32:あなたを信じる
百鬼先輩は、私を抱えたまま、何かを言い淀むように口を噤んだ後にふっと笑った。
「怖くても信じてくれるんだったっけ」
私の顔を覗き込んで、嬉しそうに笑ってそう言った。
確かに自分の言った言葉だから、頷いて答える。至近距離でレアな笑顔を頂いてしまったので、声が出なかったのだ。
「とりあえず、さっきのはきみは本当に気にしなくてもいいんだよ。あれは、怪異の成れの果て、みたいなものでね」
さっきの、というのは先輩が私に見せないようにしていたものだろう。
怪異の成れの果てとは、どういうものだろう。ゲームにはいなかったし出てこなかった単語だ。その字面から想像するに、目には優しくない見た目をしている気がするので、目を閉じてと言ってくださった先輩に感謝である。
「色んなモノが餌になったモノにぐちゃぐちゃに引っ付いてる感じだったな、あれは」
サラッと言った先輩の声の優しさに、そうなんですね、と返しそうになるが、なかなかすごいことを言っている気がする。餌になったモノにぐちゃぐちゃに引っ付いている、とは一体。想像だけでゾッとした。
ぞわぞわと震えた身体に気づいたのか、先輩は申し訳なさそうに眉を下げる。
「きみを狙ってるみたいだったから、咄嗟に逃げちゃったんだけど」
先輩が申し訳なさそうに言う理由が分からず、ほとんど反射的に首を振った。
私を狙っている理由は分からないそうで、咄嗟に私を隠して逃げてくれたんだそうだ。私を目立たせないように霊力で覆った、と言われたがよく分からなかった。百鬼先輩の持つ力らしい。
話を聞く限り、有難いばかりで謝られることが一切ないと思うのですが。先輩が謝る必要ないですありがとうございます、とどもりながら言ったら、不思議な顔で先輩が笑った。悲しそうにも、嬉しそうにも、泣きそうにも見える顔だ。
先輩はそんな複雑な顔をして、少し俯いてしまったけれどすぐに顔を上げて私を見た。その時には、怪異としての姿ではあったけれど、もういつもの先輩だった。
「樒を覚えてる?」
「首なし屋台の店主さんですか?」
「そう、その樒にね、後始末をお願いしてあるから。きっと今頃どうにかしてくれていると思うよ」
いつの間にそんな話になったのかと驚いたら、顔に全部出ていたらしく、先輩は可笑しそうに笑う。今日はなんて言うか、先輩のレアなお顔がたくさん出てくるので、私の心臓への負荷が凄いことになっている。
そんな場合ではないと分かっていながら、心臓がどくどくとうるさい。
「きみに目を閉じてもらってる間に連絡したんだ。元々そういう話になっていたからね」
「……そういう、話?」
どうやら先程、まだ目を閉じていてと目を塞がれていた間に、連絡を入れていたらしい。メッセージ送り合う仲なんですね、と思ったけれど、そういえばあの店主はガラケーをお持ちだった。もしかしてあの十字路の時の電話の相手、百鬼先輩だったんだろうか。
「そう。元々ね、あれの元になっている呪詛に侵された魂があったんだけど、最近それがこの学校に流れ着いたみたいで。樒に相談して、引き取ってもらうことになっていたんだ。強大な呪いでね、そんなものが学校にあるのは危ないだろう?」
どうやらその元の魂というのが、あまりに強い呪詛のせいで、他の怪異を引き寄せてしまうモノになってしまったらしい。あれはもう祓うことは出来ないので消滅させるか封印するかしかないのだ、と先輩は説明してくれた。そうして、その役目を樒さんに任せていたのだという。
「ああ見えて、樒は名のある神様なんだよ」
「えっそうなんですか!?」
ゲームでも資料集でも明かされなかったとんでもない情報に、思わず声を上げてしまった。
いやでも、あの顔のある状態の樒さんの姿は、神様であると言われれば納得のうつくしさではあると思う。あれは人外のうつくしさだった。
樒というのは、こちらの現世に来るための仮の名前らしい。そんなことまで知っているのはどうしてと思うものの、先輩の姿が目に入ってしまえば、そこに答えがあるような気がしてしまう。
