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ウォールドン・ガールラン(1)

 私、進藤素直は通学に全力を尽くします。


 ということで、今日は家から駅まで走りました。

 普段より家を出るのが遅くなってしまったので、急がないといつもの電車に乗り遅れそうだったのです。遅刻はダメ、絶対。

 幸い、発車時刻の三分前にはホームに辿り着きました。すっかり息が整った頃、「急行」表示の銀色の電車がホームに滑り込んできます。


 家から最寄りの飛鳥不動あすかふどう駅まで歩いて十分、そこから上り路線の急行電車に乗って約十五分。水流みずながれ駅で降りて、そこから歩いて十五分。我が家から九世くぜ女子高等学校まで、計四十分の電車通学です。


 ここ飛鳥不動駅は急行こそ止まるものの、朝の利用客はそれほど多くありません。近くにオフィスや学校が少ないせいでしょう。電車から降りる人はまばらです。

 ただ、この先の駅ではそうはいきません。電車は人口の多い都心部に向かって爆走するので、駅で止まる度にサラリーマンと学生の乗客がどんどん入ってきます。二つ先の駅を出発する頃には、車内は隣の人と身体をぶつけ合うくらいの混雑ぶりです。そして水流駅で大量に学生を吐き出し、それと同じくらいの人数のサラリーマンを新たに乗せて次の駅へと向かうのです。


 というわけで、この駅で座席を確保できない人はほぼ立ちっぱなし確定となります。今日も席からあぶれた人々が、なんとも形容しがたい表情で吊り革を掴んでいました。


 では私はといえば、たとえ席が空いていても座る事はありません。

 世間では、寝る間も惜しんで勉学や仕事に励んでいる方もおられます。私みたいに特に生産性のないような人間が、疲れている皆さんから座席を奪うような真似をしてはいけないのです。というか、彼らから座席を奪う罪悪感に耐えられません。


「ふぅ……」


 私は今日も乗車と同時に定位置へと移動しました。

 電車の六両目、進行方向左側の扉の横に立ちます。扉の窓から見える駅のホームの景色が、右から左へとゆっくり流れていきました。

 目的地である水流駅までの二駅、目の前の扉が開く事はありません。つまり、この位置にいれば途中駅で乗り降りする方々の邪魔にならないのです。しかも、自分の降りる駅ではこちら側の扉が開くので、皆さんに道を譲って頂く事なく降車できるのです。これこそベストポジションです。

 電車がカーブに差し掛かり、車両が大きく揺れました。

 もちろん、背後にある座席の衝立に身体を預けたりはしません。私のような人間は、なるべく人様に迷惑を掛けないよう常日頃から気を付けねばならないのです……。


 ◇


 無心で電車に揺られる事、五分ほど。一つ目の駅に到着しました。ホームを端から端まで埋め尽くすように、スーツ姿と制服姿の人々が整然と並んでいます。反対側のドアが開いて、人々が押し合いへし合いしながら車内に入ってきました。


「あっ……」


 思わず小さく声を漏らしてしまい、私は慌てて顔を伏せます。人波の中に見覚えのあるクラスメイトの姿があったのです。


 湯月柚子ゆづきゆずさん。クラスの中でもとても目立つ方です。


 ウェーブの掛かった髪は、明るい茶色に染められています。お化粧はバッチリ決まっていて、二重の目蓋とアイラインが魅力的です。ちょっと着崩した制服からはピンク色のシャツが覗いており、折って短くしたスカートからは綺麗な足が伸びています。カーキ色のシュシュやハートの形のイヤリングなど、身に付ける小物も可愛らしいです。


 彼女みたいな「りあじゅー」さんからしたら、私はクラスの空気です。置物です。存在すら認識されていない恐れもあります。下手に声を掛けて「誰だっけ?」なんて言われた日には立ち直れません。

 なので、思わず顔を伏せてしまいましたが……。はたして、この選択は正しかったのでしょうか。


 教室で見ているだけでの印象ですが、湯月さんは誰とでも簡単に仲良くなってしまうような、そんな朗らかな気質の方です。


 入学から一ヶ月が経ち、すでにクラス内にはいくつかのグループが出来上がっているようですが、彼女はその全てに属しているような……。クラスのムードメーカーである八嶋やしまさんとも、真面目そうなクラス委員の兵頭ひょうどうさんとも、愛玩動物みたいな百木ももきさんとも仲良くしてらっしゃいます。私以外の全員と友達なのではないでしょうか。ははっ。

 グループという垣根を悠々飛び越えて、皆から慕われる方です。そんな彼女を無視するなど、まずいかもしれません。

 ……もしかしたら、それがきっかけで彼女を慕うクラスメイトたちの怒りを買い、「()()()()()()()()()()」なんて暗黙のルールがクラスに爆誕してしまうかもしれません。


 頭の中がぐるぐるしてきました。


 今日も今日とて、車内にはみっちりと人が収まったようです。

 あちこちから聞こえる衣擦れの音と、息遣い、少し湿っぽい空気。床を見つめる私の視界の中にも、女の子の細い足と茶色いローファーが入ってきました。入口から次々と寄せてくる人波に流されて、誰かが扉の前まで押し出されてきたようです。


 駅員のアナウンスが何度か繰り返された後、しゅーっと音を立てて扉が閉まりました。ゆっくりと電車が動き出して、駅舎の作る陰から抜け出しました。窓外から差し込む朝陽が私の横顔を嫌でも照らします。


 ――いけません。失敗のイメージばかり働かせてしまうのは私の悪い癖です。こんな風にうじうじしてしまうから、いつまでも友達ができないのです。


 湯月さんは、きっととても良い人です。だから、私が歩み寄りさえすれば、きっとそれに応えてくれるはずです。大事なのは真心。よしっ。

 この車内にいるであろう彼女を探して、まずは会釈から始めましょう。それは大きな一歩になるはずです。そうして、少しずつ心の距離を縮めていくのです。そこから始まる友情だって、あるに違いありません!


 意を決して、私は伏せていた顔を上げました。そして、湯月さんを探すべく車内を見回そうと――。


「あっ……や、やっほー。進藤さん」


 目の前に湯月さん本人が立っていました。


「ぉふっ! 美少女近いっっ!」


 思わず叫んで後ずさりした私は、座席の衝立に背中をぶつけました。

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