夜の食国
ふくと夕飯を食べた後、いつもならこてんと眠りに落ちるが、この日ばかりは眠りたくなかった。
窓を開けて月を見上げると、また涙が出そうになる。
帰りたくない自分と、帰らないといけないという自分が、頭の中で行ったり来たりしているのがわかる。
アマテラスはいつ帰っても良い、と初めて来た時も言っていた。
私を選んでここへ連れてきた意味は、やはりなんだったんだろう。
貰ったお守り袋を嗅ぐと、アマテラスの良い匂いがした。
今日も月が綺麗だ。
月を見ながら何気なくため息を吐くと、不意に風と共に良い香りがした。
「こんな夜更けに、どないした」
絵のような雲に乗って、ふらりとツキヨミが現れた。
「ツキヨミ様。今日は昼間は会いませんでしたね」
「ほんまやな。まあ、私も毎日こっちにきてるわけやないからな」
窓の前に雲を止めると、ハンモックに乗ってるように目の前でゆらゆらし始めた。
「いいですね、それ。気持ちよさそう」
「乗ってみるか?」
「え、うん。試してみたいです」
よし、と言うとツキヨミが上半身を起こして、弥生に手を差し出した。
弥生は手を取って、窓枠から雲に乗り移った。
雲は思ったよりもしっかりしていて、全く揺れなかった。
ツキヨミは弥生が隣に座っても余裕があるように、雲を変形させた。
「よし、これでええやろ」
そう言うとまた、身体を寝かせた。
弥生も真似をして隣に寝転んだ。
大きな月が目の前にある。
広い広い夜空の真ん中でふわふわ。
格好いいツキヨミとダラダラしてるなんて、贅沢な時間だなと思った。
「夜は全てがツキヨミ様の世界なんですか?」
「うん。高天原も眠りにつく。地上も空も全部、私の世界」
「えっと、じゃあ、夜の食国って、具体的に場所があるわけではないんですか?」
弥生は身体を起こして、ツキヨミを見た。
そのままの体勢でツキヨミは答えた。
「いや、ある。月の裏側にな」
「月の裏側?」
「行ってみるか?」
「ぜひ」
弥生の答えに、ツキヨミも起き上がった。
ふわふわと浮いていた雲は、そのままゆっくりと月へ近づいていった。
月の裏側というから、てっきり直前でぐるっと上からか横からか回る物だと思っていたが、月にどんどんと近づいてゆき、やがて明るすぎて何も見えなくなった。
雲は月の真ん中に突き進んでいったのだ。
その強い光に思わず目を瞑った。
硬く閉じた瞼からも強い光が感じられるくらい強かったから、弥生はずいぶん長い間目を閉じていた。
「弥生、目、開けてみ」
恐る恐る目を開けると、そこはほとんど夜の高天原があった。
少しだけ違うのは、月はない代わりに、空には満点の星空が広がっている。
目下は森が広がっていて、動物たちの声や風に擦れる草の音が聞こえた。
「ここが、夜の食国…」
「せや。ようこそ」
やがて森の奥に、整備された大きな田園風景が広がった。
それは大きく高天原とは違う風景だ。
その田畑の真ん中に、大きくて立派な屋敷が見える。
アマテラスの屋敷とほとんど同じだ。
雲は屋敷の玄関の前に二人を下ろすと、消えて見えなくなってしまった。
ツキヨミが屋敷の中に入ると、中から数名の天女たちが出てきた。
室内は灯りが灯されていないのに、充分に見ることができる。
中もほとんどアマテラスの屋敷と同じだが、天女たちは全員が紺色の着物を見につけていた。
高天原の天女は白色だった。
「おかえりなさいませ、ツキヨミさま」
「ああ、戻った」
ここの天女も、弥生には気づかないようだ。
誰も弥生を見ない。
ツキヨミはそのまま屋敷の中に入っていくので、弥生は後ろをついていった。
中庭に差し掛かった時驚いたのは、屋敷の中に川が流れていたことだった。
一つ大きな部屋に入ると、そこはまさにアマテラスの部屋の色違いといったところだった。
「すごい、ほとんど同じなんですね」
「うん、てんと私は表裏一体やからな」
