30:幕間/こうして彼は怪異と成った
今回と次回は百鬼のターン。なぜ彼は過保護か、理由を知っていただければ。
それは、気の遠くなるほど昔の話。
もう何度も思い返しては、その度に後悔して、そうして全てを殺したくなる。もちろん自分も含めて、だ。
まず、初手を間違えたのが始まりだったのだろう。
二年の終わりごろに転校してきたその女生徒は、百鬼泰成という男にとって、ひどく気に食わない存在だった。
大切な人を貶めた挙句に、自分をもてはやせと言う。あなたの悲しみを救いたい、と身勝手なことを言い募り、まるで見当違いなことを話し出す。不思議と話の筋は通っていたが、どこで知ったのか分からない情報を混じえた支離滅裂な言葉は、ただ不快だった。
だから離れた。関わらないようにした。百鬼にはそれと一切関わる気がなく、第二図書室のなかの閉じた世界で満足していた。
「おかしいよ。あなたは救われるべきなのに、どうして私を拒否するの?」
待ち伏せられて言われた言葉がこれだ。
自分の言動を見直したら、と言えばいいのだろうが、そんなことをしても無駄だろう。この女は自分が正しいと思いこんでいるようで、百鬼の言葉をひとつも受け取ろうとはしていなかった。
この百鬼は、ここで間違えたのだ。
関わるなと言って突き放し、これ以上その不快な言葉を聞かせるようならこちらにも考えがある、と突きつけた。
どうして、と繰り返していたその女は、あろうことか小山悠に手をかけた。
百鬼が誰よりも大切にしていた、図書室で逢瀬を重ねた恋人だった。
「あんたが変えたの!?」
ふざけないで、わたしが救うはずだったのに、そんなことを喚きながら、この女は小山悠を階段から突き飛ばした。
百鬼泰成という男が、怪異に憑かれたのはこの時だった。
もともと祓う力があったが、怪異の侵食を受け入れたのは絶望していたからだ。とはいえ、喰われるつもりはなく、逆に力を取り込んでやったが。
想いを伝えたばかりだった。恋人になれたばかりだったのだ。あまり絵本を読まないのに、先輩の勧めてくれた本だからとはにかんで笑って絵本談義に付き合ってくれた、柔らかくて愛おしい人を、守ることが出来なかった。
怪異の力を得て一番初めにしたことは、恋人を殺したその女に報復することだった。
ありったけの呪詛を魂まで根付かせ、怪異の餌にしてやった。最期までどうしてと呟いていたが、そんなことはどうでもいい事だった。
そうしてやり直した。無理やり歪めた訳では無い。正当な手順を踏んで、時を戻した。自分が取り込んだのがそんな芸当が出来る怪異だったのは、百鬼にとっては幸運だった。
怪異と混ざることで彼女に対する執着が増した自覚はあったが、瑣末な事だった。
ここから、数度繰り返した。
何度も何度も繰り返したのに、最愛の恋人は最後には手をすり抜けていってしまう。
初めにやり直した時、百鬼がアプローチをして付き合い始めたころに戻した。
上手くいくと思ったのに、彼女は十字路の怪異に飲まれてしまった。これは一度目ではなかったことだったから、百鬼は酷く取り乱した。気をつければいいのはあの女だけと思っていたから、怪異の方から気が逸れていたのだ。
直ぐにやり直すには力が足りなかったから、百鬼は数十年かけて十字路にひしめく怪異をすべて贄にして取り込んだ。
力を得てすぐにまたやり直した。
二度目は、途中までは順調だった。
怪異に狙われるのが分かっていたから彼女を守ることを第一にしていたし、転校生であるあの女には一切関わらないようにした。姿を見れば隠れ、恋人の存在は秘匿し、今回は上手くいっているように思えた。
ところが、どこから運命がよじれたのか、またあの女が余計なことをしてくれた。怪異に巻き込まれた彼女を、あの女は見捨てたのだ。助ける術があったにもかかわらず、高笑いしながら見殺しにした。
あの女もどういうことか記憶を保持しているらしいと察し、百鬼は年数をかけて力を蓄え、報復後にまたやり直した。
三度目、四度目とあの憎たらしい女が邪魔をして、滑稽な正義を振りかざして百鬼から最愛を奪っていく。
