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途中にある文字化け部分は、文字化けさせるツールを使わせていただいたもので、聞き取れない言葉として使わせてもらいました。文字化けは仕様です。
なんで、と思いはしても、答えなんてどこにもない。
私が立っているのは、立ち入り禁止区域である渡り廊下で間違いなかった。職員室やクラスの並ぶ校舎と、図書室などの利用施設の入った別館を繋ぐ廊下のひとつ。だってここ、ゲームで見た入口と景色が一緒だ。
「こっち、こっちよ」
ふふ、と愛らしく笑う声が、前方から聴こえる。こっちよ、と繰り返す優しい声。
まさか、と思って振り向けば、そこにはテープで封鎖された渡り廊下の入口があるだけだ。第一図書室の扉なんて見当たらない。
「そんなことある……?」
呆然と呟いた。だって、この声は私を呼んでる。私を誘っている。
現場に行かなければ良い、と思って調べていたのに、こんなことがあるなんて思わなかった。ゲームでだってこんなに強引に連れてこられたことはない。
ここは、この怪異は。こちらからこの渡り廊下に会いに行くことでフラグを達成する怪異だ。図書室で調べただけで会いに行くということになる、という事だろうか。核心に触れるような情報は、なにも調べられていないのに。
「こっち。ふふふ、こっちよ。おいで、小山さん」
どうして名前を。呼ばれた瞬間に、ふわ、と頭が少しぼんやりする。
こっち、と呼ぶ柔らかな声に、酷く惹かれる。ずっと遠くに置いてきてしまった誰かの声に、似ている気がして。
「おいで、おいで」
ふら、と足を踏み出す。長い間使われていなかった廊下は、ギシギシと軋んだ音を立てた。
おいで、おいで、と呼ぶ声は廊下の奥から聞こえる。薄暗い渡り廊下の奥、ぼんやりと出口のような光が見えた。私を呼ぶ声は、その光の方から聞こえているみたいだった。
一歩、踏み出す。おいで、と私を呼ぶ声は、ずっとずっと笑っている。柔らかく笑いながら、楽しそうに私を呼んでいるのだ。
あの光まで行ったら、この声の主に会えるのだろうか。とても会いたいと思った。会えたならきっと、私はとても嬉しくなるんだと思ったのだ。
こっちよ、こやまさん。
柔らかく、優しい声だった。泣きたくなるくらいに懐かしい声だ。誰の声かは分からないけど、その声の人に会いたいと思った。会えればそれだけでいい、と。
「こっちにオいで……こッチ、ほラここだよ、悠」
悠、と名前を呼んだ声は、年上の女の人の声だ。誰だろう。すごく心が惹かれる声だった。何も理由は分からないのに、ただ、会いたい。
ふわふわとした足取りで、光の方へと歩く。もうすぐ会えるんだと思ったら、心がほわりと暖かくなるようだった。
「ホラ、繧ゅ≧縺吶$縺�繧�」
「うん、……うん。わかってる……」
ぞぞぞ、とよく分からない音がして耳が単語を拾えなかったけれど、優しい声がなんて言っているのか分かる。もうすぐ、もうすぐだよって呼んでいる。
だから足を進めていて、この優しい声の人に会って、そうして──そうして?
かん、と廊下が音を立てる。足を何かに引っ掛けて、よろけたときにむきだしの鉄骨を踏んだようだった。
ふっと正気付いて辺りを見渡して、ぞわりと全身が総毛立った。
いま私がいるのは、あの渡り廊下の真ん中よりも校舎よりの場所だ。ひ、と喉がひきつる。
なんで、なんで渡り廊下を渡っているのだろう。だってここはあたり姫的に絶対立ち入ったらダメな場所だ。だって私にはなんの力もなくて、力を貸してくれる攻略対象だっていなくて、だから遠いところから調べようとしてたはずだ。何も出来なくてもせめて調べるだけでも、と。
これほど、名前付きは危険だなんてゲームでは言っていなかった。
──ああでも私にとってこれはゲームじゃないじゃないか。
「ひっ……、う、あ」
頭に響いていた声は、今は聞こえてこない。けれどそんなこと、考えらていられる余裕なんてなかった。
じり、と後退る。一歩下がってしまえば、もう恐ろしくて前なんて向いていられなかった。
縺れる足を必死に動かして校舎の方に戻る。立ち入り禁止のテープを乗り越えて、校舎に戻らなくちゃ。戻れないと、私、死ぬ。きっと死ぬ。
怖い。こわい、こわい、こわい。
「う、あ、あああ……っ」
歯の根が合わないほど震えている。呟いた声は、自分にすら聞こえてこない。
涙で目の前が霞んでいく。こわい、怖くてたまらない。
はやく、早く校舎に戻らなくちゃ。
ぼやけた視界に、廊下の入口を塞ぐテープが見える。あともうすこし、と震える足を叱咤して、思わず手を伸ばした。
私の胸の辺りの高さに貼られたテープに触れる直前に、張り巡らされたテープの隙間から誰かの手が私の手首を取った。
「ひっ」
ガクガクと震える足では上手く勢いが消せなくて、止まれない。腕を引こうにも、がっしりと掴まれて引き離せない。
恐怖に声も出せないままにぎゅっと目を閉じると、ばりっ、という音と共に思い切り腕を引っ張られた。
「──ハルカ!」
叫ぶように呼ばれた名前と、背中に回った誰かの腕。
私は何も分からないままに悲鳴をあげた。