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カラアゲ・テンプテーション

 私、進藤素直はファミレスで熱弁を振るいます。


「――という事で、私は、笑っちゃ……ダメなんです……!」

「ふっ……。いや、鉄仮面って! なんともまあ、ぷっ! くくくっ」


 鉄仮面を被ろうとした理由を話したところ、ロキさんは腕組みをしたまま顔を伏せました。肩が小刻みに揺れています。

 私は口元に人差し指を立てました。彼女のよく通る綺麗な声は、静かな店内だとよく響いてしまうのです。

 店内は相変わらず閑散としてはいますが、お客さんが全くいないわけではありません。私がここで事の経緯について話している間にも、入口のドアベルが一度鳴りました。新たに入店したその方は、衝立を挟んだ私の後ろのボックス席に腰を下ろしたようです。


「……一応、マジメな、相談なんですけど……」

 私は頬を膨らませます。


 ちなみに、学校でニヤニヤしてしまったそのきっかけについては伝えてません。「ロキさんのメッセージが嬉しくて」なんて正直に言おうものなら、彼女は爆笑するに違いないです。


「ごめん、ごめん。相変わらず、スナオはボクの想像の遙か上を行くなぁと思ってさ」


 私が不満そうにしているのに気付いたのでしょう。ロキさんは目尻に浮かんだ涙を拭ってから、浅く長く息を吐き出しました。


「スナオ。キミは本当に想像力が逞し……いや、よく考えていると思う。そういう、エキセントリックなところも最高に可愛いんだけど……」

「っふ! ……う、うん」


 ジャブのように歯の浮くような台詞を放り込んできます。やはりイジワルです。


 恥ずかしくなって泳がせた視線の先には一枚のお皿がありました。その上には、ナイフで半分にした唐揚げが一欠片だけちょこんと残っています。


 本日の謎注文は唐揚げです。

 大ぶりの唐揚げ四個と山盛りキャベツ、輪切りのレモン一切れでお皿一枚分です。それが計十皿。しかも、その内半分のお皿は、私がぽつぽつ話をしている間に空になっていました。

 子供の握り拳くらい大きな唐揚げは、このファミレスのイチオシ商品のようです。先ほど目にしたメニュー表には「専門店監修の本格派」という一文が躍っていました。


 ロキさんが一口頬張る度に「サクッ、サクッ」と衣が奏でる小気味良い音が聞こえてきます。その軽快なリズムを無防備に浴びてしまったせいで、私の口内は涎がいっぱいです。きっと、中もジューシーなんだろうな……。

 おっと、いけません。一日の摂取カロリーを考えましょう。今日はお昼に菓子パンを二つも頬張ってしまったので、この後の食事は少しでも制限しないといけないのです……。

 頑張れ私。誘惑に負けるな私。ふん、と息を吐いて自分自身に渇を入れます。


「ねえ、スナオ。どうして唐揚げにレモンを掛けるのか、その理由を知ってるかい?」


 唐突なロキさんの質問を前に、私は首を傾げました。彼女は私の答えを待つ事なく、半分だけ残っていた唐揚げの上にレモンをたっぷり絞りました。


「答えは……。レモン汁に含まれるビタミンCの作用が、油物のカロリーを限りなくゼロにす……くくっ……ゼロに近付けるからなんだよ」

「えっ!?」


 は、初めて知りました……。

 いつ見てもスタイルの良いロキさんが言うのですから、信ずるに値する情報です。


 本日は深緑のブレザーに身を包む彼女ですが、袖口から覗く腕は相変わらず細いままです。化粧っ気のない肌は透明といっても過言ではないくらい白く、店内照明を反射してキラキラと輝いています。

 毎度毎度カロリーを無視するような暴食を続けているのに、彼女はまったく太る様子がなく、肌荒れを気にする素振りもありません。その秘密がこれだったのです!


 ふふっ、と笑いを噛み殺した声が漏れ聞こえてきます。


「で、一口食べるかい?」


 私がうんうんと頷くと、ロキさんはフォークに手を伸ばしました。

 ……これではまた「あーん」の流れになってしまいます。私は残っていた半切れの唐揚げを素手で摘まんでひょいと口に放り込みました。


 サックリとした食感の衣を噛むと、口の中にふわっとレモンの爽やかな酸味が広がりました。次に、鼻を抜けるニンニクの香りと、舌に残るスパイスの風味。噛み切った鶏肉からぶわっと肉汁が溢れ、それを嚥下してなお口内に残る油と脂の旨味が堪りません。

 味付けは少し濃いめですが、七味マヨネーズや明太マヨネーズで味変するのも良いかもしれません。うーん、白ご飯が無性に恋しい……。


 ロキさんは微笑みを浮かべながら、こちらを凝視しています。私はといえば食事姿を見られるむず痒さも忘れるくらい、心は幸福感と開放感で満たされていました。

 こんな旨味の暴力みたいな唐揚げを食べても、レモンさえあればカロリーゼロだなんて!


「美味しいかい?」

「おいしい!」

「うんうん、それは良かった。……ところで、さっきのレモンの話だけど、嘘だから」


「え?」


「あれ全部嘘だからね。まぁ、もちろん気付いてたとは思うけど」

「え」


 ……えっ。

 …………えっ?


