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高天原の思い出  作者: 天野かえで
弥生編
7/28

おつかい


 また弥生は目が覚めて、同じ天井が目に入ってきた。高天原での四日目の朝だ。

いつもと同じようにふくが入ってきた。


「おはようございます、ふくさん」

「おはよう」


 ふくが窓を開けると、外から涼しい風が入ってきた。


「昨日はあんたのおかげで珍しいツキヨミ様が見れたわ」


 ふくが満足そうに笑っていたから、弥生は嬉しかった。

ツキヨミを踊らせたのがよかったのだろう。


「あんなにはしゃいでるツキヨミ様ははじめてよ」


 それをみていた天女が、裏ではしゃぎまくっていたらしい。

弥生はいい仕事をした気分になった。


 そのあといつものように朝ごはんを食べていると、この日はツキヨミが顔を出した。


「弥生」

「…おはようございます」


 もぐもぐしていたので、咄嗟に返事ができなかった。


「ゆっくりお食べ」


 弥生はお茶でお米を流し込んだ。ツキヨミは弥生の横にしゃがんだ。


「今日はすること決まってるんか?」

「いや、今日も全く」

「ほんならな、てんに言われてちょっと行くとこがあるんやけど、一緒に来るか?」

「あ、はい。ぜひとも」

「よし。ほなここで食べ終わるの待つわ」


 そう言うとツキヨミは壁にもたれ掛かって目を瞑った。

不意に入ってきたふくがそれをみて卒倒しそうになっていた。


「ん、おふくか」


 ふくに気がついたツキヨミが声をかけた。


「つつつつつつつツキヨミ様。おはようございます」

「おはよう。どないしたんや」


 あまりに吃ったから、ツキヨミは思わず笑った。


「…ツキヨミ様こそ、こちらで何を?」

「今日はひじりに会う用事があってな。せっかくやから弥生を連れて行こかと」

「左様でございますか」


 ようやく冷静を取り戻したふくが、澄ました顔で膝をついた。

弥生にお茶を注ぎにきていたらしい。


「ツキヨミ様もお茶はいかがですか?」

「いや、いい」

「左様でございますか…」


 断られて少ししょげていた。

ツキヨミはそんなことには気づかなかった。

ふくはそのまましょんぼりしながら出て行った。


「昨日は楽しかったですね」


 おにぎりをもぐもぐしながら、弥生がなんとなくつぶやいた。

するとツキヨミは苦笑いをした。


「久しぶりに踊ったわ」

「普段は踊らないんですか?」

「踊らんな、私の屋敷の者がみたら卒倒しとるわ」

「ははは、屋敷でどんなキャラでやっていってるんですか」


 同時に、そうか、ツキヨミにも屋敷があるのか。と思った。


「うん、でも私の屋敷は高天原にはなくて、夜と食国というところにある」

「夜の食国…」

「そう、私ら兄弟は、三人とも別の世界を治めとるからな」

「なるほど…行ってみたいな」


 どんなところにあるんだろう。

心の声が読まれるのも、一旦頭で考えなくなるのにも、慣れてきた。

ここでは隠し事はできない。


「んー、また後日、時間があれば少し行ってみるか。夜にならんとお前を連れていけんのやけども…」

「夜の食国だから…?」

「さよう」


 弥生は最後の味噌汁を飲み干した。

今朝から満足な朝ごはんだった。

毎日同じものを食べているのに、全く飽きない。


「ごちそうさまでした」


 お箸を置いて、手を合わせた。


「おし、行くか」

「はい」


 部屋を出ようとすると、ふくがまた入ってきた。


「ごちそうさまでした」

「お粗末様でした」


 ふくは今日はなぜか物凄い気合が入った笑顔をした。ツキヨミがいるからだろう。


「またな、おふく」

「ええ、またおこしを」


 ツキヨミは涼しい顔で部屋を出た。

弥生には二人が何を考えているのかわからなかったけれど、なんか良いなと思った。


 ツキヨミも迷うことなく一瞬で屋敷の外に出た。

こうやって外を歩くのは、来た日以来だ。


「今日はひじりさんになんの用があるんですか?」


 ツキヨミについて行きながら、弥生が尋ねた。


「うん、ひじりには、ここで長いし頭も良いからてんが仕事を与えてるんやけどな…今日はなんか物を取りに行って欲しいっててんに言われとって」

「物を取りにいく…」


 なんだかぼんやりした用件だなと思ったけれど、

