24.草木の中の散歩
ダリアはドラセナと共に屋敷へ入っていってしまった。春祭りで振る舞う料理を作る、その手伝いをするために。
その間、私とシュヴェーアは外で待っていることになった。
本当は私も一緒に手伝いをしても良かったのだが、そうなるとシュヴェーアが一人ぼっちになってしまう。彼を一人で放置しておくのは気が進まず、そのため、私も彼と共に外で待機しておくことに決めたのだ。
「ところで、シュヴェーアさんはどうして剣なんて持ってきているの?」
移動中はドラセナやダリアとの会話に意識が向いていたため気づかなかったのだが、シュヴェーアの手には剣が握られていた。彼がいつも愛用している剣である。
「今日は傭兵としての仕事じゃないのよ?」
「……手放すのは、不安だ」
シュヴェーアは鞘に収められている剣を両手で大事そうに抱えていた。
「え。でも、普段はずっと持っていないでしょう」
彼が戦いや狩りの時にこの剣を使用することは知っている。だが、それはあくまで、何かを斬る時だけだった。半年以上一つの屋根の下で暮らしてきたが、四六時中手に持っているというわけではなかった。風呂屋へ行く時などは、家に置いていっていたこともあったように思うのだが。
「……それは、そうだが」
「じゃあ、今日持ってきたのはどうして?」
「それ、は……すまん。よく……分からない」
謎でしかない。
いや、もしかしたら本当に意図なんてなかったのかもしれないけれど。
「……だが、これがあれば、腹を満たせる」
「腹を……って、もしかして狩りをするということ!?」
「……もし、食料が……足りなければ、だ」
春祭りに参加しに来たというのに、狩りをする気でいたとは驚きだ。しかし、それが剣を持ってきた理由だったのだとしたら、分からないではない気もする。
少なくとも、理由不明よりかは良かったと思える。
「それで、今からどうする? まだしばらく時間があるみたいだけど」
「……散歩、するか」
「散歩?」
私が繰り返すように疑問形を発すると、シュヴェーアは目を細めて弱い声で言う。
「……駄目か」
「いいえ。べつに駄目じゃないけど」
駄目なんて言う権利は私にはない。それに。そもそも彼に意見を求めたのは私の方だから、彼がしてくれた提案を一言で払い除けるなんてことはできないのだ。
それにしても、今日は良い天気だ。
穏やかな春の陽が暖かい。
春という季節を楽しむのなら、こういう温厚な気候の日が理想的だろう。
「散歩しましょっか」
「……良いのか?」
「もちろん。ま、あまり屋敷から離れない程度にね」
散歩という名目で歩き回り過ぎて、道に迷ったりしたら大変。それによって、万が一春祭りに参加できないなんてことになったら、大問題だ。もしそんなことになったら、ドラセナやダリアに心配かけることになるだろうし、それは許されないこと。
だから、迷わない程度の散歩にしなくては、と考えているのだ。
◆
穏やかに降り注ぐ陽の光を浴びながら、私とシュヴェーアは歩く。
屋敷の門から、屋敷があるのとは反対の方向へ進むと、すぐ自然に満ちた場所にたどり着いた。
葉の緑と、幹の茶色——コントラストが絵画のようで美しい。
この風景は、生命の幕開けの季節を表現した抽象画のようだ。
「……足下、気をつけろ」
「え?」
「そこには……根が、ある……」
「あぁ、ホント!」
整備された公園ではないから、地面のラインも一直線ではない。地面のところどころに、木の根っこが、罠のようにせり出している。
今シュヴェーアが警告してくれたのは、その根っこのことだったみたい。
注意しつつ歩いていれば問題なく歩けるが、確かに、気づいていなかったらどこかでうっかり足を引っかけてしまいそう。当然根に罪はないが、危ない。
「……転倒、するな」
「えぇ」
数歩先を行くシュヴェーアは、ぼんやりしているようで周囲をよく見ていた。見回している仕草はないのだが、上下左右、状態をきちんと把握している。
「シュヴェーアさんって、意外とよく周りを見てるのね」
「……傭兵として、生きるには……現状把握も、必須だ……」
刹那、視界を黄色い何かが通過していった。
私はすぐに色の方へと目を向ける。すると、その黄色い何かの正体に気づくことができた。蝶だ。無重力空間を泳ぐような不規則な動きで、木々が集まっている方へと飛んでいっている。
「蝶、綺麗……!」
日頃見かけない蝶に見惚れてしまい、私の足は無意識のうちにそれを追う——直後、右足の甲に何かに引っかかる感触があった。
「……あ」
足の甲に僅かな痛みを覚え、その瞬間に初めて気づく。
根に足を引っかけてしまったのだと。
予想しない位置で足が止まったため、全身のバランスが崩れる。体が一気に前向けに倒れ始めた。まずい、と内心焦るけれど、焦ったところで変化などない。顔が地面に近づいていく。
地面まで倒れると覚悟した——刹那。
突然、私の身を支えるような感触が発生した。
「シュヴェーアさん……!」
転倒しかけた私の体を支えてくれたのは、他の誰でもない、シュヴェーアだった。彼は片手を私の腹の辺りへ回し、私の身が傾き続けるのを止めてくれていたのだ。
「……気をつける、ようにと」
「ご、ごめんなさい」
その数秒後、彼は私の腹へ回していた腕を軽々と動かし、私の体を垂直に戻す。彼の腕には結構な力があるようだ、私の体はひょいと動いた。
「……怪我は?」
「特にないわ。大丈夫よ」
即座にはそう答えたが、数秒経ってから足の甲が痛むことに気づく。
「って言ったけど、足の甲が少し痛いわ」
そのまま黙っていても良かったのだが、その時の私は何となく正直に打ち明けてしまった。
「……そう、か。では……手当てを」
「あ、でも大丈夫よ? そんな酷い怪我じゃないと思うし。引っかかっただけだもの」
手当てなんて大袈裟だ。それに、もし仮に傷ができていたとしても、自業自得。なんせ、私が周囲への注意を怠ったことによってできた傷なのだから。
だが、シュヴェーアは放っておくことを許可してくれなかった。
「……根に、座れ。状態を……確認、せねば」




