一章【女たちの王国】(6)
シップドクターの治療を受け、涼子とキツネは客室に戻った。ベッドを下ろせば三人部屋にもなる手狭な二人部屋だ。船内は年間を通じて三六五日二四時間同じ温度設定が保たれているので、船外に出なければ季節という概念がない。おまけにここは窓もない内部屋だから、壁の時計を外したらいきなりここがいつどこなのかもわからなくなる。緩やかな移動にともなう時差の解消にはこの上なくいい環境だが、照明をオフにしないと夜は訪れない。電気を消したら非常灯とドアの下の隙間から差し込む廊下の光しか明かりがない。
涼子はキツネの目の前で平然とスカートを下ろした。臀部から下の絆創膏や湿布が痛ましい。
「えらく大げさな手当だな。受け身くらいはとれたろうに」
「いくらなんでも無傷じゃ不自然でしょ? 支障はないからダイショーブ」
下がショーツ一枚でも、涼子の顔に恥じらいなど一切ない。
「それよりあの時間、わたしたちは病院にいた。その事実がだいじ」
「ずいぶんと悪賢くなったな。ああ、これ褒め言葉だから」
キツネは投げやりだ。ベッドに腰を下ろして、両手を左右に大きく広げる。部屋は狭いが、幸いにして寝台はその程度のサイズはあった。
涼子は礼のつもりか頭を垂れた。
「先生ありがとう。あなたのおかげです」
「皮肉も上手くなったな」
「キツネと毎日楽しく会話してるからね?」
「んで、お前は具体的に何を仕掛けたんだ?」
「『頭を使ってお友だちを作れ』。キツネのオーダー通り仕事したよ?」
涼子はそのままキツネのとなりに腰掛けた。
「やれやれ。おれは子作りは好きだけどガキはキライなの!」
未成年者がかもし出す発育途上のフェロモンにいたたまれなくなり、キツネは悲鳴をあげた。
涼子は大量に箱買いしてあった『DXとてもうんまい棒』を食べはじめた。
「なあ、いま食いはじめたら、九〇日間のロングクルーズの退屈をお前はどうやって生きてくつもりだ? 海外じゃ売ってないんだぞソレは」
キツネは缶ビールに手をつけた。涼子は駄菓子をひたすら貪っている。
「もぐもぐ、美味しい」
「会話にならんな……その味おれも好きだから半分とっとけよ」
「いいよ」
涼子は食いかけを差し出した。
「いらんわ!」
キツネは投げやりに寝転がった。おかげでビールが少しこぼれた。サイドテーブルに缶を置いて煙草を咥えた。
「キツネ、客室は禁煙だよ? またビービーうるさい音が鳴って怒られる」
「わーた。喫煙室にしばらくこもるさ。イヤな世の中だ」
キツネはしけった咥え煙草に火をつけず、客室を出ていった。
船内はちょっとした騒ぎになっていた。事情はわからないがトラブルだからしばらく客室で待機していて欲しいと口頭で言われ、キツネは粘り強く交渉して船員から灰皿を預かった。そして、騒動がおさまるまで火災報知センサーを一時的に切ってもらった。
「おい戻ったぞ」
涼子はテレビを見ながら日本語の勉強をしていた。すでに自分の部屋みたいに当たり前に散らかしている。あまりに早すぎる。
「ルームサービスに迷惑をかけるな」
「ふぁい?」
お菓子を咥えながら涼子は適当な相槌だ。
客室がとてもうんまい棒くさい。いますぐに煙草で消臭しなくてはならない。