二章【ここにいて、ここにはいない】(2)
由希子は足を少し挫いていた。部屋付きメイドのメアリーが湿布を貼ってくれている間、途方もなく広い部屋の窓の向こうの海を眺めている。
すぐそこにあるのに、果てしなく遠い。
涼子がお見舞いにきた。
「ごめんなさい」
涼子はしょんぼりしていた。それまではうっすらと嫌いだったが、そんな彼女がちょっとかわいらしく見えた。
初めて気が許せた気がした。
「わたしが足もとに注意してなかったから。わたしが悪いの」
「そういうのよくない。気づかなかったのにいいも悪いもないよ!」
「じゃあ、あなたも『ごめんなさい』をやめて……?」
「うん。でも、ビー玉落としたのは実際にわたしだから」
「ポケットから自然に落ちたの。それはあなたの責任じゃない」
「うう……」
涼子は何か言いたげだが、言葉が出てこないようだ。
「いいのよ。わたしはあなたが好きだから」
「ありがと。わたしも由希子がすき!」
涼子はいきなり飛び込むように由希子に抱きついた。
由希子はメイドが氷のような顔でスカートの内ももにあるものにそっと手を伸ばそうとしていることに気づいた。
こいつは信頼ならない。敵かも知れない。
そのときガラスが割れたような音がして、由希子はビクッとした。
ビクッとした由希子を見て、涼子とメイドがぎょっとしている。彼女たちには聞こえていないようだ。
ときおり、こういうことがある。由希子にしか聞こえない音だ。
かつてかかった医師は、一過性の自律神経失調だろうと言った。だから気にしないでいいと。
それでも気になるのだ。気になってならない。
「由希子、大丈夫?」
涼子が心配そうな顔を浮かべている。
「なんでもないわ。メアリーさん、お水を頂けるかしら……?」
「メアリーとお呼びください。いまお持ちします」
メアリーはいったん部屋から出て、ペットボトルのミネラルウォーターとクリスタルのグラスを用意した。このグラスだけで何万円もするのだろう。由希子はなぜいま自分がこんなところで丁寧な扱いを受けているのか理解できなかった。
ある日突然、招待状が送られてきた。
保護者はたまには違う景色を見るのもいいだろうと送り出してくれた。
由希子は『仕方がないからきた』。
いつもそうだ。流されるがままに生きて、あるとき限界がきてキレてしまう。キレるといつもわけがわからなくなってしまう。
だからそうならないよういつも気をつけている。しかし、感情とはコントローラブルなものではない。
「『気にしない』は特効薬なんだって!」
由希子は驚いた。心を読まれた気がした。
涼子は無邪気な子犬のような顔をしている。尻尾でもあったらさぞかし面白いだろう。
由希子は涼子の頭を撫でた。
涼子はとても満足そうだ。屈託がない。他意がない。こんな人と出会えたのは初めてかも知れない……。
メアリーは何事もなかったことに安堵した。
電極を撃って暴徒を無力化させるテイザー銃を未成年者相手に使わずに済んだ。これを食らうと痛いなんてものではなく気絶する。
由希子と涼子をふたりにして席を外し、インカムで状況を上に報告する。
現状でトラブルもないので、結論としては由希子と涼子をしばらくふたりにしておくことになった。