目の前に大きな建物が見えてきたのですっかり飛んだ。


「これがひじりの夢殿や」


 聖徳太子の夢殿は、八角形の丸い大きな建物だった。


「ここに長く留まる人は、建物を貰えるんですか?祇王さんに会いに行った時も、素敵な庵に住んでましたけど…」

「祇王…祇王も長くおるなぁ」


 ツキヨミは少しだけ考えた。


「高天原のことはてんが全て取り仕切ってるから、私はあんまり知らんな。そう言われればこちらに長いのは皆、それぞれ住むところを与えられてる」

「ツキヨミ様も知らないことがあるんですね」

「うん、ひじりが何をしてるのかも知らんし。夜の食国には人はおらんし…帰ったらてんに聞いてみなさい」

「そうしてみます」


 ツキヨミは頷くと、夢殿の戸を叩いた。

扉が開くと、中から聖徳太子か出てきた。

なんだかげっそりしている。


「ツキヨミ。いらっしゃい」


 弥生にも目が止まった。


「おや君は、確か…」

「先日は送ってくださってありがとうございました」


 お礼を言うと、少しだけ頷いた。


「中へ、てんから言伝はもらってある」


 中にある机の上に、いくつかの巻物と巾着袋があった。

ひじりはそれらをツキヨミに説明しながら、ひとまとめにした。


「いつもなら自分で持っていくんだが…すまないな、ありがとう」

「いや、こちらも用事でな」


 ツキヨミは振り返って、夢殿の壁画を見ていた弥生を見た。


「弥生」

「はい」


 名前を呼ばれた弥生は、ひょこひょこと近づいてきた。


「私はいまから数刻ばかり用事がある。今日は少しひじりに面倒を見てもらいなさい」

「なっ…」


 ひじりは少し驚いて、ツキヨミを見た。


「まあ、そう驚きな」


 口がぱくぱく動いているが、声になっていない。


「てんがな、1日お前に預けてみろって言っとってな」


 ひじりはさっきからずっと声が出ていないのに、ツキヨミに読まれて普通に会話になっているのが少しおかしかった。


「私は知らん、とにかく数刻で迎えにくるから、しばらく頼んだぞ」


 少し不安そうな顔をしたが、ひじりは肩の力を抜いた。


「そういうことなら、しかたあるまい。てんもなにか考えがあってのことだろうから」

「うん。頼むな」

「ああ…」


 ツキヨミは軽く弥生の頭を掴んで、「また後でな」と夢殿を後にしてしまった。


「あのー…」


 ひじりが途方に暮れた顔で弥生を見ているので、弥生は一つ聞きたいことがあった。


「ひじりさんは、ここで何をしてるんですか?」

「うん、そうだな、まずそれを説明しないといけないんだな」


 ひじりは弥生を手招きすると、戸棚に置かれている鏡を見せた。


「私はここで、人の子の『夢』の記録をしている」

「なんのために?」

「さあ…」


 ひじりは肩をすくめた。


「てんに、してくれと頼まれたらするしかないだろ」


 その時のことは、ひじりはいつでも思い出すことができる。


「その日は、私が死んでどのくらい経ったかわからんが、結構経った頃だった」


 ひじりは弥生に物語り始めた。



 聖徳太子がなくなったのは西暦621年と言われている。

今からおよそ1400年前の事だ。


死ぬまで働き詰めだった彼は、死んで高天原に来た時、アマテラスが言うには


『今まで見た中で一番疲れた人の子だった』


そう。


クタクタに疲れ切った彼は、高天原のアマテラスの屋敷から大きな大和国を見下ろして、『こんな国だったのか』と初めてその全貌を知った。


自分が治めていた国が、その大きな島の中の本の一部分に過ぎなかったことが、大きな衝撃で絶望だった。


 私は死んでなお絶望を追わなければならなかったのか。

と彼は思った。


身体も精神も擦り切れるまで使い切ったのに、ちっぽけな業績に満足して死んでいった。


そんな自分が情けなかった。


そして高天原でアマテラスに会った時、ここにいたいと思った。

彼は生前、宗教を広め重んじることにも精力を注いでいたから、自分が崇める神が実在することが嬉しかったのだ。


 それから何百年も、アマテラスの屋敷の窓から、大和国を見下ろしていた。

政権はなんども変わり、国土は広まり、政の仕組みもどんどん複雑になる様を見届けた。


そして自然がもたらす禍に、神はなす術もないことを知った。

