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★ゲヴァルト神父と戦乙女伝承

 レッドウルフとの戦いを終えた後、俺たち二人は宣言通りに山越えを行った。


 この五十日間でかなり体力が付いたとはいえ、朝から夕暮れ時まで山の斜面を歩き詰めである。俺の方が早々に音を上げてしまい、その日は麓へ下りる手前で野宿となった。


 ◇


「カリス君。君は何故、弓矢に拘るのかね?」


 その日の夜。川の近くで見つけた洞穴の中で、ゲヴァルトさんにそう問われた。

 焚き火の明かりに照らされた彼の髭もじゃ顔は、普段よりもより一層不気味に見える。

 質問の意味が分からず首を傾げると、彼は俺の足下にある矢を指差した。ここに辿り着く直前にコボルトの集団と戦闘をした為、汚れた鏃をボロ布で拭っていたのである。


「えーと……。これが無いと戦いにならないですし、手入れは必要かと」


 ゲヴァルトさんがぼりぼりと音を立てながら、炙った木の実をかみ砕く。


「カリス君。君は平坦な道を選びすぎなのだ。自分は『弓術士』であるから、それを全ての一番上に置いて考えねばならないと思っているのではないか? だが、それでは目的地からより遠ざかる。それは真心ではない」


 俺は黙ったまま夕飯の焼き魚に齧り付く。焦げ目の付いた皮と脂身と共に、神父のありがたい説教を飲み込もうとして……、むせた。


「矢が尽きたならば剣を取れ。剣が折れたなら石を掴め。石が砕けたならば拳を握れ。強者の戦いとは、特技の押し付け合いではない」

「げほっ……げほっ。なら、何です?」

「手数の押し付け合いだ」


 俺は側に置いてあった愛用の短弓を見た。焚き火の明かりに照らされると、表面に付いた細かな疵がより目立つ。


「……つまり、戦い方の選択肢をもっと増やせ、って事ですか?」

「そうだ。最初から達人を目指す必要はない。様々な考え方を、ゆっくりと身体に馴染ませるべきだ。巡り巡って、それらの経験が先へ進む為の足場となる。今はただ、祈りを絶やすな」

「なるほど……」


 一息に言い終えたゲヴァルトさんが座ったまま尻を掻く。腰のベルトに下げたままのメイスが地面と当たって、コトリと音が鳴った。


 最初のゴブリンとの戦いを経てから、俺と彼との関係は大きく変質していた。護衛と依頼主ではなく、弟子と師匠のそれである。とは言っても、立ち会い稽古の相手をしてくれるわけではない。するのはあくまでも助言程度で、それも普段なら二言三言で終わる。

 ……そう考えると、今日のゲヴァルトさんはよく喋る。機嫌が良いのだろうか。顔は相変わらずの無表情なので察するしかないが。


 今日こそ聞いてみようか、と以前から尋ねたかった事を口にしてみた。


「……ゲヴァルトさん、どうして俺の事を雇ったんですか? 正直、あなたの実力なら一人旅なんて余裕でしょう」


 ずっと疑問に思っていた事でもある。

 ゲヴァルトさんは南方にある小さな教会から巡礼の旅を始めたらしい。一年ほど一人で旅をし、その途中でウェスティアの街に立ち寄って、そこで何故か俺を雇った。


「聖都へと巡礼に向かう神父を護衛する」という依頼内容を聞いた時は、特に疑問にも思わなかったのだ。彼のみすぼらしい身なりを見て、これまでの道中で賊かモンスターに襲われたのだろうと勝手に納得してしまったからだ。一人旅の無謀を知り、護衛の必要性を痛感したのだろうと。


 だが、現実はそうではない。身だしなみについてはただ無頓着なだけだし、彼は驚嘆すべき強さも有している。モンスターとの戦闘は分担こそしているが、本当はその必要もないだろう。

 彼の事を知れば知るほど、自分を同行させた理由が分からなくなっていった。


 ゲヴァルトさんが枯れ枝を火にくべた。パチリ、と焚き火から火花が爆ぜる。


「ウェスティアの今のギルドマスターとは、冒険者時代に縁があってな。才能の使い方を知らぬ迷える仔羊がいるから導いてやってほしいと」


 その割には、熱心に指導をしてくれるわけでもない。それとも、ここまでの旅そのものが彼なりの修行の付け方だった、という事だろうか。……どうも、しっくりこない。

 すると、ゲヴァルトさんは「最初は断るつもりだった」とあっさり白状した。


「なら……」

「君たちの噂を聞いて、気が変わったからだ」


 君“たち”? と来れば、次の一言は想像が付く。


「「黒髪の戦乙女ヴァルキリー」」

 不意に二人の言葉が重なって、ゲヴァルトさんは小さく頷いた。


 黒髪の戦乙女。

 神話に伝わる半人半神の女戦士。彼女らは天上におわす神様たちの代行者として、人々を苦しめる怪物を退治し、英雄をバルハラへと導く役割を担っているそうだ。その活躍は「戦乙女伝承ヴァルキリーロア」という物語詩として語り継がれており、庶民の間では昔から広く親しまれている。

