレスまで付いて来て、盗み聞きまでして、望む答えは得られただろうか?
本当は何が知りたいんだろう。
何を気にしているんだろう。
どんな言葉がほしいんだろう。
ホント、最低だ。
「うん、その通り。オマエは最低だ」
急に降ってきた返事に驚いて顔を上げると、そこにはブロンドの長髪を腰までなびかせた絶世の美少女がいた。
ソファに座るアタシを見下すようにして、テーブルの側に立っている。そのコバルトブルーの双眸には光が無く、口元には冷笑を浮かべていた。
彼女はいつの間に近付いたのだろうか。全然気が付かなかった。いや、音がしなかった。
「オマエがもし、スナオにとって何の価値もない人間だったなら。ボクは迷う事なく、オマエを向こうの世界に突き落としていた」
上手く声が出せない。アタシは呻くしかできなかった。
「ユヅキ・ユズ、だったか。くくっ……喜ぶといい。スナオの大事な信者として、“キミ”を丁重にもてなそうじゃないか!」
全身にはびっしり鳥肌が立っている。今、自分の心拍を早めているこの情動が、恥ずかしさ故なのか恐怖故なのか、それが全く分からなかった。
「ロキさん」と呼ばれていたその女性が、ゆっくりと手を伸ばしてくる。
能面のように色のない彼女の表情を見ながら、アタシは「まるで二次元のキャラクターみたいだ」なんて、ぼんやりと思った――。