彼らはただ人が自然とともに幸せに暮らせるように高天原で知恵を絞って想い、少しずつ手助けをしていた。


 何百年経ったかわからないが、ちょうど世が乱れて人が多く死んだ時期で、アマテラスも忙しそうにしていた時だ。

いつものように窓から下を眺めていると、珍しくアマテラスが太子に声をかけた。


『なあなあ、いま暇?』


 太子は一瞬考えた。


『暇ではないとは言えんな』

『よな。ね、気が向いたらでいいんだけど、私の仕事、ちょっとだけ手伝ってくれへん?』

『てんの仕事?』

『うん』


 そのまま仕事内容を説明され、


『この鏡に無作為に人の子の夢が映し出されるから、それを毎晩記録してほしいねん』


 それを何に使うのかは教えてはくれなかった。


『夢というのはなかなか面白くてな。時々国の行く末までも大きく左右することがある。夢見の強いお前なら、理解できるやろ』


 太子は、夢で政を決断することがたまにあったから、そのことを言っているのだろう。


そうか、そのことも彼女は知っているのか。


 面白そうだと思った。


 そのままあれやこれやと、法隆寺の夢殿を模した屋敷をあてがわれ、


『あんまり大きいのはあげられへんからな、これやったら気にいるやろ』


 そこで仕事をすることとなった。



 それから何百年。


太子の几帳面な字で描かれた夢の記録は、何千冊もアマテラスの屋敷に保管されている。


『ひじりが記録すると、私より丁寧やからええわ』


 記録を持っていくたびに、アマテラスはそう言って褒めてくれた。

きっとこれはそんな大した仕事ではないんだろうが、なんとなく毎日することがあると、気が休まる。



 太子はもう1600年もここにいるから、生前の記憶はどんどん薄まってきていた。

自分が聖徳太子として働き、厩戸王子と呼ばれていたのは覚えているが、自分の真の名や、死ぬ時の記憶はもはや思い出せなくなっていた。

けれど居心地の良い高天原から出るのはもったいない気がして、ずっと惰性で留まっている。


太子は何か、きっかけを求めていた。


「ひじりさんが生きてた頃って、どんなだったんですか?」

「どんな…」


 ひじりは生きていた頃の風景を思い出すのは、難しくなってしまっていた。


「すまない、あまりにも遠い記憶ゆえ、もうあまり覚えていないんだ」

「そうなんですね…」


 弥生は、もしかしてと思った。アマテラスは私にそれを期待してるのではないか。


「あの、ひじりさん」

「ん?」

「ひじりさんって、少し前まで一万円という紙幣に肖像画が使われていたんですよ」

「ああ…一度てんに見せられたことがある。あの忌々しい醜い絵が…」


 ひじりがあまりにも不愉快気に顔を歪めたのがおかしかった。


「そんなに…?!まあ、それはともかく、それほど有名な人なんですよね」


 ひじりは弥生の心の声は聞こえないので、弥生の顔をじっと見つめた。


「んー、考えがまとまらない…」

「ゆっくり話せ。私は急がないから」


 弥生は頭の中を整理しようとした。高天原で過ごした四日間で感じたことと、思ったことを彼に少しだけ伝えたい。


「私、ここに来るまではそもそも『神道』があることも、天照大御神という女神のことも知らなかったんです」

「嘘だろ…」


 ひじりは少し悲しかった。

太子の頃に宗教を根付かせるためにも翻弄していた苦労を思い返した。


「そうなんです、ごめんなさい。でも、だから、てん様は私をここに呼び寄せたのかなと思うし、今神様たちが感じている危機感というものが私のような人が増えすぎていることに、あると思うんです…」


 ひじりは二人とも立って話していることに気がついて、弥生に椅子をすすめた。

茶器を取り出すと、火桶にかけてあったお湯をとってお茶を入れた。

良い香りがたった。


「私はここに来て、この高天原も神様たちも、もうすでに本当に大好きになっちゃったから、下に降りたらきっと、神様たちのことをたくさん考えて思い返すから、現状の日本人の宗教観をもどかしく感じる気がするの」


 弥生はお茶を一口飲んだ。

飲みやすい暖かさに良い香りが鼻を通った。


「でも、私に宗教を宣伝する力ってないと思うんです。私ただの中学生だし。もっと頭の良い凄い人が上手に宣伝できたら、もっとみんな身近に神様を考えられるかもしれないし、そうしたらてん様やツキヨミ様が悩んでることが少しでも解消されるのかなって…」


