36.訳は少し残念だけど
想いを伝えようとしながらも、突如眩暈に襲われるなどというハプニングを発生させてしまい、なかなか思い通りにはいかなくて。けれども、救いがないわけではなかった。救いは、シュヴェーアが私との結婚を嫌がらなかったこと。一見小さいことのようだが、それはかなり大きくて。私の心は、それに救われた。
「じゃあ、これからも傍にいてくれる?」
「……あぁ」
「ゆくゆくは結婚してもいい?」
「……そうだな。それは……名案、だろう……。パン……」
突然パンが登場。私は戸惑う。
「パン?」
「……セリナと、共に……生きれば……パンが、食べられる……」
「へ!? 私と結婚する利点そこ!?」
個人的に少々ロマンチックな気分になっていたのだが、その気分はシュヴェーアの発言によって一気に崩れてしまった。パンが食べられるから、が私との結婚を見据える理由なのだとしたら、それは喜んでいいのかどうなのか。
「あぁ……」
シュヴェーアは微笑みかけてくれる。
だが今は、優しい表情を向けられても、日頃のように素直には喜べない。
「……美味な、物……食べられる、のが……良い……!」
珍しく感情を露わにし、嬉しそうな顔をしているシュヴェーア。その姿を見るのは、私にとっても不幸なことではない。むしろ幸せなことなくらいだ。だが、どうしても素直には喜べない自分がいる。それもまた、変わることのない事実である。
「そ、そう」
「……セリナ?……何か、困っている……のか……?」
「え。どうして」
「いや……何となく、そんな気が、した……だけだ」
おかしな顔をしてしまっていただろうか。
「……何でも、ないなら……良い」
一人安堵の笑みをこぼすシュヴェーアを見ていたら、段々「理由なんて何でもいいか」と思えてきた。
パンを食べられるからでも、美味しいものを食べられるからでも、そこはあまり関係ない。もし私のことが嫌いなら、たとえ理由があったとしても、結婚しようなんて思いはしないはず。そう考えれば、彼が二人で行く未来を想像してくれているだけで良いのではないか、と今は思う。
何も、急ぐことはない。
細かいところはこれから少しずつ詰めてゆけば良いのだから。
「シュヴェーアさん。改めて、これからもよろしくね」
「……こちらこそ」
◆
こうして、私とシュヴェーアとの関係性は、ほんの少しだけ変化した。けれどもそれで暮らしが豪快に変わるわけではなく。それまでと大差ない日々が続いていく。
だが、私の胸の内は僅かに変化していた。
抱いているものを開示することによって、余裕が生まれたのだ。
生まれた想いを相手に気づかれないようにするのは大変なことで、徹底しようとするとかなりの労力が必要となってくる。しかし、すべてを明らかにしてしまえば、必要な労力はかなり減るのだ。そしてその結果、心に自由な部分が生まれ、徐々に余裕が溢れてくる。
◆
「じゃーん! 今日はハーブパンを作ってみたの。食べてみてもらえる?」
何でもない日の昼下がり、私は、張りきって手作りしたパンをシュヴェーアに差し出してみた。
パンはパン屋で購入したものであり、生地の段階から自力で作ったものではない。が、ハーブソースや味つけは私が自力で行った。
そういう意味では「手作り」と言えるはず。
「……パン、か」
「えぇ。自力で作ったハーブソースを塗ってみたの」
小さめの丸いパンにソースを塗ったもの。
量は決して多くないが、ほんの僅かに空いたお腹を満たすにはこのくらいの量がちょうどいいだろう。
「おぉ……!」
シュヴェーアは私が作ったハーブパンを快く受け取ってくれた。
彼はいつも、食べ物関連の時は積極的に関わってくれる。それに、料理がさほど上手くない私が作ったものであっても、躊躇いなく挑戦してくれるのだ。
そこは彼の良いところだと、私は思っている。
「食べてみて」
「……いただこう」
迷いのない手つきでシュヴェーアはパンを一つ手に取る。そして、それを丸ごと口腔内に入れ込んだ。
咀嚼している間、私は黙って彼の横に待機。
感想を待つ。
この手で作ったものを食べてもらう経験は初めてではない。だが、何度目であっても、食べてもらっている時の緊張感というものはゼロにはならないものだ。私は自分の料理の腕に自信がない。だからこそ、食べてもらっている間ずっと、胸の鼓動は加速し続ける。
「……悪く、ない」
「本当!?」
やがて、シュヴェーアの口から感想が出た。
批判的ではない感想に安堵する。
「あぁ……独特の、香りがするが……」
「ソースにレボングルツを入れてみたの」
「……柑橘系か」
「えぇ。厳密には果物ではないけれど」
「……そう、か」
独り言のように呟くや否や、シュヴェーアは二つ目に手を伸ばす。
「二個目?」
「……問題が、あるか」
言いながら、シュヴェーアは二個目のハーブパンを口の中へ入れる。
シュヴェーアは丸パンを一個丸ごと口の中へ入れてしまう。噛み切らず、一気にだ。しかも、一気に入れ過ぎて後悔した様子もない。口の大きさは人それぞれだから、入る人は入るものなのかもしれないけれど。でも、一個丸ごと食べるなんてできない私からすると、それは驚くべきことだ。
「いいえ。ないわよ、問題なんて。むしろ嬉しいわ」
丸い小ぶりのパンをぽいと口腔内に放り込んだシュヴェーアは、しばらく顎を動かし続ける。その間は何も言わない。物体を食すことに集中している。
急に思い立って、気分だけで作ってみたハーブパン——シュヴェーアが嫌がらない程度の味には仕上がっていたようでホッとした。
「……美味!」
二個目を飲み込むや否や、シュヴェーアは発する。
それは、とても短い言葉。けれど、短くても、嬉しいことに変わりはない。
「気に入ってもらえたみたいね」
「……あぁ」
「なら良かったわ。まだいくつかあるから、良かったら食べて」
「……感謝する!」




