3.互いを知る機会
「ところで、貴方、名前は何と仰るのですか?」
カゴに入っていたパンを恐るべき速度で完食した甲冑の男性に、そう尋ねてみた。
すると、男性はさらりと答える。
「……シュヴェーアという」
男性は名乗ることに躊躇いがないようだった。教えてもらえないかも、などという不安が少しはあったからこそ、すんなり教えてもらえて嬉しい。
「私はセリナ・カローリアといいます」
「……そうか」
反応が薄い、反応が。
いや、べつに、大きな反応をする義務が彼にあるわけではないけれど。
「えっと、シュ……さん?」
「……シュヴェーア」
パンを食べたからか、顔つきが少しだけ明るくなった気がする。無論、表情はほとんどなく真顔なのだが。
「そうでした。シュヴェーアさん、そのお名前は本名なのですか?」
「……使っている名だ」
「使っている? それは、お仕事か何かでですか?」
問うと、彼は一度頷いて「傭兵もどき」と低い声で発した。
傭兵のような仕事をしているということは、きっと、戦闘を得意としているのだろう。
茶葉屋の娘として生まれ今日まで平凡に暮らしてきた私には、とても想像できそうにない世界だ。
剣と剣を交え戦う人々がこの世に存在していることは知っているが、その姿を実際に見たことはない。シュヴェーアはわりと穏やかな性格をしているように見えるが、そのような人間でも戦いは可能なのだろうか。
「傭兵、凄いお仕事ですね。確か、戦う方でしたよね? 強そうです」
「……そうでもない」
「えっ。そうなんですか?」
「……私、は、人気が、ない」
私とシュヴェーアが会話している最中、ダリアは「何か飲み物でも持ってくるわね」と言って、火がある方へと移動していった。結果、入ってすぐの部屋には私とシュヴェーアだけが残ることとなる。今日出会ったばかりの異性と二人になるというのは不思議な気分だ。
「……戦場の、バランスを、崩すと」
「ええっ! そんなこと言われるんですか!」
いきなり婚約解消を告げられたショックは決して小さいものではなかったが、シュヴェーアと話していたら段々心が晴れてきた。彼のことはそれほど知らないが、それでも、今はこうして話せることが楽しい。
それから、私とシュヴェーアはいろんな話をした。
私は、生い立ちやこれまでの日頃の過ごし方などについて打ち明ける。すると彼は、自身が大食らいで雇い主によく怒られたエピソードを紹介してくれた。面白い系の話を真顔で紹介してくれるところが謎だ。恥ずかしさはないのだろうか。
「お待たせー」
やがて、調理場の方へ行っていたダリアが、私たちのいる部屋には戻ってくる。
その手には焼き物のカップが一つ。中には温かい液体が入っているようで、白い湯気が立ち上っているのが視認できた。また、渋く爽やかな香りも漂ってきている。
「……それは?」
シュヴェーアはダリアの手もとへ視線を向けて尋ねた。
その問いに答えるのはダリア。
「グーリンティーですよ。満腹感が増します」
ダリアは微笑みながらそっとカップをテーブルに置く。カップの底がテーブルに当たった衝撃で、濃い緑色の水面が揺らいだ。シュヴェーアはカップの中身を見て、不思議なものを目にしたような顔をする。グーリンティーは馴染みのない飲み物だったのかもしれない。
「……セリナ」
シュヴェーアは、カップに注がれた暗い緑色をした液体を凝視していたが、突如私の名を呼んできた。
名指しで呼ばれることなどまったくもって予想していなかったため、私は思わず体をびくりと震わせてしまう。そんな妙な動きをしてしまったことが恥ずかしくて、彼の方へ視線を向けられない。
「な、何でしょうか……?」
「……これは、飲み物か」
そう言って彼が指差したのはカップ。
「はい。グーリンティーという飲み物です」
「……そうか」
暗い緑色の水面には、カップの中を覗くシュヴェーアの顔が映り込んでいる。
それから数十秒が経過した頃、彼はようやくカップへ手を伸ばした。右手で包み込むようにカップを掴むと、緊張した様子で持ち上げる。そして、少しずつ顔に近づけていく。立ち上る湯気が顔面に直撃しているが、彼は、そういうところはあまり気にしていない様子。顔全体に湯気を浴びつつ、ベージュのカップの端を唇にそっと当てる。
直後、カップを一気に傾けた。
恐ろしい早さ。グーリンティーを一瞬で飲み干す。
「ふぅ」
次に彼の顔が見えた時、カップは既に空になっていた。
「……独特な味わいだ」
「気に入っていただけましたー?」
シュヴェーアの述べた短い感想に即座に返したのはダリア。
私が口を挟むタイミングはなかった。
その後、私は彼に「目的地はあるのか」ということを質問してみた。すると彼は「特にない」と答える。それに加えて彼が明かした話によれば、ここしばらくの雇い主に追い出されたとのこと。そのため、馬や武器は使えるが、これから生きていく場所はまだ決まっていないそうだ。
その話を密かに聞いていたダリアは、「しばらくここにいるというのは?」と提案。
私もそれに賛成した。
「……構わない、のか」
ダリアの提案にシュヴェーアは戸惑っているようだ。だが、嫌そうな顔はしていない。
「「もちろん!」」
私とダリアが同時に述べると、彼は少し考えて、「では、よろしく頼む」と頷いた。
婚約解消という悲劇の日、山道での偶然の出会いから、私とシュヴェーアの関係は幕開ける。
大食らいであることくらいしかまだ分からない彼との日々は、こうして始まったのだった。