 幼い頃、イタズラばかりしていた俺を叱るのに、母は戦乙女様の名をよく出した。「戦乙女様は悪い子のところには現れません」と。壮大で爽快なその英雄譚は、同時に子供へ伝えるべき教訓や寓意めいた内容を含んでいた。


 だが、所詮そんなものは只のおとぎ話に過ぎない。過ぎないのに――。

 ゲヴァルトさんは不思議そうに小首を傾げている。その様子に、嘘偽りは感じられない。


「神に仕える身として、その新たな伝承を無視するわけにはいかないだろう。当事者である君の側にいれば、私も戦乙女様の寵愛を受けられるかもしれない」

「……まさか、信じてくれると?」

「ん? 何故、私が信じないと思う」

「何故って……」


 ウェスティアでは散々馬鹿にされたからだ。


 もともと俺たち三人が、ギルドの中で最底辺のパーティとして認識されていたせいでもある。簡単な依頼しかこなさず、口ばかり達者で、実力もまるでない、冒険者(ムダ飯喰らい)たち。そんな信用の無い俺たちが「大森林にベヒモスが復活してた」「それを『黒髪の戦乙女』が倒した」なんて口にしたところで、鼻で嗤われて終わりだ。

 むしろ手元に残ったベヒモスの核、その大きな魔石の出所についてあれこれと噂される始末。教会からの盗品だの、行商人を襲って奪っただの、他の有力パーティの戦果をくすねただの……。

 あの一件の後、ロブさんとテートさんの二人がすっぱりと引退してしまった事も、その耳障りな噂の流布に拍車を掛けた。


 俺は歯がみして俯いた。両の拳をぎゅっと握りしめる。


 結局、人々は「黒髪の戦乙女」への信仰や愛を謳いながらも、そのくせその実存には疑いの目を向けている。

 本当にいるのならば何故、私たちを救ってくれないのだ、と。

 ゲヴァルトさんの巡礼の旅に同行したのだって、報酬の為だけではない。

 あの街を離れたかったのだ。口さがない冒険者たちから距離を置きたかったのだ。


 俺の漏らした本音を、ゲヴァルトさんは黙って聞いていた。


「……聖職者だからって、無理に信じようとしなくてもいいですよ。別に、今更何か言われたところで怒ったり傷ついたりしませんし。頭のイカれた奴だ、って――」

「もう一度聞こう。何故、私が信じないと思う?」


 はっとして顔を上げると、そこにはゲヴァルトさんの力強い眼差しがあった。


「信じるとも。いや、信じたいのだ。人々に無償の愛を与える、神の剣。『黒髪の戦乙女』はやはり存在するのだと。君は、確かに救われたのだ」


 ……ああ、この人は本当に信仰の道を走っているのだと、今更ながら実感した。聖職者という立場からそう言っているのではない。本心から、彼はそう願っているのだ。


「カリス君。戦乙女様の寵愛を受けた君と私が出会った事にも、必ず意味があるのだ。我々はその意図を汲み、常に求道に励まねばならない」


 ――寵愛。

 ベヒモスに殺されるはずだった、この命を救って頂いたという事実。それについて、俺はこれまで深く考えてこなかった。

 ただ生き残ってしまった。恥に塗れた生き方を選ばされてしまった。自分の弱さを目の当たりにさせられてしまった。そんな、八つ当たりじみた感傷しか湧いてこなかったのだ。


 俺が今ここにいる事、この神父様と出会った事に、どんな意味があるのだろう?

 いずれ、分かる時が来るのかもしれない。だから、それまでは――。


「……なら、ゲヴァルトさんに遅れないよう、俺はもっと強くならないと」

「うん。本来、先頭に立つべきなのは君なのだ、カリス君。そして、私を戦乙女様の元まで導いてくれ。私には、戦乙女様にどうしても確かめたい事があるのだ」

「確かめたい事?」

「ほんの些細な、子供じみた願いだとも。私は――」


 焚き火の放つほのかな明かりに照らされながら、ゲヴァルトさんは恋に焦がれる乙女のように、うっとりとした表情でその“願い”を語った。

 そうして、二人で静かに笑い合う。心の中のもやもやが、少し晴れた気がした。

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