どう見ても夢ヲチです
私、進藤素直はゆっくりと目を開きます――。
ぼんやりとしていた意識が、きちんとした輪郭を描き出します。浮遊感はどんどん薄れていって、私は自分が現実世界へと戻ってきたことに気付きました。
ここはいつものファミレスの、いつものボックス席です。私はソファーに身体を預けるようにして、深い眠りに落ちていました。今の今まで。
瞬きを数回。目覚めた私の鼻先にあったのは、文字通り「目の覚める」ような美少女の顔でした。
……確認の為、もう一度瞬きをします。私の顔を覆うように垂れる綺麗なブロンド髪からは、甘い香りが漂ってきて――。
「おはよう、スナオ」
「ん……う、おぅわぁっ美人が近い!?」
驚いて飛び起きた拍子に、私の額と“彼女”の額がごっちんしました。骨と骨がぶつかる鈍い音を残して、しばらく二人で悶絶します。
「ひ、ひどいじゃないか……。ボクが一体何をしたって言うんだ」
「びっくりさせたじゃん……」
唇と唇が触れてしまいそうなほどの距離まで顔を近付けておいて、「何もしていない」はないでしょう。美人は存在それだけで凶器なのです。
……そもそも私が眠りに落ちる前、彼女は対面の席に座っていたはずです。それがいつの間にか、一つのソファを仲良く二人でシェアしているのは何故でしょう。一緒に座るには狭かったのでしょう、ご丁寧に私のスクールバッグはテーブルの上へと移動させられていました。
「で、これは……」
見せつけるようにして、左手を持ち上げます。何故か、私の左手指に彼女の右手指が絡んでいました。いわゆる、「恋人繋ぎ」というやつです。
私が抗議の視線を向けると、彼女は何事もなかったかのようにぱっと手を離しました。そして、やや早口に弁解を始めます。
「仕方ないだろう。スナオの可愛い寝顔をじっくり観察する為には、隣の席まで移動する必要があったんだ。これは不可抗力だ」
「ね、寝顔見てるじゃん!」
「そして、一度近付いたなら。キミに触れたい、キミのその可愛い唇を奪いたいという衝動に抗えず……」
「キスしようとしてるじゃんっっ!!」
自分でも驚くほど大きな声が出てしまいました。何事かとこちらを見る周囲の客たちの視線が痛いです。
慌てた様子で、近くにいた眼鏡の男性店員が近付いてきました。
「どうかなさいましたか」とおっかなびっくり尋ねる店員さんに対して、彼女は平然と「『プレミアムチーズinハンバーグ』二皿追加で」と注文を入れています。
私は真っ赤に染まっているであろう自分の顔を両手で隠すことしかできませんでした……。
店員さんは何度もこちらを振り返りながら、「とうとい……」と謎のメッセージを残して去って行きました。言葉の意味は分かりませんが、たぶん「仕事の邪魔をするな」とかそういうメッセージでしょう。申し訳ない気持ちでいっぱいになります。
少し考え込む仕草をしてから、彼女はようやく本来の自分の席へと戻りました。
「ごめん、スナオ。あれはボクなりの親愛の表現で……。キミを困らせるつもりはなかったんだ」
指の隙間から覗き見ると、ちょっと寂しそうな顔で謝る彼女がいました。罪悪感がむくむくと膨らんできます。我ながらチョロいです。
「……大きな声出しちゃって、ごめんなさい」
「ううん、今のはボクが悪かった。お詫びに飲み物を取ってくるよ。何が良い?」
「ん……。なら、メロンソーダ」
彼女の厚意を無碍にするのも悪いので、ストローを抜いた空のコップを差し出しました。「畏まりました」と恭しくそれを受け取った彼女は、自分用のと二つのコップを手に足取り軽くドリンクバーへと向かいます。
はぁ、と風船がしぼむように、私はテーブルに突っ伏しました。
ポケットからスマホを取り出して軽くタッチすると、時刻は十八時半を示しています。ファミレスに入ってからすでに二時間以上も経過しています。日もすっかり落ちてしまって、窓外には夜の景色が広がっていました。
手にしたスマホの画面が暗転すると、だらしない自分の顔が映りました。脳内には「キス」という単語と、柔らかそうな唇が――。
いけません。落ち着け、落ち着け。と、また火照り始めた顔を手で扇ぎながら、自分に強く言い聞かせます。
全部が全部、徹頭徹尾、彼女のイジワルな冗談なのは理解してます。落ち着け。あんな神秘的な色白美少女が、私のような陰気人間に興味を持つはずがありません。そもそも女同士ですし。女同士ですし。本気で言ってるわけありません。落ち着け。ぼっちな私をオモチャにして遊んでいるのです。落ち着け!
