チワン姐さん
「いい加減機嫌直せよポチ」
「ほら、美味いモンいっぱい食って忘れようぜ!やけ食い万歳ってな!…てかお前見かけによらずよく食うな、成長期か?」
大衆食堂の一室、ブールと離れ離れになったポチは機嫌を害していた。
「まあ、ブールさんも忙しい人だからな…代わりにアタイが連れてってやるよ、公園!」
ポチは肉団子を口に頬張りつつ、首を横に振りそれを拒否した。
「その肉は誰の金で食ってると思ってんだ!ブールさんは精鋭親衛隊の務めがあるんだから仕方ねえだろ、あまりウダウダ言ってんとアタイの自慢の牙で噛むぞ!」
そう言いチワンが腕を掴んだ時、ポチは一つ訊ねた。
「精鋭親衛隊ってなんですか?」
それを聞くとチワンは力いっぱい鼻で息を吸い、言葉を返す。
「国王国家必須護衛少数精鋭親衛隊…、略して国王必須精鋭親衛隊」
「はぁー、口が痛い!これでも馬鹿みたいに長ったらしいから、ほとんどの人が精鋭親衛隊って呼んでる」
「要するに王の直近で、ツクドで一番偉い兵隊さんって事」
焼きそばを啜りながら、ポチはチワンの話に耳を傾ける。
「アタイも歴とした国家警備隊に所属してる軍人なんだけどさ、奴らとは次元が違う」
「奴ら豪族も凌ぐエリート中のエリート!でも今にみてろってカンジ、絶対アタイが王になってコキ使ってやるからな!」
チワンはひどく興奮しながら話を続ける。
「ポチも気をつけろよ、精鋭親衛隊の奴らプライド高いからアタイもマジで殴られた事あるし、無論アタイも殴り返してやったけどな、ハッ!」
「だから、からかう相手はブールさんだけに留めておく事、あの人ぶっきら棒だけど優しい人だよ!なんだかんだ言ってもアタイが一番尊敬してる軍人だしさ!」
ポチはよく知っている、ブールさんが優しい人だと云う事を。
「誰にも言うなよ!アタイがブールさんを尊敬してるとか!」
そう言われなくとも、ポチは誰にも言うつもりはない。
「デザートはコレ!これが食べたいです!」
こんなにも美味しい料理を食べさせて貰っているのだから。
ポチとチワンは食事を済ませ、店屋を後にする。ポチの顔は満足気だ。
「アタイの財布がぺったんこ…はぁ」
チワンは溜息を溢し、ポチの顔を見ながら「仕方ねえか…」そう呟いた。
宝石をちりばめたような星空は、ポチを魅了する。
「どうだ綺麗だろ、この夜空に輝く星様たちはツクドの掛け替えのない財産であり、ツクド人の誇りだよ」
「…ほらアレ!ポチあれ見てみろ!一際でっけえあの星!…アタイもあんなふうにツクドを光輝かせたいな」
暫く二人は無言で空を見上げていた。
ポチは、ひろと君にもこの星空を見せてあげたいと云う気持ちと、ブールさんと一緒に夜空を眺めたかった気持ち、その両方をこの満天の星に願った。
「そろそろ行こうか、ツクドからはいつでも見れる、長居は無用だ」
そう言いチワンは歩き出した。
「行くって何処にですか?」
ポチはチワンの後を追いながら訊ねる。
「そんなもん決まってんだろ、アタイの家だよ」
ポチはドキッとした。
「まさか野宿でもするつもりだった?アタイは勘弁、そこら中にウジャウジャ虫がいやがるしさ!」
そう言うとチワンは小走りになり、帰路を急いだ。
「チワンさん、一つ伺いたい事があるんですけどいいですか?」
「んー?良いよ言ってみ」
ポチはチワンの隣に追いつくと、小声で訊ねる。
「チワンさんって発情期ですか?」
ポチは思いっ切り殴られた。
犬のオスは、発情期のメスの匂いに誘われて発情する。
そのためチワンの家に行く前に、モシモの事が起こらないよう訊いておきたかったのだ。
「一六のガキがなんて言葉知ってやがる!これだから近頃の若い奴らは…」
そう言いチワンは呆れているが、ポチの実年齢は二三歳なので二一歳のチワンよりも実は歳上なのである。
ポチ自身、自分は二歳である事は知っていても、柴犬の二歳が人間に直すと二三歳である事は知らないので、ブールから与えられた年齢をポチが言えば、チワンがそれを信じるのは当然である。
チワンの説教は静寂な夜を少し騒つかせる。結局、家に着くまで一度もその口を閉ざす事はなかった。
「さてポチ、アタイの家に世話になる訳だが…」
家に入るなりチワンはポチに擦り寄る。
「アタイが言いたい事、分かるよな、ポチ?」
ポチは全力で首を横に振る。
それを見てチワンはニコっと笑い「はい!ポチはアタイの舎弟けって~い‼︎」そう言いポチの背中を強く叩いた。
呆然と立っているポチに、チワンは説明する。
「女の家に菓子折持たず入る男は泥棒か、舎弟しかいないって相場が決まってんだ!」
どこの相場だよ、そうポチは思ったが口には出さなかった。また殴られるのは嫌だからである。
「ポチは泥棒じゃねえだろ?じゃあ舎弟じゃねえか!」
チワンは小躍りをして嬉しさを表現する。
引きつった笑みを見せながらポチは了承も拒みもしなかった。
