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★開幕ドラゴンスレイ

 風吹きすさぶ冬の山で、俺は大敵と向かい合っていた。


 天を衝くほどの巨体と、全身を覆う鋼のような鱗。大樹の幹ように太い前足と、そこから伸びる鋭利な四本の爪。醜く歪んだ口元からは煙が立ち上り、血に塗れた牙が覗いている。背中に広げる大きな翼は、俺たちの戦意を削ぐのに十分な威容を誇っていた。


 ――ドラゴン。


 司祭様は仰っていた。神話の時代には、このような怪物が何匹も地上を闊歩していたのだと。そして、人間の英雄達は剣一本と信仰心だけで、それらを退治してきたのだと。


「そんな、馬鹿な話が……あるか……?」


 乾いた笑みが浮かんだ。腹の底からせり上がってきた血が、口の端から次々と滴り落ちていく。


 騎士団と、宮廷魔術士と、冒険者。その精鋭たちで編成された討伐隊。五十人近い大所帯で臨んだこの戦いは、ほとんど奴による一方的な蹂躙で幕を閉じた。

 そして、今や戦場に立っているのは……。満身創痍の俺と、ほとんど無傷の奴のみ。


「グオオォォォォ!!」


 ドラゴンが雄叫びを上げる。

 大地が震えるような咆哮を前にしても、不思議と恐怖心は湧かなかった。


「俺は……、騎士団長の……ホーキンスだ……。かかってこい、この化け物ッ……!!」


 せめて騎士らしく最期まで戦い抜きたい。そう思って、杖代わりにしていた槍を地面から引き抜く。そのまま構えようとしたが、思いとは裏腹に腕には全く力が入らなかった。


「がはっ」


 支えを失った身体は簡単に崩れ落ち、俺は地面に倒れ伏した。

 腹部に負った裂傷から、血がどんどん流れ出ていくのを感じる。意識はすでに朦朧としており、右手に握る愛槍の感触だけが俺を戦場に留めてくれていた。


 大きく息を吸い込む音がかすかに耳に届いた。血と泥にまみれた顔を上げれば、口一杯に魔力を溜め込んだドラゴンの姿が見える。

 どうやら俺は、灼熱のブレスに焼かれて最期を迎えるらしい。


 不意に、黒い影が視界を横切った。



 ――次の瞬間、ドラゴンの巨体が仰け反っていた。



 顔下から突如として浴びた激烈な一撃に、奴の顎が上を向く。目標を失って放たれたブレスは天を貫き、上空を覆う暗雲に穴を開けた。


 勢いそのまま仰向けに倒れかけたドラゴンだったが、後ろ足で地面を踏み抜きなんとか持ち堪えた。眼を血走らせ、低くうなり声を上げ、殺意を剥き出しにして、奴は突如として現れた眼前の敵を見据える。

 俺もまた、ぼやける視界の中に立つ小さな人影を見た。雲間から差し込んだ一条の光がその姿を照らし出す。自分の目を疑った。


 少女だった。


 肩まで伸びる黒髪を風になびかせ、細い腕に白銀の手甲を装着した、美しい出で立ちの少女。

 その姿はまるで、いにしえの神話の中の――。


戦乙女(ヴァルキリー)……?」


 ドラゴンが、その巨木のような前腕を振り下ろす。土煙が高く巻き上がると、少女がさっきまで立っていた場所に鋭い爪が突き刺さっていた。


 だが、少女の姿はない。いつの間にか、彼女は天高く舞い上がっていた。

 上空から拳を振り下ろすようにして、少女がドラゴンの頭部に一撃を加える。激しい轟音と共に、奴の頭が大地に叩き付けられた。その凄まじい拳の破壊力が、風圧となって俺の肌を震わせる。


 追撃から逃れようと、ドラゴンは翼を広げて空へと飛び上がる。口内に膨大な魔力を充填させると、地上の敵に向けてそれを一気に解き放った。討伐隊の仲間たちを薙ぎ払った、必殺のブレスだ。

