四章【たったひとりの軍隊】(14)
「愛の反対語」の、これが答え――。
誰かに伝えたかったメッセージが切実な言葉を綴る。
だけど、世界にはもう誰もいない。
ここが、誰も傷つかない世界。
あなたもいない。
わたしもいない。
誰もいない。
憎めば忘れられますか?
答えは否。
忘れればすべてを許せますか?
答えはない。
殺して、殺して。
わたしなんか殺して。
殺して、殺してよぉ。
わたしなんか、いらない、いらないんだ。
もう誰も傷つけたくない。
わたししかいない世界に返して……!
「わたしはわたしが人に与えた痛みを耐えることができない」
雪がおさまった。いまひとつの個体となった異能の前に神父があらわれた。
「さて、万策尽きたな。世界はおまえにはあまりに小さい」
もうやめて。
石を投げないで。
わたしを責めないで。
ひとり、またひとりと石を投げるのをやめてゆき
それでもまだ自分に石を投げていたのは、わたしでした。
世界を呪っていたわたしを救ってくれたのは、みんな。
世界を呪っていた本当の魔女は、わたし。
わたしを閉ざした殻から、みんなが助けてくれた。
あなたは誰も傷つけていない。制御できない力が勝手にやっただけだよ。
でも、いつかみんないなくなる。
だからわたしは、最後の力で、すべてをやり直す。
世界を創る。
そしたらわたしの存在が消えるんだ。
でも、わたしがわたしを許したら、誰がわたしを裁くの?
「自分を裁きたいんだろ。そいつをくれてやる。自分で始末しろ」
神父がその足もとに拳銃を転がした。
「イキタイ……イキタイヨ……」
それが由希子と涼子の本当の願いなのだろう。少女は泣いていた。
「だめだ。見ててやる。ゆっくりと休め。お前はもう十分にやった。このままではおまえはもう、魂を癒やすことさえできない。折れた翼で飛べ。どれだけ歪んでいても前には進める」
融合個体は、涼子としての顔をのぞかせる。
「でも、わたしはおまえたちの敵だ。その拳銃でわたしがおまえを撃たないと思うのか?」
「人は民族や宗教、国では争わない。正義も悪もない。満足していたら誰も争わない。さあおまえが選べ。滅ぼす先の未来か、何もしない滅亡か。目を背けることもさえできない美しい世界をみせてやろう」
「なら、わたしが壊すわ……一人でもやる……」
涼子の顔で少女が拳銃を拾った。こめかみにあて、銃爪を引きながら、最期に静かにつぶやいた。
「もう痛くない……。寒いよ、キツネ、暗い……なにも、みえない……」
乾いた銃声とともに、少女は船の壊れた外壁から冷たい海に転落していった。
「これが、これこそお前が切実に待ち望んだ世界だ。そこがおまえの、終の住処だ。エイメン」
神父は祈りを捧げた。
あとから駆けつけてきたキツネが怒鳴った。
「なぜ助けなかった! アンタならできたはずだ!」
飛び込めば確実に死に至る南極圏の冷たい海。これではもう助けることは不可能だ。
「人が人を幸せにしようなど、おこがましい話だ」
「じゃあアンタはなぜここまできた!」
「全てを見届けるためさ……」
意識が暗くて冷たい海に沈んでゆく。
もうわたしに関わらないで。
敵を生み出すのは人。
みんなそこにいるのに、すべてを敵にしてしまうのは自分。
許せないものばかり集めていたら、世界なんか好きになれるはずがないよ。
好きじゃない、でも嫌いじゃないものを見て。
ひょっとしたら、世界が好きになれるかもしれないじゃん!
こわいよね。
自分は見えないから。
離れていっても、
見えなくなっても
いつの日か忘れてしまっても
みんないるよ。ここにいるよ。
愛の反対語が憎しみなんて嘘。
無関心? それも違う。
なにもないの……。
あなたに目を背けるほど美しいものを見せてあげる……。
この狂った世界であなたは生きてゆくの。ずっと!
誰かに伝えたかったメッセージが切実な言葉を綴る。
だけど、世界にはもう誰もいない。
エピローグ『希う』に続く。