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狂信者の朝(2)

「ユズユズがラブなんだよー」

「だから違うって」

「そうか、湯月がラブなのか。……いや、何が?」


 ヤシマリに加えて兵頭まで不毛なラリーに参加されても困る。

 いい加減めんどくさくなってきたので、アタシは二人に今朝の出来事の全容を話すことにした。


「あのね。今朝なんだけど、いつもより一本早い電車に乗ったら、たまたま進藤さんが目の前にいて――」


 正直、思い返すのも恥ずかしいけど……。

 アタシはしどろもどろになりながらも、事の成り行きを掻い摘まんで説明した。時折、進藤さんの方をチラチラ気にしながら。

 電車で進藤さんとバッタリ顔を合わせた事。思わず手を握ってしまった事。間近で見る彼女の顔が良すぎて上手く話せなかった事。真剣な目で見つめられた事。それからそれから……。


「……壁ドンを、ね。初体験したっていうか……」

「壁ドン! 良い響きだ」


 兵頭は感心したように何度も頷き、ヤシマリは心底つまらなそうに椅子ごと身体を揺らしている。


 ああ、もう! 壁ドンの事を思い出したら、また顔が熱くなってきてしまった。


 あの時は突然の事にびっくりしてパニックになってしまったけれど。たぶん、進藤さんは人混みからアタシを守ろうとしてくれたんだろう。直前に「人混み嫌い」なんて口にした覚えがある。彼女はいつも通り、人助けに精を出そうとしただけだ。


「で、それから二人はどうなったんだ。ラブラブランデブーか? 湯月」

「ラブラブランデブーなんでしょー。ブーブー」

「な、なわけないでしょ! その後は普通に? 水流みずながれ駅に着くまでその体勢のままで、駅に着いたら終わり。それだけ。はい、終わり!」


 アタシが強引に切り上げると、ヤシマリと兵頭が二人で「ブーブー」と騒ぐ。


 だが、それで話は終わりなのだからしょうがない。そう、それだけだ。それだけ。進藤さんとの間には何もないし、何も起きてない。

「怖がらないで。痛くしないから」とか「私に身体を預けて」とか「一緒に保健室のベッドに行きましょう?」とか。なんだか蠱惑的な誘いを耳元で囁かれた気がしたけれど、そんなの全部気のせいだから。気のせい、気のせい。

 気のせい……だけど、彼女の囁きについては心に秘めておく事にした。

 言ったって誰も信じないだろうし。あの進藤さんが私を手込め(?)にしようとしたなんて、「妄想激しすぎ」って馬鹿にされて終わりだろうし。もちろん、実際にやましい事は何も起きなかったし。駅に到着するなり、アタシは進藤さんから逃げるように電車を飛び出したわけだし。


 じとーっとした目でアタシを見つめていたヤシマリが、「ユズユズ耳まで真っ赤じゃーん」と指摘してきた。

 アタシは「なってないし!」なんて大げさに反論しつつ、両手で顔を扇いではみる。だけど、心は依然として熱に浮かされたままで、あまり効果は無さそうだった。


「なるほど。こうしてまた進藤の信者が増えていくわけか。彼女のライバルを務める身としては、実に興味深いな」

「ライバルって。まだそんな事言ってるのか兵頭……。すごいよ兵頭……」

「フッ、褒めるなよ」


 兵頭が眼鏡をくいっと上げる仕草をする。いや、褒めてない。

 彼女は何故か進藤さんに対抗意識を抱いているらしく、勝手にライバル認定をしている。まぁ、それが自惚れに聞こえない程度には、兵頭枝織は容姿・学力・運動神経・カリスマ性に優れた女性ではあるのだが……。

 残念ながら、彼女の信者は一人もいない。


 というか、信者って。

 そもそもアタシ、まだ完全に進藤さんに心を奪われたわけではないから。ちょっとドキッとしちゃったのは事実だけど、そこまでだから。そこから落ちるわけないから。何度も言い訳をするようだけど、アタシはノーマルだから!