 少女はまるで踊るように、地面を蹴ってその一撃を躱す。そして、見えない足場があるかのように、彼女は宙を蹴りながら軽やかに空を駆け上がっていく。


「グッ、グオオォォッッ……!!」


 ドラゴンは己の持てる全ての武器を駆使して、空中に舞う少女を叩き落とそうとした。だが、尻尾も、爪も、牙も、ブレスも、彼女には届かない。尻尾は空を切り、爪と牙は叩き折られ、ブレスは紙一重で躱される。


 一方的な戦いだった。

 まだ年端もいかぬ少女による、一方的な蹂躙。霞む視界の中に見えている光景は、はたして現実か幻想か。

 少女が中空で放った一撃が、ドラゴンの片翼を貫く。翼を失った巨体が大地へと墜落し、大量の土砂が巻き上がった。激突の際に生じたそのあまりに大きな衝撃を受けて、俺の身体は地面を転がる。


 だが、俺の目は確かに捉えていた。土煙に覆われた戦場の真ん中で、拳を構える少女の姿を。赤き光が煌々と輝く少女の手甲を。


「やああああッッッ!!!」


 叫びと共に繰り出された少女の拳が、倒れ伏すドラゴンの腹に突き刺さる。奴の全身に赤い雷光が走っていく。


 降り注ぐ土砂の奏でる音の中、かすかにドラゴンの断末魔が混じった――。



 どのくらい時間が経ったろうか。土砂の雨が止んで、耳の奥をしつこく覆っていた残響が消え去った頃。俺は地面にうつ伏せのまま、重たい頭だけを動かした。

 黒髪の少女が、俺を見下ろしていた。目にいっぱいの涙を溜めて、俺や我が戦友たちを見ていた。


 やがて、少女の身体が淡い光の粒となって消え始める。

 残る力を振り絞って、俺は手を伸ばした。彼女もまた、それに応えるように手を伸ばす。

 だが、二人の指先が触れ合うことはなく、彼女はそこからいなくなってしまった。


 むなしく空を切った手を、地面へと下ろす。先ほどまでの戦いが嘘であったかのように、辺りは静寂に包まれていた。


 戦いは終わった。ドラゴンは滅んだ。


 そう認識した途端。張り詰めていた糸が切れたように、意識が更に深いところへと落ちていくのを感じた。

 全身の力が抜けてしまって、もはや動かし方すら思い出せない。熱せられるような腹部の痛みは、寒空の下ではかえって心地良い。

 頭の中に、故郷の暖かな風景が広がっていく……。


「ホーキンス団長ッ! しっかりしてください! 誰か、治療魔術を……!」

「ドラゴンは……? まさか、団長が一人で倒したのか!?」


 砂利を踏みしめる音と人声が、いくつも聞こえてくる。

 だれかが俺の名を呼んでいる。きっと、先に逝った戦友たちだ。


 俺もはやく、いかなくては――。



 ◇



 次に目を覚ましたとき、俺は全身を包帯に巻かれた格好で騎士団のベッドに横たわっていた。どうやら、遅れて到着した援軍のおかげで、俺は一命をとりとめたらしい。

 俺がようやく目を覚ましたと知って、部屋に駆け込んできた騎士団員たちが涙を浮かべて喜ぶ。


「騎士団長!」

「目を覚ました! “竜殺し”の英雄、ホーキンス団長が起きたぞッ!」


 誰が、竜殺しだって……?

 違う……!! すべては、あの黒髪の少女の手柄なんだ……。


 そう伝えたいのに口が上手く動かせない。ただ、喉の奥から掠れた呻き声が漏れるばかりだ。


 そうして、団員たちの勘違いを正すことができないまま、俺の意識は再び夢の中へと転がり落ちていってしまった――。


※3話目の改修にあわせて、加筆修正しました。

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