四章【たったひとりの軍隊】(8)
「世界は敵。だから滅ぼさなければならない……」
神父は言った。
「共感とは奇跡だ。ゆえに、共感が得られた時間とは素晴らしい体験になる。しかし、無理に長く『奇跡』を続けようとするから人は苦悩する。人は理解できないものを狂気と呼び、わかる気になったものは仲間と見下す。実際にはそれは仲間ではなくただの道具や玩具でしかない」
「あんた牧師さんだっけか?」
腑抜けたキツネが神父にとても失礼なことを言った。
「違う。神父だ。この異教徒め」
「おまえみたいな狂信者から見たら全人類のほとんどが敵だろうが」
「確かに。私を恨んでるやつらなら星の数ほどいる。神の敵に与える慈悲はひとつしかない」
「おっとここで聖戦は堪忍してくれや」
「生きるために生きるのではない。我々は生かすために戦うのだ……。完全に理解し合うまで、敵でも味方でもない」
「そんなん永遠にわかるもんか、アホクサ」
ずぶ濡れになったフレシエッタが雨合羽を羽織ってやってきた。
「万物貫通と、絶対拒絶、どちらがまさるのかしら……?」
由希子が世界を呪う声が冷たい雪として頭上から降り注いでいる。
「世界は敵。だから滅ぼさなければならない……」
神父が聖句を唱えるようにつぶやく。
「呪いの宝石の名は希望。ひとたび世界を呪ったものはもう還ってはこれない。もはやいくら呼びかけても無駄だ」
「言葉を急ぐな。つまらなくなる。この世にスーパーマンなんかいやしねぇんだ。だから必ず倒し方はある」
キツネは断言した。フレシエッタが聞いた。
「それは素敵ね。アイディアを聞かせて?」
キツネは即答した。
「おまえの神様に祈れ」
------------------------- 第53部分開始 -------------------------
【サブタイトル】
四章【たったひとりの軍隊】(9)
【前書き】
「弱いことを責めはしない。けれど、それは弱さにしがみついて強くなろうとしないことの言い訳にはならない。わたしたちは言葉でしか人と交われない……!」
【本文】
「弱いことを責めはしない。けれど、それは弱さにしがみついて強くなろうとしないことの言い訳にはならない。わたしたちは言葉でしか人と交われない……!」
みぞれのなかにたたずむ由希子に向かって、涼子が叫んだ。
「だから、話が噛み合ってないんだよ。おまえら言いたいこと言ってるだけで分かり合う気なんかないだろ? うるせぇ! 奇跡なんてもんは所詮、人が、人の手で、作り出すんだ! 涼子、由希子の叫びにも耳を傾けてやれぇ!」
うめくように言ったキツネに、神父が邪な笑みを向ける。
「おまえには理解が及ばないだろう。『共感』、すなわち真実の奇跡は教会が演出する。知らんのだろうな。教会はナチスにも協力していた。神は連合国にも同盟国にも平等に、奇跡をもたらそうとしたのだ」
「うるせぇ、日本に原爆を投下したのはてめぇらと同じ十字架だ!」
「それは異教徒の新興国の罪であり、教会は関与していない」
「日本人に区別がつくかぁ!」
「日本人にもカソリックがいるだろう?」
「おれはシントーだ、わかるかコンチクショー」
「異教徒だろう。異教徒が異教徒を燃やそうと、教会は関知しない。たいして戦争もしていない島国の残存兵に教えてやろう」
「なんだと」
「我々は大陸でお前らの倍以上にも及ぶ時間を戦ってきた。幾度となく国家が亡び、あらたに生まれ、同じ神の名のもとに滅ぼしあった。お前たちが最古の国家だというなら、我々は最古にして最大の宗教だ。地球は偉大な創造主のためだけに多くの血の涙を流した」
「さいですか。弱者の嫉妬から生まれた宗教は厄介ですね!」
「ニーチェは死んだ。しかし神はまだ生きている」
神父の皮肉めいた言葉がまだ続く。
「稲作という行為は許されよう。だがそれも神がキサマら異教徒にもたらしたのだ。古の原始人の末裔よ」
「しらんがな。おまえはアニミズムもしらんのか」
「おまえらは女のかたちをした偶像に感謝して米を食すのだろう?」
「女の涙にいつまでも捕らわれていて、生き延びていけるほど世界は優しくはなかったんでね。やれやれ。女ってのはおそろしいな」
「『女は男の肋骨から作られた』。聖書の言葉だ」
「いや、おれ女キライ。くさるほどいるし。あと男はイラネ。おれがいるし」
「臆することはない。わたしは性的不能者だから何の問題もない」
「そうゆう勝負なら白旗あげさせてもらうぜ」
「若い女の死に幾度となくと立ち会い、何十万人何百万人と言葉をかわせば、どんな女だろうとそのなかの一人ひとりにすぎない」
「知るかよ。女と寝てきた回数なら負ける気がしねぇけどなこのクソ童貞インポ」
「聖職者に妻帯など許されようはずもない。婚前交渉などもってのほかだ」
「次から神父を見たら逃げることにするわ。やだ無敵の人コワイ!」
「異教徒には別の異教徒が記した『ルバイヤート』の言葉でわかりやすく説明してやろう。昼と夜となくこのチェス盤上で彼が闘わせ、ここにかしこに動かし、王手し、殺し、そしてまた箱に納める。みずからは無力なる駒に過ぎないものだ」
「ハイハイ、物知りなんすね」
「彼とともに知恵の種を我は撒いて自らの手でこれを育てた。かくて収穫したものはただこれだけだ。我は水のごとく来て風のごとく去るものである。かくして万物は流転する」
「やれやれ。そういう大事なことはバカでもわかるように説明してくれよ」
涼子と由希子が殺し合いをしているさなかの敵対者同士の漫才だ。まるで笑えない。それこそいかなる宗教・宗派を問わず、間違いなく罰当たりだろう。
いや、笑わなくても呪いと神罰が四方八方に撒き散らされている。キツネは悲鳴をあげた。
「自分の心身を藁人形にした万物への呪いだ。もうどうにもならねぇ!」
「道端に落ちている石ころに存在の善悪を問うようなものだ」
神が己に与えた罰でも狂喜乱舞するのだろう。このどグサレ外道の神父は。