 そう二人に訴えてみたが、全然聞いてくれない。ヤシマリは大げさに肩を竦めると、これまた大げさに溜め息を吐いた。


「あーあ。モモッキーに続いて、ユズユズまでシンドーさんに奪られちゃうのかー……」


 突然話題が飛び火してきて驚いたのか、ヤシマリの前の席に座っている百木ももきさんの肩がびくんと跳ねた。おそるおそる、彼女がこちらの方へ振り返る。


「えっ……私? 八嶋さん、私の事呼びました……?」


 小柄で可愛らしい百木さんは、天敵を前にした小動物みたいに怯えた瞳をヤシマリに向けている。顔を振り向いた際にズレてしまったらしく、ちょっと大きめの眼鏡が鼻頭に引っかかっていた。

 兵頭が「ほう」と顎に手を遣りながら息を漏らした。


「百木も進藤のファンだったとは。同じ眼鏡仲間として君には期待していたんだが……残念だ。この裏切り者め!」

「えぇっ!? えっと……そもそも一体何の話なんでしょうか?」


 百木さんが助けを求めるようにアタシの方を見てくる。

 それに答える代わりに、アタシは人差し指を伸ばしてヤシマリの頬をぐにぐに突いた。「やめれー」とヤシマリが呻く。


「だってねー、だってねー。一週間くらい前からかなー。モモッキーってば、授業中にずーっとシンドーさんの方を見てた事があってねー」

「えっ。私、そんなに見てましたか?」

「ガン見だったよー」


 うんうんとヤシマリが首を縦に振ると、百木さんは少し恥ずかしそうに口元を綻ばせた。

 アタシは全然気付かなかったが、真後ろの席のヤシマリが言うからそうなのだろう。まぁ、かくいうアタシも授業そっちのけで進藤さんの方をぼーっと眺めてしまう事はある。

 なので、「分かるよ。目で追っちゃうよね」と百木さんに助け船を出してあげた。


「ええ。実は最近、彼女が人助けをする現場に居合わせまして」

「そうなんだ? あれ。一週間前っていうと、もしかして……」

「はい。トラックに轢かれそうな子供を、身体を張って助けてました」

「おぉー。あの噂は本当だったんかー」とヤシマリがぽんと手を叩いた。


 一週間前、高校の正門を出てすぐの通りで交通事故が起きた。

 たまたま事故の瞬間を目撃した同級生によれば、トラックに轢かれそうになった子供を、進藤さんらしき女生徒が身を挺して庇ったのだという。幸い二人に大きな怪我はなかったらしく、彼女は子供の無事を確かめるとすぐにその場を立ち去ってしまったそうだ。そのクールさに、またファンが増えた事は言うまでも無い。


「はーん。それでモモッキーのハートはまんまと奪われちゃったのねー」

「いえ、そういう訳ではないんですが。少し、気になりまして」

「隠してもムダだぞー。口ではそう言ってても、身体は正直なんやー!」


「おりゃー」とヤリマリは机を乗り出したかと思うと、百木さんのふんわりとした髪の毛を無遠慮にわしわし撫で始めた。

「ふゃぁあ」と怯えた声を上げるも、百木さんの方は全くの無抵抗。されるがままにぐわんぐわん横に頭を揺らしている。さすがに可哀想だ。


 アタシは側に立つ兵頭へ向けて顎をしゃくる。

 兵頭はつかつかとヤシマリに歩み寄って、そのカスカスな脳天に強めのチョップを喰らわせた。「げばっ」という断末魔を残してヤシマリは動かなくなった。

 潰れたカエルのように机に突っ伏しているヤシマリを見下ろしながら、兵頭が何かに気付いたように「あ」と声を漏らした。私の方へと振り返る。


「そうそう、一週間前ってので思い出した。そんな進藤の事について、ちょっと確認したい事があったんだよ。顔の広い湯月や八嶋なら、何か情報を掴んでるかと思って」

「確認したい事って?」

「進藤って、付き合ってる女がいるんだろ? 一体どこの誰なんだ、それ」




 その爆弾発言が投下された瞬間、教室が水を打ったようにシンと静まり返った。




 クラスメイトたちの刺すような視線が兵頭枝織ただ一人に集中している。

 一触即発な雰囲気の中に、ペコンという小さな通知音が混ざった。

 教室の中央、進藤さんの肩が小さく跳ねる。彼女は辺りをきょろきょろと窺ってから、おそるおそるといった様子でポケットからスマホを取り出していた。


 アタシはごくりと喉を鳴らす。


 スマホの画面をじっと見つめる進藤さんは、恋する乙女のようにうっとりとした表情を浮かべていた――。

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