怪異に巻き込まれすぎて、心を病ませてしまったこともあった。
何度も失敗して、やり方が間違っているのだとようやく悟る。
この頃に、十字路で商売をする上位の神に出会った。
樒と名乗り、趣味で人間を観察していると笑っていたその神は、繰り返しては失敗する百鬼にひとつ契約をしてみないかと提案した。
何度目か分からないやり直しのさなか、彼はとても可笑しそうに笑って百鬼を狭間に連れ込んだ。
「随分と難儀なご様子。どうでしょう、私に一枚噛ませてみてはいかがです?」
面白がっているのはすぐに分かったが、百鬼には手段が必要だった。情報が必要だった。
内容を聞いて、小山悠を救えるまで、或いはこの因果を抜けるまで手を組むことにした。対価は百鬼が取り込んだ怪異の力だ。すべてが終わったあとにその怪異をくれればそれでいい、それは非常に稀有な怪異でずっと探していたのだ、と樒が言うので、それくらいならばと頷く。契約書を端まで読み、こちらに怪異を渡す以外の害はないと見て、その契約書にサインをした。
百鬼にとっては有難い内容でもあった。
「いえいえ、私もねぇ、ああいうタイプはなかなかお目にかかることがないですからね。魂の歪み方が酷く、そのくせ自分は綺麗と思い込んだ邪悪……うん、あれはあまり良くはないけれど珍しさで言えば最高レア、と言ったところです」
あの女の加護を削ぐ、と樒は言った。
どうやら縁が強いモノから加護があるらしく、それのお陰で好き勝手やれているのだ、と。
「あれの加護を削ぎ落としてしまえば、魂に刻みつけられた呪詛に耐えられないでしょうねぇ。あれだけ根強く打ち込まれていては、祓うことは不可能でしょうし。それにあれは稀有な魂ですから、怪異に目をつけられやすい」
にこやかにそう言って、樒は百鬼にこう言った。
「あなたの最愛も、あの娘と同じく魂が非常に珍しい。おそらくどこか違う世界の魂が混じっています」
不思議な話だが、わかるような気もした。
小山悠という女の子は、たまにひどく不思議な目で百鬼を見ていた。大人びたようにも思えるその顔に見惚れたのは一度や二度ではなかった。
それが真実だとして、彼女の魂が珍しいとして、それでも百鬼にとっては彼女が最愛だった。あの子の正体なんてどうでもよかった、自分の目に見えるものが全てだ。
百鬼泰成という男は、あなたが勧めてくれたから絵本が好きになったのだと答えてくれた小山悠という女の子が好きだった。それだけで良かった。それが全てだった。あの第二図書室で二人で話す時間を、何よりも愛していた。
「あの子があの子であるなら、俺はなんだっていい」
「そう言うと思いました。ではここからは先の話です」
きっと次も手を出してくるでしょう、あれはそういう性格です。
樒はそう言って、人差し指を口元に添えてにんまりと笑った。
「ですから、最初はまっさらに。まるで何も知らないみたいに振舞って、もう一度その子と恋をするところから始めてみましょう」
「遡る時をもっと前にってことかな」
「その通り。いっそ出会いの前まで遡ってしまいましょう。いつもは恋人になってからでしたね?」
頷くと、樒は「なら、やはり。もっと前から準備をしないと」と百鬼に言った。
一度まっさらにした方がやりやすいのだ、と言う樒は、それでもあと数回は繰り返すだろうと言った。加護を削ぐのにそれくらいはかけないと、完全にはできないだろうからと、恋人の縁を消すことを躊躇った百鬼を納得させた。
あの子を救えるのならなんだってよかった。ただ、隣にあの子がいる未来を手に入れられるのなら、それだけでいい。
「そうだ、柊希学園の生徒会とお近付きになっておいた方がいいですね。あそこの生徒会、対怪異に関しては目を見張るものがあるので、万全を期すためにも仲良くなっておいた方が得策です。あの娘との縁も深いですが、それ故に利用しやすい──ねえ、最愛のためですから、それくらいは心を殺して出来るでしょう」
そう決めつけて、今回はサービスしましょうねぇ、と百鬼を高校一年の初めまで戻した。