 ひじりはこの小さな女の子の言いたいことを、考えた。

1600年の中で一度も下に降りたいと思ったことはないけれど、すこし考えるべきなのかもしれない。


「そうだね」


 お茶を一口含むと、最近気に入ってる菓子を食べた。

弥生にも渡してみると、恐る恐る食べていた。

ただでさえ静かな夢殿で、二人が何も話さないと余計静かに感じる。


「さっき…」

「はい?」


 さっき弥生が壁画を見ていたのを思い出した。


「壁を見ていたね。説明してあげよう」


 立ち上がると、弥生もつられて立ち上がった。なんとなく手を差し出すと、恐る恐る弥生が手を預けてきた。


「まずここから見始めるんだけどね…」


 高天原のひじりの夢殿は、ひじりが生前建てたものとほとんど同じようにアマテラスが建ててくれた。現代に残されている再建の夢殿は少し異なるため、全く同じものを見ることはできないけれど、ここだけは自分が生きていた頃と同じものに触れ合うことができる。


 説明をするのは難しかったが、弥生も理解しようとよく考えたし、ひじりもわかりやすく説明するために順序立てて簡単な言葉で説明をした。


「はあ…難しいけど、今でも同じようなことを考えたりするから、そんなに昔のことなのに人が考えていることってあんまり変わらないんですね…」

「そうだね」


 二人は手を繋いだままぐるっと御殿内を一周した。


「少し、外も散歩しようか。高天原はもう充分に散策はしたか?」

「いや、まだ全然です。迷子になるのが怖くて出られなくて」

「じゃあ、外に出てみよう」


 夢殿は暗かったから、外に出ると眩しかった。

相変わらず美しい景色が広がっている。

どこを見ても美しく、何もかもが完璧な世界だ。

時々人影や動物の気配がある。

動物たちには二人は見えないから、近くで見ても全く気付かない。


「そいうえば、ひじりさんは毎日どんなふうに生活してるんですか?」


 弥生はふと尋ねてみた。


「朝は起きて、夜は寝て、お腹が空いたらご飯食べるんですか?」

「いや、私は肉体を持たないから、疲労も空腹も感じないんだよ」


 彼が死者だったことを思い出した。


「まあ、寝たくなったら寝るし、風呂に入りたかったら入るがな。寝る気がなかったら何日も時たままでいられるし、それで疲れたりもしない。他には味覚や嗅覚はあるから、食べたり嗅いだりもするし…」