奥の部屋の窓際にツキヨミは腰掛けると、弥生を手招きして窓の外を見せた。
「わあ、滝になってる」
屋敷の下は崖になっていて、屋敷の中を流れていた川は、そこ窓の下から天空に降り注いでいた。
そして何故か夜なのに、その滝に小さな虹がかかっている。
「ここも良いやろ」
ツキヨミはこれが見せたかったらしい。
すごい自信満々に言うから、少し笑ってしまった。
「はい、とても」
窓の外から、森のいい匂いが漂ってくる。
高天原はいつも良い香りがするが、ここも全く引けを取らない。
不意に、窓の外から蛍が入ってきた。
窓の淵に置かれたツキヨミの白く美しい手に止まって、可愛い光を灯している。
外からほーほーと、鳥の鳴き声も時々聞こえる。
「今日は、てん様の秘密の部屋に連れていってもらいました」
「ああ…すごかったやろ」
「すごかったです。定一さんと行ったんですが、感動されてました。『あなたさまに自分の人生を記録してもらえていたと思うと、なんだか嬉しいですな』って」
「そうか」
天女がふわりと入ってきて、ツキヨミにお酒を持ってきた。
なぜか杯は二つあった。
「飲まへんよな?」
「私は大丈夫です」
お酒は前に即寝落ちしたので懲りた。
それにしても何故天女は杯を二杯持ってきたのだろう。
私には気づいていないはずなのに。
「そういえば、質問なんですけど」
「うん?」
「どうして、ふくさんはここで働いていないんですか?ツキヨミ様が連れてきたんですよね?」
「うん…」
ツキヨミはお酒に少し口をつけた。
「あれは…本来はここにくるはずやったんやけどな、私が魂を上に運んでる間に、下で身体が先に息絶えてしもうて…せやから結局、ひじりや祇王と同じようなことになってしまっていて」
「あ、でも他の天女には人は見えないんじゃ?」
「せや。けど、あれは他の天女たちにも見えるようにした」
どうやって?と尋ねそうになったけれど、ここは神の国だ。
神の意思次第で、どうにでもなるのだろう。
「そういうことやな」
「でもこっちには連れてこなかったんですね」
「うん…」
ツキヨミは当時のことを思い出していた。
あのころは、ツキヨミもアマテラスもしばしよく地上に降りていた。
二人とも人のふりをして、色んなことをした。
『あの子は、ツッキーの側には、おかんほうがええと思うなぁ』
魂を抱えて飛んでいたツキヨミの腕の中で、ふくは急に消えてしまった。
ツキヨミは思わず狼狽し、国中を探し回った。
亡骸はそこに落ちていたが、肝心の魂が見当たらない。
三日三晩探し回っていると、怒った顔をしたアマテラスが地上までツキヨミを連れ戻しにきた。
『あんたが救おうとした娘は、三日前から私の屋敷におるわ』
呆然として、連れていかれたアマテラスの屋敷の一室で、ふくが呆然として座っていた。
『あんたが無茶したら、私まで体調おかしなんねん。ほんまやめてほしい』
ツキヨミはふくの前に立った。
ふくはツキヨミを見つけた途端、涙を流した。
『すまん、おふく』
「それで、おふくはアマテラスの屋敷で天女になることにした」
「なるほど」
いまいち経緯がわからなかったけれだ、なんとなく納得したふりをした。
アマテラスとツキヨミの話は、2500年の歴史の中で様々な経緯があるから、一言で語りきれないのだろう。
全部説明するにはきっと何百年もかかりそうだ。
「ところで、弥生。お前の帯に挟まってるものはなんや?」
ツキヨミが不意に尋ねた。
「ああ、これ…」
昼間に、アマテラスにもらったお守り袋だった。
取り出して見せると、ツキヨミはじっとそれを見た。
「てんにもろたんか。そうかそうか…」
「『高天原から物品の持ち出しは現金やけど、これだけは許可する』って頂きました。ツキヨミ様からも何か欲しいけれど、そんなの私から言えないしなーって…」
「ほら」
ツキヨミは袂から何かを取り出して、弥生に渡した。
見ると白色のお守り袋だった。
「わあ…お揃いのお守り袋…」