所々跳ねていた黒い髪は、背中まで届くストレートな髪に変わっているし、良くは見えないが耳も少し尖っているように見える。服装こそこの学校の制服だけど、見た目から雰囲気から、人間らしさというものが消えてしまっている。眼だって、白目の部分は黒く染っているし、目の色だって赤くなっているし。
不思議なほど、百鬼先輩に馴染んだ姿だ。本来なら怖いはずだけれど、私はその姿の百鬼先輩を怖いとは思わない。前世から知っているというのもあるかもしれないけれど、百鬼先輩が私を怖がらせないよう優しく喋るからというのもあるかもしれない。ゲームでは底冷えするような暗い声だった。今は、普段通りの声音だ。
「樒はあの魂を欲しがっていたみたいだからね。利害の一致だよ」
百鬼先輩は、穏やかに語る。嘘かどうか私には判断できないけれど、先輩を信じると私は言ったから。それはきっと本当なのだろうと思う。そもそも私に対して嘘をつく理由もないと思うし。
「生徒会にも話は通してあるしね。もう終わる事だし、悠は気にしなくて大丈夫だよ」
先輩がそう言うから、本当に大丈夫な気がしてしまう。
気にしすぎても良くないというか、覚えていても良くないらしい。怪異の執着は記憶に根差すものだからと、先輩は私を諭した。忘れようね、と言われてしまえば頷くしかない。
覚えてても怖いし。
「あと──ああ、そうだ。多分お守りがもうだめになってるから、鬼塚のところに行かないと」
やっぱり、と先輩がお守りを取り出すと、元の灰色の面影がないくらい真っ黒だった。ひ、と思わず息を飲んでしまう。
私のは、と恐る恐る取り出したら、同じように真っ黒だった。どういう理屈で色が変わるのか分からないから正直怖いのだけれど、その色は前世で付け替えていた黒曜石にも似ている。
ああもしかして、百鬼先輩のカラーが黒だったのって、怪異のせいだったりしたんだろうか。
「交換してもらわないとね。連絡しておいて帰りに寄っていこうか」
私の携帯も取り上げて自分のと纏めてソファに置いて、先輩がまた私の手を取る。
逃げないでね、と少し眉を下げられて、その声の低さに食い気味で逃げません宣言をした。そもそも逃げる気もない、というか、がっちり腰を抱かれていて手も取られていて、身動きできません。
待って腰を抱かれているってこの状況あらためてやばい気がするんですけど待って言葉にしたら再確認するみたいで良くない考えるのやめよう私の心臓が死んでしまう。
「あと……きみは多分、この姿のことも聞きたいだろうね」
暗く落ちた声は自嘲気味で、百鬼先輩の様子は落ち込んでいるようにも見える。
先輩が怪異の手を取ってしまったのは、ヒロインが来る前──つまり先輩が三年に上がる前だ。
何があって、どうして先輩がその選択をしたのか分からない。分からないけれど、そんな風に悲しむような理由があったんだろうか。
「……百鬼先輩」
呼ぶと、先輩が私を見る。綺麗な顔が黒く侵食されているけれど、悲しみを孕んで私を見る目は、ずっと優しい。
「私、ええと、その姿もかっこよくて好きです」
言ってから、あまりに頭の悪い言葉に自分を殴りたくなった。フォローにもなっていないセリフすぎて、言ったことを直後に後悔した。
「──本当に?」
「ほ、本当です。かっこいいです。素敵です。ラスボスみたいで……いやえっと、そう、あのちょっと目の色が怖いんですけどでも先輩は私をずっと優しい目で見るから、えっと、私何言ってるんでしょうねアハハ……」
食いつかれるとは思ってなかったので、続けた言葉はあまりにも支離滅裂だった。さすがにラスボスみたいはない、そのチョイスはだめだ私、と言い直せば言い直すほど訳が分からなくなっていく。続ければ続けるほどだめになっていきそうで、最後には言葉を濁して笑って誤魔化してしまった。
「……ふ、ふふ、ううん、嬉しいよ」
先輩は笑ってそう言ってくださったけれど、たぶんとても気を遣われた。
「きみが怖くないんなら、もうそれでいいんだ」
そう言って、少し待って、と私の瞼を手で覆う。数秒して手を外したあとには、もういつもの百鬼先輩の姿に戻っていた。
所々跳ねた黒髪の、黒く侵食されていない、見慣れた姿がそこにあった。