 また弥生は疑問が浮かんできた。


「でも、てん様は体調が悪くなりますよね。私も眠くなるし、お腹も空くし…私もここでは身体があるわけではないですよね…?」


「アマテラスやツキヨミ、スサノオは少し違う。彼らは存在自体が国だから、疲労もするし体調も悪くなる。雨の日はアマテラスの体調の悪い日だし、回復すれば雨は上がる」


「私は?」

「弥生は…」


 ひじりは少し考えた。

過去にアマテラスが生きている人の子を連れてきたのを見たことがあったが、話す機会はあまりなかった。

だからあまりよくわかっていない。


「さあ、身体が下で生きているからかも…?」

「ええ、なんだか怖いなぁ…。私の身体は今どこでどうなってるんだろう」

「伊勢の社で倒れたんなら、大丈夫だろう。てんが責任持ってどうにかしてるはずだ」

「え、なんで伊勢で倒れたって知ってるんですか?」

「てんが話してたぞ、賽銭箱に突っ込んだって…」

「わー!恥ずかしい、やめてください!」


 未だに賽銭箱に頭を突っ込んでぶっ倒れたことを想像するだけで死ぬほど恥ずかしかった。

ひじりはそれが面白かったらしく、笑っている。


「私がここに来てからもそんな人の話は初めてだ」

「嫌だわぁ、私、そんな記録作っちゃって…」


 逆にそのせいで帰りにくい。起きたら周りの人たちは絶対半笑いで、心配してるのかウケてるのかわからないような状況だったら最悪だ。


「じゃあ、今弥生の体がどうなってるのか、探してみよう」


 ひじりは蓮池の前に立った。


「ここって…」

「サルタヒコが弥生を連れて来たところだ。ここから下を覗いてごらん」


 蓮の隙間を覗き込むと、弥生のすぐ後ろに立つひじりが、そっと水面に手を触れた。

水面が動くと下に日本が見えた。


「どこを見たいか考えてごらん。君は伊勢の社にいたんだろう。伊勢の社の、賽銭箱の前…」


 蓮池の水面がカメラのように動いた。

伊勢神宮の賽銭箱には、頭から突っ込んでいる人はどこにもいなかった。


「もうどこかへ運ばれてるな。こっちへ来てから何日が経った?」

「今日は4回目の朝でした」

「そうか…じゃあもう社務所あたりで寝かされているかもしれないな」


 ひじりがそういうと、水面は社務所をうつしだした。


「ほら、お前の母親か?」

「あ、本当だ」


 社務所と書かれた建物の前に、お母さんが立っているのが見えた。

そのまま中へ動かすと、簡易ベットに弥生が横たわっているのがうつしだされた。

顔にあざがができていた。


「うわ、ダメージ受けてる!」

「さすがに怪我するわな」


 かわいそうに…とひじりが同情してくれたが、恥ずかしくてたまらなかった。


「もう…良いです。身体が無事なら…」

「そうか?あ、ちょっとこれ見て」


 またひじりが視点を動かすと、うつったのはアマテラスそっくりの女の人だった。


「え、てん様?」


 ひじりを見あげると、笑いながら水面を見つめている。


「これは誰ですか?」

「わからない。私の理解の範疇を超えている…あ、ほら」


 アマテラスのような女の人が、こちらに気付いて手を振って来た。


「え、手振ってる」

「とりあえず振り返しときなさい」

「ええ…?」


 振り返すと、嬉しそうに頷いて目を逸らした。

彼女は弥生のそばで身体を見張ってくれていた。


ひじりは水面に少し触れると、水面はたちまち何も写さなくなった。

ひじりは濡れた手を腰の手ぬぐいで拭った。


「とりあえず、身体は無事だな」

「それは良かったですけど、誰だったんだろう、あの人は…」

「それはお前が下に戻った時わかるな」

「ええ…気になる…」


 帰る日は、きっとそう遠くない。

望めば今日にでも帰られるはず。

でもまだ帰りたくない気持ちがある。

まだ私はここで何かできるように気がするのだ。


「さて、何がしたい。アマテラスの屋敷に帰りたければ送るし…」

「ひじりさんは、何か用事ありますか?」

「いや、なにも」

「じゃあ、もう少し高天原のおすすめの場所を教えてください!」

「わかった」


 ひじりは弥生に優しく頷いてくれた。

初めて会った時は、すぐにどっかに行ってしまったけれど、慣れれば優しい人なんだなと思った。


弥生は高天原の、アマテラスが与えた他の建物や、高天原の池や川、橋、色んなものを見せてくれた。


 全部見るには、時間が足りなかった。

高天原は広い。

ここには距離の概念もないのだ。

だんだん弥生はお腹が空いてきたし、日も傾き始めた。


「お、こんなところに」


 上から声がすると思うと、ツキヨミが飛んできた。


「夢殿にいなかったから、探した」


 地面に降り立ったツキヨミは、黄昏時の夕陽を浴びてなんだか相変わらず美しかった。


「二人で何したん?」

「あ、蓮池から、私の体が今どうなってるのか確認しました」

「お、どうだった?」


 ちょっと嬉しそうにツキヨミが笑った。


「まだ賽銭箱に突っ込んでたか?」

「それが、てん様にそっくりの女の人が私の体を見張ってくれてて!ツクヨミ様はあれ一体誰なのか知ってますか?」

「てんそっくりの女の人…?」


 意外にも顎に手を当てて白々しく考えるツキヨミに、ひじりも笑ってしまっていた。


「それって、私にもそっくりってことか?」

「まあ、そうですけど、それは別に良くて…」


 また白々しく肩をすくめると、


「帰るか」


と言った。


「え、どういう反応…?」

「ひじり、お前もてんの屋敷にくるやろ。久しぶりにみんなで夕飯にしよう」

「ああ…」

「流された…!」

「ほらほら、夜が来たら人の子は鬼に食われるからな」

「いや、ここに鬼とかいないでしょ」

「…わからんで?」


 くっくっくっと二人とも笑っている。

ここにいる神様は冗談をよく言う。


「もう…揶揄うのはやめてください!」

「すまんすまん、ほれ、帰るぞ〜」

「はーい」


 三人は並んでとぼとぼ、アマテラスの屋敷に向かった。

後ろから夕陽が射しているから、前に三人の影が並んでいる。

ここは神様も仏様も人間も、平等に影を落とす。


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