三章【おわりがはじまる】(6)
由希子は船医による救命活動にも関わらず意識不明だ。脳波が停止している。
「植物人間ね。こうなったら何をしても無駄。延命中止を提言します」
「駄目だ。正規の旅客である以上、わたしの立場からはそれを許すわけにはいかない。なんとしてでも生き返させろ」
「不可能よ。自発呼吸を停止してもう三〇分以上経過している。こちらは医師としての立場です」
ここであきらめたら脳が不可逆的損傷を受ける可能性がある。深見船医にわからないはずがない。
しかし、船内医務室はもはや野戦病院と化している。旅客として乗船したすべてのドクターに看護師、さらには歯医者、バカンス中の軍医からマフィアのおかかえまで、敵味方の区別もなく、全員が必死で治療にあたっている。闇医者の手を借りてもまだ目が回る状況だ。
千人以上の旅客と千人の乗組員のうち、どれだけ命に関わる重傷者がいるかわからない。
それが廊下にまで溢れてうめき声をあげている。人手も機材も薬品も圧倒的に不足している。
たったひとりの患者に集中治療室を使わせ、船医がつきっきりになるわけにはいかない。
船医の判断は正しい。圧倒的に正しい。女船長も決断を迫られている。
「ならマッドサイエンティストとしてのおまえはどう考えている」
フレシエッタは声を絞り上げた。
「さっさと死んでくれれば、いい実験材料になるわね。脳へのダメージがなるべく少ないうちにさっさと保存をしておきたいわ」
フレシエッタは問答無用で深見船医をひっぱたいた。
「だったら一秒でも早くSOSを出すのが船長としてあなたがとるべき判断でしょう!」
深見の悲痛な叫びにフレシエッタは一言も返せない。言い返せるわけがない。
ふたりの口論のおかげで誰も気づかなかった。
それはで平坦だった由希子の波形に変化が訪れたことを。どうしたことか、自発的呼吸を再開している。
そして、由希子の肉体が集中治療室の台から忽然と消えた。