50:それは執着でしかないのだと、分かっていても
それは、執着の成れの果てだ。
手に入らないと分かっていながら理解を拒み、ただ望み続けた人間の残骸。
百鬼にとっては、まるで自分を見ているかのようで気分が悪い。
花火大会に出る怪異は、存在だけは知っていた。
力も弱く、境界に人間を攫いはするが、それが人違いとわかれば帰す害のない怪異だ。
だから問題は無い、と思った。無害であるなら、と思ったのもあるし、彼女には怪異避けの守りがある。
彼女と過ごすようになって、何度も何度も繰り返して、その度に失って──そのなかで、この花火大会まで共に居られたことはほとんどなかった。だから油断をした、なんて言い訳にすらならない。
何度も繰り返したなかで思っていた予想が、恐らくは当たっているんだろうという確信を得て、彼女を自分の方へと引き寄せた。
きっとあの子は、魂が安定していない。樒もこの一年だと言っていたが、魂が安定していないからどんなに対策をしても彼女は怪異に呼ばれてしまう。
悠が怪異と話している姿を見た時に胸に落ちた衝撃は、とても酷いものだった。
それは俺のものだ。触るな。
執着と独占欲。きっとこんなものを向けては、悠は怖がってしまうだろう。いつもは飲み込める衝動が、飲み下せるほどに小さくなかった。
とはいえ、取り繕うことも慣れたことだ。
怪異はぼんやりとしながらも、百鬼の力がわかるのか、後退りして距離をとる。振り向いた悠は、どこにも怪我はないようで、それだけは安心できた。
怪異を助けたい、なんてことを言い出した悠に精神汚染を疑ったが、ただただ彼女がお人好しなだけだった。可愛いし愛おしいけど、そのお人好しなところも怪異が好む魂の色であることを考えると、もっと自分本位になって欲しい。
異界の神の守護、それに百鬼の持つ力を上乗せした、通常ならほとんどの怪異を寄せ付けないお守りがあってなお、彼女はこうして怪異に呼ばれる。魂が揺らぐ。美味しそうな魂がこうして揺らぐから、怪異としては引き寄せやすいのだろう。どんな守護も意味を成していないのがわかる。
四六時中そばに居られればいいのに。片時も離さず、手を繋いでおければいいのに。
気休めでしかないお守りも、守護も、彼女のためにもっと与えたい。そうしたところできっと無意味だとわかっているけれど、それでも彼女を守護するためのものを増やしておきたい。
こうして悠が俺の元に帰ってきてくれるのなら、何だってする。
「──ああ、来るよ。ハルカ、怖かったら目を閉じておいで」
お守りで呼ぶのではなく、呼ぶ力を触媒としたある種の召喚術。
樒の術式を応用したものだ。悠の魂のほんの一欠片ほどを百鬼が所有しているからこそできる誤魔化しだ。
きっと彼女はどうして百鬼がお守りを使えるのか不思議に思うだろう。もし問われたら素直に教えてあげよう。
いや、でも、君の魂の一部を持っているなんて言われたら、拒絶されたりするだろうか。しないような気はするが、少し不安だ。
けれど、まだ返してあげることも出来ないのだ。これは百鬼のなかで怪異と自分を癒着する楔になっていると同時に、悠を軸に時間を戻す要になっている。
一番最初に彼女を失ったときに、天に帰る欠片を急いで掴んだ。消えてしまう前に、自分の中に取り込んだ。そのおかげで、百鬼は悠がどこにいても、道筋さえ開けてしまえば迎えに行くことが出来る。
この欠片を百鬼が取ってしまったせいで魂が不安定になった、という事ではないのは確認済みだ。樒もそう言っていたが、彼女には別に問題が──恐らくは、別世界の魂が混ざっているというその一点が、揺らぐ原因になっている。
「……よかった」
おまたせ、と怪異に駆け寄った、事故死した女性の魂。未練と恋情の塊が、歓喜の声を上げている。
あんな執着の成れの果てを、怪異に取り込まれたせいで修復も出来ないほどにぼろぼろになった人間の残骸見て、彼女は「ああ、再会できてよかった……ありがとうございます、百鬼先輩」と目をうるませている。
「ありがとう」
ふわりと、彼らの体が解けていく。
百鬼は無感情にそれを見つめた。再会の叶った彼らを見て、思うことはひとつしかない。
あれは自分が迎えるかもしれない未来のひとつだ。怪異に飲まれ、彼女を助けることが叶わず、消えていく。
そうならないようにしなければならない。どうやったっていい、何をしても構わない。彼女を守らねばならない。彼女が自分の隣に居てくれる、そのためならなんだって。
「あの、先輩、ありが──」
潤んだ目が、百鬼を見上げた。怖かっただろうに、その顔には安堵の笑みが浮かんでいる。
ああ、そうやってあんな成れの果てにまで心を砕いてしまう、きみが。
「……え、ん……ん!?」
ほんの少しだけ、憎いよ。
百鬼はそっと彼女の髪を撫で、そのまま引き寄せて口付けた。