「な、なん……なんで……?」

「そりゃあ、スナオのとびっきりの笑顔が見たかったからに決まってるじゃないか」


 ロキさんは胸の前で掌を合わせたかと思うと、両手で輪っかの形を作りました。まるで、祈りでも捧げるかのように。

 私はそれを呆然とした気持ちで眺めていました。


「スナオは『自分の笑顔は怖い』って言うけどさ。やっぱり、ボクはそう思わない。キミが喜色満面で食事する姿を見ていると、とても幸せな気持ちになれるからね」

「うぅっ! 嘘ばっかりやめて……」


 今度こそ騙されませんよ、私は!


「今度は嘘じゃないさ。ボクの胸の中は今、確かに暖かなもので満たされている。信じられないなら、ボクのこの胸を触って確かめてみるかい?」


 少し前屈みになったロキさんが、私に見せつけるように両手で胸を強調します。

 ガシャン、とお皿か何かが落ちる音が、私の背後の席から聞こえてきました。


「さっさわわっ!!? 遠慮します!」

「そうかい? 触りたくなったら、いつでも言って良いんだからね?」

「遠慮しますっ!!!」


 私は水滴だらけのコップを掴むと、縁から直接メロンソーダを口に流し込みました。炭酸が一気に喉の奥で弾けて、思わずむせてしまいます。そんな私の動揺ぶりを、ロキさんはニコニコしながら眺めています。

 やっぱりイジワルです!


「ま、とにかく。ボクはスナオの笑顔が大好きだし、そう感じる子は他にもいるって事さ。キミが気付いていないだけで、ね?」


 私を柔らかに見つめるそのブルーの瞳は、星がいっぱいに浮かんだ冬の夜空を連想させました。吸い込まれそうなほど美しいけれど、同時に肌を刺すような寂しさがこみ上げてきます。

 ロキさんの語る甘ったるい慰めの言葉を、私は素直に受け止められません。

 彼女がなんと言おうと、今日一日の間、普段よりも一層厳しいクラスメイトたちの視線に晒されたのは事実だからです。


 特に、湯月さんの目。思い出しても身震いがしてきます。あれは何かこう、抑えきれない熱を送ってくるような眼差しでした。

 朝の電車でのやり取りが上手くいかなかった事もあるのでしょう。私なりに考え、親しみやすさを示すべく距離を詰めてみたのですが、湯月さんはむしろより一層遠ざかってしまったように感じます。


 もし本当にロキさんの言う通りだとしたら、何故、皆さんは私と距離を置いてしまうのでしょう。心の奥底に住んでいる幼い私が「全部お前が悪いんだ」と指を差しています。


「今に分かるよ。きっとすぐに、キミを見つけてくれる人が現れる」


 首を捻る私の前で、ロキさんが含み笑いを浮かべました。顔はこちらに向いていますが、その視線は私の頭の後ろへと注がれています。

 彼女の視線の先に何かあるのかと、背後を振り返ってみますが……。あるのは柔らかいソファの背もたれと、ボックス席を区切る磨りガラスの高い衝立だけ。いつも通りの景色です。


「まーぁ? 現れない方がボクは嬉しいんだけどさ。このまま遠慮なく、可愛いスナオの事を独占できるわけだし。ボクはいつだって、いつまでも、キミの側に居たいと願っている」

「甘い言葉やめて」


 私がロキさんに抗議している最中、ゴンッという何かがぶつかる音が耳に入りました。ガラスの衝立を挟んだ向こうの席から、「痛っ」という女の子の小さな悲鳴が聞こえてきます。後ろの席の人、さっきからドタバタしてますけど大丈夫でしょうか……?


「……愛も過ぎれば信仰に。そして、信仰は理解から遠ざかっていくものだね、まったく。こっちの世界もあっちの世界も変わらず、人間は理想と踊ってばかり」


 ロキさんが大きく肩を竦めました。


「実に愚かで愛おしい」


 彼女は再び視線をテーブルの方へと戻すと、まだ手つかずのお皿を手元に引き寄せます。添えられたレモンを円を描くように絞ると、フォークとナイフを器用に使って四個の唐揚げを半分に割りました。


「もう一個食べる?」と、フォークに唐揚げを刺したロキさんが目で尋ねてきます。

 私が「遠慮します」と言うと、彼女は心底残念そうにそれを頬張りました。

 サク、サクという衣の奏でる咀嚼音が、悪魔の囁きのように感じられます。


「……さて、スナオを愛でる時間はここまでかな。そろそろ、本題に入ろうか?」


 私は頷きました。そうです、私はロキさんに愛でられる為にここにいるわけではありません。アルバイトですよ、アルバイト。

 ロキさんはこほんと咳払いをすると、お皿に残る山盛りキャベツにフォークを向けました。


「今日、向こうの世界でやって欲しい事は二つあるんだ。一つ目、ヨール山の採石場に居座ってしまったグリフォンを殲滅する事。まあ、いつも通りの配置ミスだね。そして、二つ目は――」


 ばっと手を伸ばした私は、ロキさんの言葉を遮ります。


「ロキさん。グリフォンって……鳥だっけ?」

「うん? うん、そうだよ。鳥、正確には鷲とライオンの合成獣キメラだけど。まあ、食肉の分類で言えば“鳥”肉だね。鶏ではないけど」

「……」

「唐揚げ、美味しかったかい?」


 いつも通り、とても難解な内容をとても簡単に説明されてから、私は催眠術で眠りに落ちました。

 さあ、唐揚げの事なんてスッパリ忘れて、今日もお仕事頑張りましょう――。


私は唐揚げにレモンやめろ派です。

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