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モーニング・ルーティン

「……っ……ふがっ」


 私、進藤素直は自分の出したイビキで目を覚ますダメ女子高生です。


 今日は月曜日。登校日です。

 ベッドからむくりと上体を起こして、開かない瞼をこすって長い欠伸を一つ。カーテンの隙間から差し込む朝陽の眩しさに、私は顔をしかめました。


 ……なんとなく寝覚めが悪いです。

 先週までの疲労感が抜けきっていないのでしょう。高校生になってからは、特にそう感じる事が増えたような気がします。


 気詰まり、息が詰まり、どん詰まりな学校生活のせいでしょうか。これだけいっぱい詰まってお買い得(?)なのに、誰も見向きもしてくれません。もう大分いっぱいいっぱいですからね。いよいよ行き詰まったら、涙が溢れますからね。

 ふわーぁと、大きな欠伸が出ました。すると、目尻にはほろりと涙が……。


 楽しい事を考えましょう。例えば……、アルバイト。


 ……そういえば、夢の中で牛さんを殴って以来、ロキさんとは一週間も顔を合わせていません。


 ロキさんからの連絡は毎度不定期です。

 彼女が言うところの「世界の危機」とやらが起こった日に、唐突にショートメールが送られてくるのです。『今日の放課後、いつもの場所で』と。


 ――逆に言えば、ロキさんからの連絡が無い限り私と彼女が会うことはありません。


 もし彼女の創作のアイデアが枯渇してしまったなら、一週間でも二週間でも何の音沙汰も無くてもおかしくはないのです。おかしくはないのですが……。


 もしかして、もう呼ばれないんじゃないか。

 嫌われてしまったんじゃないか。


 言いようのない不安が頭を過ります。でも、私にはそれを確かめる勇気がありません。


「……さみしい」


 うわ言のようにそう呟いてから、とてつもない羞恥心が湧き上がってきました。

 いけません。寝ぼけておかしくなっているのです。

 二度寝の誘惑を振り切るように、私は勢い良くガバッと起き上がりました。


 ◇


 自室でパジャマから制服へと着替えを済まし、洗面所で身支度を整えてから、私はリビングへと向かいました。部屋にはすでに電気が付いており、テレビは朝の情報番組を垂れ流しています。


「おはよー。朝ご飯、もうすぐ出来るからね」


 リビングの奥にあるキッチンでは、一足早く起床していたお姉ちゃんが朝食の準備をしていました。

 私が「おはよう」と言葉を返すのを見計らったかのように、電子レンジがチンと鳴ります。お姉ちゃんはフライ返しを片手にレンジの扉を開けて、中に入っていたカップを私に渡しました。


「はい。いつもの」

「ありがと」


 ピンク色のハートマークがあしらわれた、私専用のマグカップ。中身はぬるめに温められたホットミルクです。猫舌の私でもすぐに口をつけられるよう、加熱時間はなんとたったの50秒。

 ……にも関わらず、カップはいつも絶妙なタイミングで電子レンジから出てくるのです。早起きしようが、寝坊しようが、休日だろうがお構いなしです。とても不思議です。


 ですが、「お姉ちゃんだし……」とどこか納得できてしまう自分もいます。


 五歳年上のお姉ちゃんは、万事において如才ない人です。

 学業では常に好成績、運動神経も抜群。凜々しくクールな外見とは裏腹に、社交的で誰とでも打ち解けられる性格。その上、高校在学中に公務員試験の勉強を始めて、それも難なく一発合格。一昨年から国家公務員として働いています。

 近所の人たちからは「お姉ちゃんとそっくりね」なんてお世辞を頂戴する事もありますが……。そんなの、見当違いもいいところです。お姉ちゃんに失礼です。


「スーちゃん、お皿取ってくれる?」


 レタスをボウルに盛り付けながら、お姉ちゃんが私を呼びます。

「うん」と答えて、私は壁際の食器棚を開けてお皿を二枚取り出しました。


 その時ふと、棚の奥に置いてある二つのマグカップが目に入りました。緑のクラブのマークと、赤いダイヤのマーク。しばらく使われていないその二つのカップは、今日も逆さになったままです。


「どうかした?」と尋ねるお姉ちゃんに首を振って応えます。


 渡したお皿には香ばしく匂い立つベーコンエッグが乗っていました。私はそれをテーブルまで運んで、袋から出したバターロールを並べます。


「さ、食べよ食べよ」


 コーヒーの入ったマグカップとサラダボウルを持って、お姉ちゃんがリビングへとやってきました。手にしたカップには青のスペードが描かれています。

 促されるまま食卓に着いてから、私はホットミルクを一口飲みました。いつも通りの優しい温かさ。ほっと一息を吐くと、一日の始まりを実感しました。


『――都内在住の男子高校生、武藤怜治(むとうれいじ)さん十六歳の行方が分からなくなってから、さっ、昨日で二ヶ月が経ちました。警察では新たな目撃を、目撃情報を――』