そっと鼻に寄せると、ツキヨミの香りがする。
この世のものとは思えない、良い香りだ。
「どうして、てん様は藍色で、ツキヨミ様は白色なんですか?」
「てんは空の色で、私は月の色や」
簡単な説明だったが、納得だった。
でもその色の選択が、この二人らしいなと思った。
明るい昼の世界を治めるアマテラスは、夜空のような濃い藍色のお守りを。
暗い夜の世界を治めるツキヨミは何にも染まらない白のお守りを。
「ありがとうございます…大切にします」
地上に戻っても、忘れたくない。
この二つのお守りはきっと死ぬまで大切にしようと誓った。
なんだかまた悲しくなって、涙が溢れ出てきた。
「どうした、泣くほど嬉しいんか」
少し冗談っぽくツキヨミが尋ねたが、目が合うと、アマテラスと同じように困った顔をした。
「下に戻ると、記憶が消えてしまうから…」
嗚咽の合間にそう言うと、ツキヨミは弥生をそっと引き寄せて、頭を撫でてくれた。
「せやな。記憶は持って帰られへんからな」
その手つきが、我が子を慰めるように慈しみに溢れていて、弥生はまた涙がとめどなく溢れ出てきてしまった。
「でも、私らはずっと弥生のそばにおる。こちらの姿は見えなくても、私らはずっと見守ってるからな」
何を言われても返事ができなかった。
私が会えないんだったら、意味がない。
ツキヨミはそのまま、弥生の涙がおさまるまでずっと、まるで幼な子をあやすように頭を撫でていてくれた。
「ありがとうございます」
「もう、いいんか?」
いつまでもこの心地いい温もりに身を委ねていたかったけれど、そう言うわけにもいかないのだろう。
「はい…」
近くで見るツキヨミの顔が本当に綺麗で、月明かりも浴びていないのに輝いて見えた。
けれど急に近さに恥ずかしくなって、弥生は身体を起こして離れた。
「ツキヨミ様」
ふと外からツキヨミに誰かが声をかけた。
「ん?」
「イザナギ様がお越しです」
「父上か」
怪訝な顔をして弥生を見た。
それからツキヨミは立ち上がって、弥生も立たせ、一つ手前の部屋に戻った。
そこにはもうすでに男性が上座に腰掛けていた。
「父上」
「よっす」
後ろからツキヨミが声をかけると、振り返って右手を軽く上げた。
「久しぶりやなぁ」
「父上こそ」
ツキヨミはイザナギの前に座ると、隣に弥生も来させた。
「この子が、こないだてんちゃんが連れてきたって子か」
「さよう。弥生、私とてんの父のイザナギノミコトや」
「はじめまして、弥生です」
「うむ」
挨拶すると、満足げに笑って頷いた。
顔はアマテラスとツキヨミとそっくりなおじさまだった。
ただツキヨミにはない、髭がものすごい生えている。
「今宵は何故こちらへ?」
「うん、ずっと淡路島におってんけどな。珍しゅう、てんが時間を遅めたから、わしもたまには我が子の顔でも見にこようかとな」
時間を遅めるのは珍しいことだったか。
それは人の子を高天原に連れて来るのが珍しいのか、連れてきても時間を遅めるのが珍しいのかどっちなんだろ。
「まあ、どっちもやな。最近は滅多に連れてきてなかったって言うのもやけど、てんはズボラやから、時間をそのままにしてることも多かったからな」
「さもないも『神隠し』と騒ぐからな」
「でもなぁ、こちらは時間を触られるとたまに厄介やねんけどな」
「たしかに」
天女がお酒と軽食を運んできた。
今回も三人分。
しかしどこに弥生が座っているのかはわからないらしく、ツキヨミが小さく指示しているのが見えた。
「高天原にはもう行かれたんですか?」
「いや、まだや」
イザナギは杯に口をつけた。
「さっき気が向いたからな。夜はてんは寝とるやろ」
「そうですね」
「それに、たまにはこの夜の食国の様子も見たくてな。この国に誰か来るのはいつぶりや?」
「前回は…てんが150年ほど前に来た以来か…」
江戸城の無血開城が実現した時、疲労困憊のアマテラスが