その心情は結局の処、ポチはチワンに世話になっている事を理解しているからである。
「あした他の奴らにも会わせてやるから楽しみにしとけ!」
舎弟は自分一人だけじゃないんだと分かり、ポチは胸を撫で下ろした。
…それにしても家の中は殺風景である。
身体を鍛える為の道具だろうか?それが散乱しており、壁に沿う形で小ぶりな本棚が設置されている。見た限りでは釣りに関する諸書が多いよう印象を受けた。
それ以外は中央に囲炉裏があるのみ。
とても閑散とした部屋だとポチは思った。
「火、つけてやっから上着脱げよ、あちぃーだろそれ」
「ブールさんのか?だいぶ大きいの着てんじゃん」
そう言いながら、チワンは慣れた手付きで囲炉裏に火をつける。
「いや、これは門番さんが持って来てくれて…」
ポチはしどろもどろに答えた。
「ふーん…で、なんで脱がないわけ?」
チワンは意地悪そうな表情を浮かべてポチに訊ねる。
「ちょっと今は脱ぐのが難しいです…」
「そうなんだ、まっ別にアタイはどうだっていいんだけどさ」
そう言い、感心などない様子でチワンは囲炉裏の側からポチの横に移動する。
助かった。ポチはそう思った。
しかし、そう思ったのも束の間。
「ドリャ隙あり!」
チワンはポチに飛びついて上着だと思っているソレを無理矢理はだけさせた。
ポチは赤面し、チワンは青くなった。
「あの、これには訳が…」
ポチは泣きそうな顔で事の顛末を語った。
気がついたら見知らぬ草原に居た事から、自分は犬なのに人間の身体になっていて、しかも人間扱いをされている今の現状。
そこにブールさんがやって来て、ツクド王国に連れて来てもらった事。それに終始全裸であった事など、包み隠さず全てを話した。
チワンは黙って、その話を聞いた。
ポチが最後まで話終わると、チワンは優しく頭を撫でてくれた。
「わるかった、まさか下に何も着ていないとは思わなかったんだ…ごめんな」
チワンの手が気持ちよく、ポチは静かに頷いた。
「それに大体の事はブールさんから聞いてたんだよ、ポチが記憶喪失だって事も」
ポチは青天の霹靂だった。
ボクが記憶喪失?そんな事ありえない。
ひろと君は?ボクの大好きな人、ひろと君はどうなるんだ⁉︎ひろと君の思い出も全て幻覚だったとでも言いたいのか⁈
「ありえない!違う、ボクは記憶喪失なんかじゃない!」
ポチは、頭を撫でていたチワンの手を払い除けた。
「デタラメ言わないでください!ボクはほんとに犬で、こことは違う別の世界から来たんです!記憶喪失でも、頭がおかしい訳でもないっ!」
「ポチ…」
チワンは初め躊躇しながら、徐々に、ゆっくりとポチを抱きしめた。
「ポチごめん、混乱させるようなこと言って…」
チワンは思い出した。ブールさんが、わざわざポチから少し離れた所へ移動して、自分にこの話をしたと云う事を。
あの行動は、ポチ本人が居る前でこのことを話せば、多少なりともポチが混乱するであろう可能性を視野に入れて、ポチを気遣い行動した事だったのだと。
その意味に気付き、なんて自分は軽率な言動をしてしまったのだろうかと、チワンはひどく後悔した。ポチに対する心遣いが至らなかったのである。
「…アタイ、男物の服けっこう持ってるからさ、好きなの選んでもいいよ」
ポチは黙って頷いた。
「風呂、入る?もう寝る?」
その問いにポチはボソリと「寝ます」そう返答した。
「アタイ姐さん失格だね…舎弟は延期だな」
ポチは舎弟になる気など毛頭なかったが、しかし、チワンのその言葉で寂しい気持ちになるのはどうしてだろう。
「あの、すみませんでした取り乱してしまって…ボク…」
チワンはポチの口元にそっと手を置き、その声を遮った。
「今日はもう寝ちまおうぜ、な?」
ポチは軽く頷いて、その提案に賛成した。
「ウダウダ考えててもしゃーねえ!寝る子は育つ!アタイは身体も心も、もっとデカくなりてえ!」
「悪い夢でも見たら、何時でも起こせよ!ポチを舎弟にするためアタイ頑張るからさ!」
安心する、この調子のチワンさんの声色は…。ポチはそう思った。
「善は急げだ!ほらポチも手伝え、働かざる者寝るべからずってな!」
ポチは、散乱していたやけに重い道具たちを片付けて二人分の寝床を確保する。
そこに布団を敷いて、掛け布団を乗せれば寝室の完成である。
「枕は一つしかねえんだ、お気に入りの奴だけどこれはポチにやる」
「だから、ポチ、今日のアタイの失態は水に流してくれ…る?」
心配そうな表情を浮かべながらチワンはそう訊ねた。
それにポチはニコリと笑い「もちろんです!」と答えた。
「よっしゃ!じゃあ寝ようぜ!」
チワンは、嬉しそうに部屋の照明を消した。
…
「…ポチ…ポチ!」
甲高い子供の声で、ポチは目を覚ます。
「ポチ!散歩行くぞ!散歩!」
ひろと…君?
そこは、元の世界だった。