 テレビからは、何度も噛みながらニュース原稿を読む女子アナの声が流れてきます。

「物騒だねー」と、お姉ちゃんが呟きました。剥がれないベーコンに苦戦しながら、私はベーコンエッグを口に運びます。


「スーちゃんも気を付けなきゃダメだよ? 女子高生を狙う犯罪者なんて、世の中いっぱいいるんだからね」

 お姉ちゃんが不安そうに眉を寄せます。


 ……昔からお姉ちゃんは過保護です。

 私だって、もう子供じゃありません。お菓子に釣られて悪い大人にホイホイと付いていくような真似、絶対にしません。

 口を尖らせる私を見てもなお、お姉ちゃんは納得してくれないようです。お箸を持つ手を揺らしながら「スーちゃんって抜けてるからなぁ」と漏らします。


「変な人って、本当にいっぱいいるんだからね。例えば……。『()()()()()()()()()()()()()』なんて甘い誘いがあっても、絶対信じたらダメだよ。そんなの、何か裏があるに決まってるんだから」


 うぐっ、とバターロールの一片が喉に詰まりそうになりました。

 それを目にしたお姉ちゃんは卓上のドレッシングへと伸ばした手をぴたっと止めました。そして、じっとりと私を見つめます。


『ハハッ、ボクはあやしくないよ!』と頭の中ではロキさんが無邪気に笑っています。


 今やっているアルバイトって、まさに「楽して稼げて高収入(食事・催眠付き)」です。怪しさ満点。お姉ちゃんには口が裂けても言えません。

 汗だらだらの私が「分かったぁあ~」と答えると、お姉ちゃんはそれ以上何も言いませんでした。「ふーん……」と、それだけ。ただ、取り皿の上のレタスにはどばどばとドレッシングをかけています。こわい。


 彼女とのアルバイトの事、いつかは伝えなければとは思っているのですが……。

 内容が内容だけに、お姉ちゃんに伝えたら即日仕事を辞める流れになりそうです。アドレスも消されてスマホも没収……ありえない話ではありません。


 お姉ちゃんがカップに口を付けます。つられるように、私もミルクを口に含みました。


「……ほら、一週間前だって、スーちゃんの学校の近くで()()()()が起きたでしょ? トラックが女子高生をはねた、って。もう、あれを聞いて以来、スーちゃんの事が心配で心配で――」

「おぶっ。う、うん。そ、そっか~……」


 今度はホットミルクを吹き出しそうになりました。それ、はねられたの私です……。


 お姉ちゃんの目が再びぎらりと光ります。

 ベーコンエッグをお箸で口に運びながら、お姉ちゃんはツンとした表情で「そっかー」と呟きました。


「この調子じゃ、パパもママもスーちゃんの事が心配で帰ってきちゃうかも……はぁ」

「ぅ、それは……」

「お姉ちゃんも、スーちゃんの事が心配です。事件とか事故とかそういうのだけじゃなくて、たとえば高校生活の事とかさ。スーちゃんってば昔から人見知りだったし、ちゃんと学校馴染めたのかなーとか――」


 びくん、と肩が反応しかけました。

 ふっ、とお姉ちゃんが柔らかな笑みを浮かべます。


「そうそう。だから、入学してすぐに()()()が出来たって聞いて、お姉ちゃんはすっっごく安心したんだよ。その、よくファミレスに一緒に行くっていう仲良しの子は元気?」

「う、うん。元気」


 高級ハンバーグ八皿を完食するくらいには元気です。


 ……ええ、そうです。アルバイトの件を誤魔化す為に、ロキさんの事は「お友達」という設定にしました。これなら帰りが多少遅くなっても怪しまれません。

 我ながら策士です。自分の才能が恐ろしい……。


「スーちゃん。そのお友達、いつでもお家に連れてきて良いんだからね。私もその美少女ちゃんに会ってみたいし」

「あははは……」


 真実を伝えるのが恐ろしい……。


 ふと、お姉ちゃんが横目でテレビを見ます。


「……っと、いけない。スーちゃん、時間は大丈夫? 食器洗うのは私がやっとくから、気にしなくていいよ」

「っ! もう出なきゃ。ありがと、お姉ちゃん」


 私は大慌てでバターロールを口に放り込むと、出掛ける準備を整えます。

 きちんと持ち物が揃っているのを確認してから、キッチンで洗い物を始めたお姉ちゃんに「いってきます」と声を掛けました。「いってらっしゃい」とお姉ちゃんが泡の付いた手を振って応じてくれます。


 それから、リビング隅のオープンラックに並んでいる二つの写真立てにも。


「いってきます。パパ、ママ」


 四年前からずっと変わらず、遺影の中の二人は笑顔のままです。

 ハート()スペード(お姉ちゃん)クローバー(パパ)ダイヤ(ママ)。四つ全部のマグカップが食卓に並ぶ事は、もうありません。


 それでも、私は元気です。

 がちゃりと勢いよく玄関扉を開けて、私は朝の街へと飛び出しました。

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