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鍵と手形は、鳥居のところで使うアイテムだ。
迷い込む時には居ないけれど、出る時には鳥居の前に黒と白の狐面を付けた門番のようなモノがいる。白い狐面の方に鍵を、黒い狐面の方に手形を渡さなければ、鳥居をくぐる許可がおりないのだ。
左右に並ぶ出店では、人でないモノたちがちらほらと祭りを楽しんでいる。人間のような姿のものもいれば、獣のような姿のもの、ドロリと溶けたような無形のもの、さまざまだ。文字化けしているようになっていて店名が読めないのは、私たちが生きている人間だから、らしい。彼らの話す言葉が分からないのも、文字が読めないのと同じ理由なんだそうだ。
ここはもう異界だから、言葉も文化も自分たちのものとは似て非なるものである、と百鬼先輩が教えてくれた。
「境界や異界の言葉が分かるようになったら、それはもう人間ではないということだから。読めなくていいし、聞こえなくていいんだ」
百鬼先輩はそう言って、屋台の方に視線を向けていた私の注意を引いた。
ちらと横目に飴みたいなものの屋台を見つけ、そう言えば買ったりんご飴はどこで落としたんだろう、とどうでもいいことを考えた。多分、逃避だ。だってまだ怖い。両隣から手を繋いでもらっていたって、怖さが抜けない。
「ナキリ先輩、ここ来たことあるんですか?」
カナリアが不思議そうにそう聞いた。たしかに、百鬼先輩のバックボーンを知らなかったら、ここに詳しいのは不思議だろう。私は彼が怪異に詳しいということ、怪異憑きであることを知っているから、何も疑問には思わなかったけれど、カナリアはそうではないから。
「いや、ないよ。ないけど、生まれが生まれだからかな。こういうのには詳しいんだ」
こちらを見てにこりと笑って、百鬼先輩はなんでもないように言う。
生まれが生まれだから。初めて聞いたし、これはゲームにも設定資料集にもなかったはず。ゲームにあったのは、祓う力があるということと、怪異憑きであるということくらいで、詳しい背景は一切語られていない。
百鬼先輩の生まれはなんなんだろう、そう思っても、聞ける雰囲気ではないし、私が聞いていいものかも分からない。
「まあ、なんて言うかな……祓い屋の家系なんだ。だからこういうのは詳しいし、慣れてる。永遠の夏祭りくらいなら俺でも抜けられるから、安心してていいよ?」
「割と私ナキリ先輩が来た時点で勝ち確って思ってましたけど〜」
「はは、信用されてるようで何より。鳴瀬さん、もう少しで鳥居だけど、きみも手を離さないようにね」
くつくつと笑って、先輩は前を向いてしまう。これ以上は語らない、ということだろう。先輩はいつも、こうやってほんの少しのヒントだけをくれるけれど、答えはくれない。ゲームでもそうだったし、実際に触れ合ってきた先輩もそうだ。
十字路の時も、学校で成れの果てという怪異に襲われた時も、私を守るようにしながら、詳しいことは何も教えてくれなかった。先輩だけが全部知っていて、私は無知なままだった。成れの果てのことだって、私が先輩のことを知りたいと言わなければ、学校で何に襲われたのかもきっと教えてはくれなかっただろう。
カナリアと先輩が話してるのを見ながら、ざわざわと嫌な音を立てた心臓に急かされるように、百鬼先輩を呼んだ。
「先輩」
思わず、と呼んだ声に、先輩は振り向いてくれる。
お面を斜めに頭につけているから、ちゃんと顔を覆っている私たちと違って、先輩の表情はちゃんと見える。柔らかく笑っている。いつも通りの先輩だ。普段通りの──図書室で話している時の無邪気な笑顔とは違う、他の人に向ける作り笑いめいた笑顔だ。
「わたし、あなたがもっているものをしりたいんです……」
先輩の表情が、少し驚いたような顔に変わった。私が泣きそうな声をしていたからだろうか。お面のおかげで表情は見えていないから、震えた声に驚いたのか。それとも、急に何を言い出すんだ、と思ったのかもしれない。
何を言うつもりかなんて考え無しに話しかけてしまって、いつもいつも私は言葉を飲むことを知らない、と一瞬後悔する。唐突にこんなこと言われたって意味がわからないだろう。それでもこぼれた言葉は取り消せないし、なんでもないです、と取り繕うには私の声は泣きそうに震えていたから、多分先輩は気にしてしまう。
カナリアも、どこか心配そうに私を呼んだ。それに、大丈夫、と頷く。泣きそうなのは、多分いま頭の許容量を超えそうな事態が起こっているからだ。
「あなたが、強いことも、怪異に詳しいことも、知ってます。でも怖いんです、こうして手を繋いでても、どこかに行ってしまいそうで」
言いながら、ああ私はそれが怖かったのかと、すとんと自分の心に落ちた理由に納得する。怪異じゃなくて、先輩がどこかに行ってしまいそうな、そんな訳の分からない焦燥感が怖かった。
だからずっと手を繋いでいても怖さが抜けなかった。
「私、先輩がいなくなったら、いやです」
子供みたいな言い方になってしまった。わがままを言う幼子みたいだ。というか、こんなこと、急に言われたって困るだけだろう。実際、急にどうした、とカナリアが困惑してるのがなんとなく空気でわかる。
私も言いながら、こんなことを今言うのはどうなんだ、と思った。思ったけれど、ひとつ零れたら止まらなかった。
「──悠」
真顔で振り向いた先輩が、手を伸ばして私のお面を上にずらした。
泣きそうな……いや、既に泣きかけている私を見て、先輩は少しだけ眉を寄せた。苦しげなそれは、あまり見た事のない表情だ。
困らせてしまった、と謝ろうとした私を、百鬼先輩がもう一度呼ぶ。
「悠」
握られていた手が少しだけ離され、指を絡めて繋ぎ直される。解けないよう握られた手を、彼は口元まで持っていった。
指先に、吐息が触れる。
「俺も、きみに会えなくなるのはいやだよ。ずっと隣にいて欲しいと、いつだって思ってる──いつもいつも、居なくなってしまうのはきみの方だからね……」
何かに耐えるよう、先輩が目を瞑る。後半の言葉は、きっと私に言った言葉ではなかった。内容からしてカナリアでもないだろう。
普段だったら聞こえなかっただろう、小さな声は。
しんと静まったこの場所では、かすかに私の耳に届いた。届いてしまった。
「先輩……?」
ぼろ、と瞬きの拍子に落ちた涙を、柔く指先で拭われた。
その手は目元を撫でて、頬に軽く触れて、そっと離される。
「いつか──そうだな、あと半年。きみが、二学年に上がったら。俺の昔話を聞いて」
屈んだ先輩の唇が、額に触れて離れていった。
カナリアさん、空気を読んで黙って見守っています。




