一章【女たちの王国】(3)
船員区画はどこか殺伐としており、立入禁止エリアにあるプロジェクトルームは狭くて暗い。
そんな空間に人体大のものを培養できるカプセルが運び込まれ、生命維持装置がまわっているので騒々しい。パイプやコード、散乱した紙で空間が散らかっている。
とにかく薬品臭い。
船医である深見夏希が、被験体のバイタルをチェックしている。
一〇歳にも満たないであろう。何も身にまとってはいないが、半透明の黄色い液体に満たされた生命維持装置に半分隠れているので、性別まではわからない。
せわしなく作業を進めるドクターの背後に、船長のフレシエッタが立っていた。
「これが人工異能か……」
深見は振り返らなかった。
「そう。知によってすべての空間を把握し、支配する力。目覚めれば、この船の機能はすべて彼が支配してしまえる」
「しかし、本部からは制御が不可能だと聞いたぞ?」
フレシエッタの問いに、深見は小さく肩をすくめた。
「それをどうにかするのが私の仕事。それでも危険物扱いだからここにきたのでしょう?」
「洋上ならどうにでもなるという判断だろうさ。老人たちはいつでも安全な場所から私たちに厄介事を押しつけてくる」
「危険物扱いなんてしたら、なんだって危険物よ。爪楊枝ひとつだって人を殺傷せしめられる。人のかたちをしたものに、人の心を宿す。それがイマジネーション……」
「おまえは学者の割に話が抽象的にすぎる。ところでこれを見てくれ。どう思う?」
フレシエッタが書類フォルダーを差し出した。
「すごく……ブ厚いです……」
深見は見たままの感想を述べた。
「日本警察の極秘資料だ。二ページ目だけでいい。意見を仰ぎたい」
夏希は表紙をめくった。写真四枚が貼りつけてある。一枚は事件現場、一枚は細胞の顕微鏡写真だ。
「なに、これ? ありえないわ」
人間のサイコロステーキに夏希は怪訝な顔をした。
「私にもわかるように説明してくれ」
「あなたも元軍人ならわかるわね? この損傷はどうやって切断したかわからない。あなたは生卵の断面を見たことがある?」
夏希は矢継ぎ早に喋る。
「……この遺体は、凶器も死因も特定できない。こんなことは理論上不可能」
「死因はどう考える?」
「出血性ショックによる心不全でいいわ。他に書きようがないもの。警察の司法解剖でも法医学者が同じ判断で結論づけたと思う」
深見はパイプ椅子に腰掛け、おざなりに脚を組んだ。
「それで、この書類は何? いつものことだけれど、何も聞いてないわ」
「いま話している。確証はないが、異能、人的災害の可能性がある。厄介なことに、今回はそいつも押しつけられた」
「かつて悪い日本軍が軍事利用しようとして失敗し、大惨事を引き起こした異能ね? それも脳をいじるの?」
「気が早い。たった一件の事件からは何も特定できないが、被害者の関係者だ。すでに船内で監視対象になっている。もしマガゴトだった場合には、おまえに判断を任せる」
「頭をちょっといじるだけの簡単なお仕事よ。イエスマム」
夏希はおざなりに海軍式の敬礼をした。フレシエッタは小さく肩をすくめる。
「船内に教会がある。あとで懺悔をするとしよう」