「ちょっと、高天原におったら仕事してまうから…」
と寝に来たことがあった。
「そんな前か。しかし、こちらはちゃんと整備されてるようで、安心した。見事な田んぼや」
「ここんところずっと暇やったから…」
暇を持て余したツキヨミは屋敷周りを全部耕し、川から水を引いてきて水路を通し、全部に稲を植えてみた。
彼の計画ではこの夜の食国の余っている土地は全部、田畑や牧場にする予定だ。
「それは…なかなか暇を持て余したな」
「農業というのは、なかなか面白いもんですよ」
ツキヨミが農業に興味を持っているのは、この世界が『食国』という由来でもある。
彼は食物の神様でもある。
「でも安心した。お前はあまり自分のことに関して無頓着やし、他者にも興味がないから、正直ここが荒れ果ててたらどないしようかと思ってたんやけどな」
「そうか、そう言えば、父上が最後にここに来たのも随分前でしたな」
「うん、軽く千年は来とらんかったわ」
「だったらここもずいぶん変わりましたな。驚くのも無理はない。ここ千年、随分凝ってやっとったから…」
弥生は静かに話を聞いていた。二人の話す時の単位が、人の会話の中では聞けない数字なのが面白かった。
「しかし、ここは人が来ないから静かやな」
開け放たれた窓から、外の虫の声が聞こえてくる。
窓に目を向けながらイザナギがそう言ったが、弥生には夜は高天原の方が静かなように感じられた。
夜の高天原は完全に静寂だ。
「それは、ここが夜の国やからな」
イザナギが、弥生に言った。
「夜の食国は、夜を支配し治める国。夜になると国が起き始める」
「あ、じゃあここは昼はないんですか?」
「いや、」
と、ツキヨミ。
「昼は来る。そうじゃないと、私の稲は育たないからな」
「では昼間は、ツキヨミ様は何をしてるんですか?」
「私は昼間は寝るか、好きに時間を過ごしている。大抵何かをするとなれば夜やけど、私はてんのように仕事も多くないから、そんなにすることもないんやけどな」
「ほう…」
なんとなく腑に落ちない。
「私がアマテラスとツキヨミを生み出した時、二人を表裏一体に作った。だから、てんは昼を、つっきーは夜を。てんが忙しければ、つっきーは暇に。高天原にはたくさん人が来られるが、夜の食国には人は来られん」
「ここに来るには、弥生が今日来たように私と共に入る以外に方法がないからな」
ツキヨミが捕捉をした。
「ツキヨミ以外で勝手にここに入れるのは、生み出したわしか、てんだけや」
「そうなんだ…」
「うむ」
イザナギは、アマテラス、ツキヨミ、そしてスサノオを生み出した時を思い出していた。
「アマテラスが陽ならば、ツキヨミは隠。光あるところに影があり、影が濃ければ光は強い。日の光がなければ稲は育たず、しかし夜がなければ枯れてしまう。昼に働き夜に眠る獣もいれば、昼は眠り夜に働く獣もいる。昼と夜はなくてはならないもの」
けれど、とイザナギは続けた。
「世の中とは、簡単に割り切れるものではない。誰もが平等に何もかもが理路整然とした世界ならば、それはそれで美しかろが、面白くはない。だからスサノオがおる。三人が絶妙な均等を保ちながら影響し合っているおかげで、面白くなるもんや」
今の言葉を、弥生は頭の中で反復させた。
どうせ忘れてしまうけれど、少しでも頭に留めておきたかった。
「ツキヨミ様」
また外から声がかかった。
「ん?」
「アマテラス様がお越しです」
三人は顔を見合わせた。
「迎えに来たのかな」
「かもな」
後ろの襖が開くと、アマテラスが颯爽と入ってきて、驚いた顔をした。
「え、父上やん」
「よっす〜」
「相変わらず、軽いな〜!」
アマテラスはイザナギとツキヨミの間に来て、どすんと座った。
「父上に会うのは久しぶりやな、最後に会ったのはいつやったか…」
「わしも覚えとらんわ」
二人ともがっはっはっとよく似た顔で笑っている。
「弥生を迎えに来たんか?」
