35.混乱?
翌朝、シュヴェーアと隣り合って椅子に座る。
シュヴェーアは、当たり前だが何も考えおらず、ぼんやり宙を眺めていた。
「シュヴェーアさん」
今日想いを伝えようと心を決めた。しかし、いざ彼と対面すると勇気が出ない。けれども、一度決めたことを違えるわけにはいかない。不安を越えて、強く一歩を踏み出さなくては、人生はいつまでも今のまま。何一つとして進まないのだ。
「……どうした」
シュヴェーアはゆっくりと首を捻り、こちらへ視線を向けてくる。
意外にもすぐに視線が重なった。
言え! 言うんだ! 言わなくちゃ! と思うけれど、私はすぐには言えない。何から言えば良いのか、どう伝えれば良いのか、色々分からなくて。決意したつもりでいたけれど、いざその時になったら、前へ進む勇気が足りない。
「……何を、黙っている?」
「あ……そ、その……ごめんなさい」
意味が分からない、というように、シュヴェーアは首を傾げる。
「……いや、謝ることは……べつにないが。しかし……様子が、妙だ……」
私が何を考えているのか、そこまでは彼は知らないはず。しかし、私の心を知らずとも、私の様子がおかしいことには気がついているようだ。だがそれも、当然といえば当然。今の私の言動は明らかに不審だろうから。
でも、もはや退けない状態になったのは、ある意味幸運だったと言えるかもしれない。
踏み出すことを選べたから。
「ねぇ、私たち結婚しない?」
緊張やら何やらで、思考力は既に消え去っていた。その結果、そんな言い方になってしまった。
そして、沈黙が訪れる。
何を言い出すのか、と思われただろうか? 気味が悪いと幻滅されただろうか?
覚悟は決めたはずなのだが、不安は消滅しきってくれない。
「……あぁ」
長い沈黙の果て、シュヴェーアは静かに口を開いた。
「……そうだな」
「ありがとう、理解してくれて——って、え!?」
二三秒経過してから、私は彼の返答のおかしさに気づく。
「待って!? 本当に結婚してくれるの!?」
雷に打たれたような。鈍器で頭を殴られたような。凄まじい衝撃が全身を駆け抜けていく。
「……あぁ。構わんが」
「そうなの!?」
シュヴェーアは真顔のまま頷いた。
「え、ちょっと待って……。り、理解できない……。頭の整理が……」
衝撃が大きすぎたせいか、クラクラしてきた。手を額に当てて何とか耐えようとするが、眩暈は止まらない。最初はそんな気がしているだけかと思ったが、徐々に。気のせいではないような気がしてくる。眩暈は確かなものだった。
「……セリナ、どうした」
「ごめんなさい、ちょっと、眩暈が」
「眩暈……?」
ついていない、こんな時に眩暈だなんて。
まだ話は終わっていない。しなくてはならない話がまだある。それなのに、話を継続できそうにない。世界が回って。
——そこで、意識は途切れた。
◆
気づけば寝床にいた。
私は仰向けに横になって眠っていたみたいだ。見下ろしているシュヴェーアが視界に入る。
「……目覚めた、か」
彼は、瞼を開けた私を見るや否や、そんなことを呟いた。
「……調子は、どうだ」
「へ、平気。私……一体、どうなって……?」
眩暈になって世界が回って、そこまでは覚えている。しかし、その後のことはまったくもって記憶にない。欠片ほども脳内に残っていなかった。
「……倒れた、ゆえ……ここへ、運んだ」
「シュヴェーアさんが?」
「……あぁ」
「そうだったの。ありがとう」
感謝の気持ちは大きい。けれど純粋に喜べるような気分にはなれない。彼に手間と迷惑をかけてしまったから。
「……で、だが」
シュヴェーアはこちらをじっと見つめたまま、口を動かす。
「……結婚の、話は」
それを聞いた瞬間、眩暈に襲われる前のことを思い出した。
宇宙を駆ける星のように、記憶が脳に流れ込んでくる。
「そうだった! 忘れてた!」
私は即座に上半身を起こす。
「その話をしていたのよね!」
「……あぁ」
シュヴェーアはそっと頷く。しかし、その表情はどことなく暗い。どう見ても、喜んではいない人間の表情だ。
彼ははっきり拒否する言葉は投げてこなかったけれど、もしかしたら、少し嫌だったのかもしれない——だとしたら、無理に強要するのは問題。
「シュヴェーアさん、嫌なら無理しなくて良いのよ! 私、断られても、気にしないから!」
「……なぜに?」
「何となく言っただけなの! 試しにね。だから、深く考えず、嫌ならサラッと断って!」
断って良いのだと分かれば、彼も断りやすいはず。そう考えて、私は明るい調子でそんなことを言ってみた。彼の方にも拒否権はあるのだと、そう伝えたくて。
だが、シュヴェーアの表情が明るくなることはなかった。
それどころか、むしろますます暗い顔つきになってしまった。
「……何となく、か」
「え?」
「そう……だろうな。分かっていた……」
シュヴェーアは残念そうな顔で弱々しく呟く。
私が想像していた反応と違う。
「……セリナが、私に……本気になる、わけがない……」
「え?」
「……本気で、あのようなこと……言う、わけが、なかった……」
シュヴェーアはなぜか落ち込んでいる。
実際に「落ち込んでいる」と述べたわけではないけれど、非常に分かりやすい表情でがっかりしている。それゆえ、彼が落ち込んでいるのは誰の目にも明らかだ。
「待って! 待って待って? 何だか話がおかしいわよ?」
慌てて彼のマイナス思考発言を止める。
「私、本気よ? シュヴェーアさんのこと、嫌いじゃないもの!」
「……だが、『何となく言っただけ』と……」
言われて気づいた。私の言い方が悪かったのだと。
私はただ、彼にも拒否権はあるのだと気づいてほしくて、それであんなことを言ってしまった。言い訳するわけではないが、彼のために敢えてそんなことを言ったのであって。本当に『何となく』で結婚話を出したわけではないのだ。
「ごめん。それは嘘」
「……そうなの、か!?」
シュヴェーアは目を二倍に近いくらいまで開き、瞳を震わせている。
らしくなく、かなり動揺しているようだ。
「嘘ついてごめんなさい。つい勢いであんなことを言って、ごめんなさい」
「……そう、なのか?」
何とも言えない気まずい空気になってしまう。
シュヴェーアは怒ってはいないようだが、ご機嫌というわけでもない。
「いきなり結婚はさすがに調子に乗り過ぎかもしれないけれど……でも、その……」
「……そう、だな。いきなり、は……準備が、間に合わない……」
とにかく気まずい。
ひたすら、どこまでも、気まずい時が流れていく。




