二章【ここにいて、ここにはいない】(7)
由希子は夢を見ていた。
「お願い先生やめてください……やめて、いたぁい!」
そのとき由希子は破瓜の痛みを知った。
わたしは顔も知らない先生が大好きだった。
だから、許せなかった。
記憶をとともに痛みまで失うことは、とても苦しい。
憎しみは愛にまさり、忘却だけがすべてを許す。
胸が苦しい。
許して。誰かわたしを罰して。
「どういうこと? 採血ミスよ」
深見船医は看護師に投げつけるように言った。
「いえ、間違いありません。それはリョウコ・シンジョーの血液です」
看護師のあわてふためきぶりに、深見は眉間にしわをよせた。
「こんなのありえないわ。一卵性双生児かクローンでもなければ、考えられない……どういうこと……?」
緊急手術のついでで血液検査を行い、その場の思いつきでDNA鑑定を行った。その結果が出たのだ。涼子のそれは、由希子の遺伝子そのものだった。
深見は眉間に深いシワをよせた。何かとても大切なことを思い出した。
夏希は、ふたりにとてもよく似た女を知っていた。なぜ今のいままで忘れていたのだろう。
自分の研究に夢中になりすぎて、そもそもの「事の発端」を忘れきっていた。
「このことはリョウコ・シンジョーにもユキコにも知らせないで。船長にはわたしから直接伝える。これは極秘事項よ」
「承知しました」
看護師はうなずいた。
性格がまるで違うから誰も気づかなかったが、そういえばふたりの顔写真は髪型以外すべて一致していた。
「それと、血液型も抗体検査も問題がないなら、由希子から涼子に五〇〇ミリリットルを輸血なさい」
深見は指示した。『いいことを思いついたからやってみる』。これは悪魔の発想だ。
マッドサイエンティストがそれをやる。
「上には事後承諾でいい。医務室はわたしの領域だから」
そう告げた深見の声は、抑揚に乏しい。
結果ありきの実験は面白くない。わからないからこそ、いいのだ。何を考えているのかもわからない。