……やっぱり、イジワルです。私がこんな風に悩むのだって彼女の計算の内に違いありません。
そういえば、夢の中でもそんな風に思ったなぁ、とおぼろげな記憶を辿ります。
……と、そこで頭が切り替わりました。そうです、仕事です。私は上体を起こして、テーブルの上のスクールバッグをひっつかみます。中を漁ってクリアファイルに挟まっていた“報告書”を一枚取り出しました。
邪念を振り払うように、無心で白紙の用紙を埋めていきます。やがて、「お待たせ」という声と共にコップを両手に持った彼女が戻ってきました。
今、彼女の顔を見ればまた頭が変になってしまいそうです。私はペンを握ったまま、顔を上げずにメロンソーダを受け取りました。
「……ありがとう……」
「どういたしまして」
彼女は特に気にする様子もなく、ジンジャーエールを手に席に着きました。私が集中してペンを走らせている間、彼女は一言も喋りませんでした。
“夢”で体験した内容を報告書にまとめる。それが、私の業務内容です。
当然、ただの夢ではありません。体験するのは決まって「とある異世界」の物語です。
たとえば、今回は「『べひなんとか』という牛のモンスターを倒してほしい」という説明が事前にありました。「『うぇすてぃあ大森林(?)』という場所に、手違いで出現させてしまった」そうです。
細かい設定部分は難しいので、私の頭では理解が追いつきません。たぶん、彼女も諦めてるので大丈夫です。
私はその内容をざっくりと脳に刻みこんだ上で、彼女がぱちんと指を鳴らすのを待って眠りに落ちます。理屈はよく分かりませんが、たぶん催眠術(?)というやつです。前にテレビで見ました。
そうやって眠りに落ちた先では必ず、彼女の考えた設定通りの場所に辿り着きます。あとは、その夢の中を私なりに考えて行動しながら、提示された問題を解決に導くだけです。
とっても不思議なことに、彼女の見せる夢の中では五感もあれば身体も思い通りに動かせるのです。その上、身体は妙に軽くて、現実の何倍も凄い力が出せます。まるで漫画やアニメのヒーローみたいに、パンチで岩山を砕いたり、空を飛んだり、巨大モンスターを担いだり、もう何でもやりたい放題です。
……まあ、どんなにリアリティがあろうとも、全部夢なんですが。
異世界とか、モンスターとか、ファンタジーですよね!
要するに、ただ夢を見るだけでお金が貰える夢のようなバイトなのです!
……怪しさ満点です。
この仕事には一体どんな意味があるのでしょう。以前、彼女に直接確認してみましたが、「あの世界の滅びを回避し、人類の営みを守る為さ」なんて返されました。どうも真面目に答える気はないようです。
なので、自分なりにいっぱい考えてみました。
そうして、ついに一つの結論に至ったのです。
――ずばり、彼女はプロの作家さんに違いありません!!!
小説か漫画かは分かりませんが、こういう世界観のファンタジー物を書いているのでしょう。しかも、この美貌と若さでメディア露出が全くないとなれば、覆面作家に違いありません。それも、かなり売れっ子です。高額なバイト代やファミレスでの豪遊にも説明がつきます。彼女が自分の事についてあまり語らないのも、編集さんからプライベートについて話す事を禁止されているからでしょう!
だとしたら、このアルバイトの目的はハッキリしてます。つまり、彼女は私の見た夢の内容から創作のヒントを得ているのです。
私は小説も漫画も詳しくないのでよく知りませんが、そういうものなのです。
……とはいえ、やっぱり疑問は残ります。
「異世界」の夢を通して作品のアイデアを練るのなら、色んな人を雇って色んな意見を貰う方が仕事が捗ると思うのです。しかし彼女曰く、協力しているのは私一人だけのようです。
夢の中の私、ほぼパンチだけで問題解決してるんですが……。
どうして他のアルバイトを雇わないんですか、と彼女に聞いてみた事があります。けれど、
「二つの世界を『せいしんてんい』で行き来するなんて芸当、スナオにしかできないんだよ」
と、よく分からない説明をされて終わりました。
結局、真相は分からず終いです。
ふとペンを止めて顔を上げてみると、彼女とばっちり目が合いました。ストローの先端を指でいじりながら、私に微笑みかけてきます。
――本当に、どうして私なんでしょうか??