ツキヨミが尋ねた。天女がアマテラスの分のお酒も運んできた。
「そうそう、私の勘がここにおるって言うもんやから、せっくやし迎えに行こうかなって」
アマテラスは弥生に片目をつぶって見せた。
「それにしても、つっきーのお庭見てたら楽しくなっちゃってさ、作りかけの棚田見つけた時とか笑っちゃったわ」
「そうそう、最近な。良い塩梅の丘があったから」
「お前…すごいな、凄い凝りようやな…!」
イザナギが笑い出すと、アマテラスもつられて笑ってしまっていた。
「えー、私もそれ見てみたかったな」
ボソッと弥生がつぶやいた。
来るまでに上から見た景色もとても素敵だったけれど、全部は見れていないし、作りかけの棚田なんて見かけもしなかった。
「ほな明日、日が登ったら見せたろか?」
ツキヨミが提案した。
「え、でもてん様が迎えにきてくれてるし、私今日のうちに高天原に戻らなくてもいいんですか?」
驚いて尋ねると、お酒を含みながら、アマテラスが頷いた。
「いいよ、別に、急いで戻らなくても。私はいるか確認するついでに、遊びにきたようなもんやし」
「今夜はここで、ゆっくりすればいいよ」
少し不安気な弥生に、ツキヨミがそう言った。
「わしもそうさせてもらおかな」
「私も良い?」
イザナギとアマテラスが便乗してきた。
そのまま四人は時間を忘れて談笑した。
気付けば最初に寝てしまった弥生を、
「こないだツキヨミに運ばせたから、今日は私が」
とアマテラスが用意させた寝所まで運ぼうと抱き上げた。
「なあ、これってさ」
さっきからずっと弥生がふたつのお守り袋を大切そうに手に持っていたのに、アマテラスは気づいていた。
「白い方は、ツキヨミの?」
「私も真似してみた」
ツキヨミがいたずらっ子のような顔をして言った。
アイデアを真似されたのは不服だったけれど、弥生はツキヨミのも欲しがっていたから、許すことにする。
「まあ、いいわ。喜んどったやろ」
「うん、すごく」
アマテラスは弥生の頭をポンポンと撫でると、寝所まで運んだ。
翌朝、目が覚めた弥生は、窓の外を見て本当に太陽が登っているので、少し驚いた。
そしてよく似ていると思っていたけれど、高天原と夜の食国は全く違う景色だった。
ツキヨミが呼びにきてくれて、寝起きのイザナギとアマテラスと四人で朝ごはんを食べた。
アマテラスとイザナギは、先に高天原に帰ると彼らも絵に描いたような雲に乗って飛んでいってしまい、残った弥生は昼の「夜の食国」を雲に乗ってツキヨミに案内してもらうことになった。
パッチワークのような田園風景が大きく広がっていた。
広い平地の奥に行けば、少し小高くなっているところがあって、そこはヤギや牛などが放牧されているエリアもあった。
「あそこ、見てみ」
と指差す先には、昨日アマテラスが言っていた作りかけの「棚田」が見えた。どれもこれも緻密で美しかった。
「下に降りた時、色々見て回った。気に入ったものは、ここでも再現してみようと思って順番に作ってみてな。最近は下では農業をする人が少なくなってきてて、だんだん手入れされない田畑も増えてきたから、余計にな。ここで残せたらええなって」
以前弥生が、写真に撮って残したい景色がある話をしていた時、ツキヨミも実は理解していた。
田畑は人が作ったものだけれども、そこには知恵と工夫が詰め込まれている。
面白いし、美しいと思う。
けれど、自然の中に作られたものは脆い。
手入れをされなければ、すぐに風化してしまうし、そのまま放置されればやがて朽ちてしまう。
永遠の姿を留めて置けないその儚さに、悲しみを感じたこともあった。
だから、ツキヨミは地上で見た景色を、ここに残したかったのだった。
ほとんど上から見て回ると、弥生は満足したらしく、「戻るか?」と聞くと素直に頷いていた。
アマテラスとツキヨミにもらったお守り袋をしっかりと握りしめて、弥生は高天原に戻って行った。